.
展望台・高架木道(ヒグマ対策として電気柵が併設されている)
世界遺産・知床(8) 「知床五湖」(三)
更に、「知床五湖」について・・、
尚、遡れば、名所「知床五湖」の名前を付けたのが、ウトロ地区で最大規模の施設を誇る「知床第一ホテル」の創業者、上野茂樹さんであったという。
先般、お上さん(妻)とお世話になったホテルでもあった。
元々、地元で畜産業を営んでいたが、斜里町役場の時代、通算20年間の間に陳情その他の仕事でよく東京へ出張し、その時、新橋第一ホテルに泊まったのが心に残り、「あんな立派なホテルをつくってみたい」・・と、将来に夢を託し実現したのが、その名も「知床第一ホテル」であったという。
宿屋の経営は素人だったが、お客様の立場からいえばプロだ、との意識で経営を始めたいう。斜里町役場の時代、特に産業課長となった上野氏は、斜里・知床の町起こし・発展に力を注ぎ、観光に意力を尽くしたという。
上野氏は、ウトロ奥地の開拓地近くに名前のない五つの沼があるのに目を付けた。
観光のため名前を付けて地図を整備しようということになり、「五沼じゃ格好悪いから、知床五湖でどうだ」・・と、
しかし、どう見ても大きさからして「湖」という規模ではないという異論もあったが、上野さんのその一言で決まっという。
近年になって、五湖の遊歩道がヒグマ出没で、時折全面閉鎖になっている状況に、上野を氏はじめ観光関連業者はいら立ちを強め、解決策として「高架木道」の設置を提案していた。
五湖のうち入り口に近い「一湖」、または「一湖」と「二湖」双方の周りにヒグマの登れない高い木道を造り、一般観光客はそこを歩いて見学する。
それより奥は、猟銃を扱う許可を持つ知床財団のガイドが同伴することを条件に、一部見学を許すという案であったといわれる。
因みに、北海道の「ヒグマ」について・・、
ヒグマについたは前項にも記したが、古来、アイヌの人々は「ヒグマ」をキムンカムイ(山の神)として崇めた。
「イオマンテ」とは、昔の歌曲の題にもなっているが、元よりアイヌの熊送り儀礼のことである。
言葉としては「イ(ものを)」+「オマンテ(送る)」という意味であり、単にイオマンテという場合、熊のイオマンテを指すことが多い。
冬の終わりに、まだ穴で冬眠している熊を狩る猟を行うが、そこに冬ごもりの間に生まれた小熊がいた場合、母熊は殺すが、小熊は集落に連れ帰って育てる。
最初は、人間の子供と同じように家の中で育て、赤ん坊と同様に母乳をやることもあったという。
大きくなってくると屋外の丸太で組んだ檻に移す、やはり上等の食事を与える。
1年か2年育て、ある程度大きくなった後に、集落をあげての盛大な送り儀礼を行う。
熊の姿を借りてアイヌコタン(人間界)にやってきたカムイをカムイコタンに送り返す儀式である。
その際、小熊を森へ返すのではなく、殺し解体して、その肉をふるまうということなのである。
類似の熊送り儀礼は、サハリン周辺の北方民族など、ユーラシア・タイガ(シベリア地方に発達する、針葉樹から成る大森林)の内陸狩猟民族に広く見られており、イオマンテもその一種でもある。
このことからイオマンテは、オホーツク文化の一端でもあるといえる。
次回は、カムイワッカの湯
.【小生の主な旅のリンク集】
《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ
《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)
【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観
ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002
【山行記】
《山の紀行・記録集》
「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)
《山のエッセイ》
「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」
《スキー履歴》・・・
「スキー履歴」
.
0 件のコメント:
コメントを投稿