東北・太平洋道】 青森(大間)⇒⇒⇒⇒福島(いわき)
日本周遊紀行(90)東通村 「居候の役場」
北海道一周を終えて、再び「東北」へ戻ってきた。
本州・最北部、下北半島の大間へ再び上陸して、次に東北地方東部から関東地区沿岸を巡ります。
尚、下北地方の内部地域である恐山や薬研温泉、そして下風呂温泉などは後頁の「温泉・観光」の項で記載します。
「むつ」の市街地を抜けて、国道279から県道7の小高い丘のような「冷水峠」を越えると「東通村」(ひがしどおりむら)へ入る。
即ち、下北半島の頭の先端部分が東通村である。
本州北東端に位置して、津軽海峡と太平洋に面しており、海岸線だけでも約60kmに及び、面積も約300km2と大きな村である。
この雄大な自然から、当然ながら豊富な海・山・里の幸に恵まれている。
しかし、この村のチョットユニークなところは、村は既に100年以上もの歴史をもつが、最近、流行(はやり)の合併の話も無いようで独自の村経営を行っている様なのである。
更に、面白いのは村が誕生して100年もの間、隣の町(田名部=むつ市)に役場・庁舎を置いてあった事で、いわば、居候の役所であったのである。
村が発祥して100周年を記念し、やっと庁舎を地元村内に設けたという。
歴史といえば、青森県全域にいえる事だが、この地も、超古代人(縄文人)が生活してた痕跡・遺跡が多数発見されているという。
特に尻屋地区等北部に集中しているといい、これは北海道との関連も覗えるが・・、南へ下って青森の三内円山の縄文文化にも影響を及ぼしているのかも知れない。 しかも、この地に北海道特有の文化と言われる「擦文文化」の跡も発見されているという。
「擦文文化」とは北海道の道中において何度も記載したが、8~13世紀、北海道全域と東北地方北端に見られる文化で、北海道特有の続縄文文化に当時の本州の文化が刺激を与え、成立したものとされている。(本州の平安から鎌倉初期の時代)
即ち、石器、土器は消滅し鉄器が普及しはじめ、農耕(稲作は含まず)も行われたが、生活基盤はあくまで狩猟・漁労にを置いたもので、近世アイヌ文化の先駆となる文化である。
それらの文化が今に継承されているのだろうか・・?、現在に至って先人から受け継いだ能舞、もちつき踊、神楽・獅子舞等の歴史的伝統文化、民俗文化が今も華開いているという。
車で走っていても、何の変哲も無さそうな人口8000人足らずの寒村に、長大な人類の足跡が残されていたのは驚きであった。
尻屋崎灯台と自然放牧の「寒立馬」
北東端には「尻屋崎」がある。
この周辺で目を引くのが周年、放牧されている津軽馬といわれる「寒立馬」は有名である。 粗食に耐え、寒風吹きすさぶ厳寒の季節、力強く立ちつくす姿は、命の尊さと、たくましさを感じさせる。
野生の馬と思っていたが、実は飼い主がいるらしく農用馬(肉用馬)として自然放牧されているという。
寒立馬及び尻屋地区の生息地は青森県の天然記念物に指定されている。
歴史的伝統文化と自然の豊かな東通村だが、この村に既に原始力発電所の誘致が決定しているという。
東通村は歴史ある村であるが、未来志向の村でもあった。
次回は六ヶ所村・「原子力発電」
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