日本周遊紀行(3)甲府 「甲斐・甲府」
甲斐の国の府は「甲府」・・、
国道20号は勝沼を過ぎると「甲府」である。
今年(2007年)、NHK大河で「風林火山」を放送していますね、皆さん見てますか。「甲府」という名称は、永正16年(1519年)に武田信虎(信玄の父)が居館を躑躅ヶ崎館(つつじがさき:現在の武田神社・甲府市古府中町)へ移した際に、甲斐国の府中という意味から「甲府」と命名したことに始まります。
武田信玄の信玄とは法名で、本名は「晴信」である。甲斐守護を代々務めた甲斐源氏武田氏の信虎の嫡男として生まれ、隣国の信濃を平定し、越後の上杉謙信との「川中島の戦い」は余りに有名である。
現在このあたりが放送の真っ最中ですが、戦いつつ勢力を広げ、甲斐、信濃、駿河、上野(こうずけ)、遠江(とうとうみ)、三河と美濃の一部を領するようになるが、上洛の途中に信玄は三河で病没することになります。 信玄は「風林火山」の軍旗を用い、甲斐の虎と呼ばれ、率いた武田騎馬軍は戦国最強と評され、今もなお広く人気を集めている戦国武将である。 信玄死後、側室の子である四郎勝頼が家督を継ぐようになるが、勝頼の母は、あの諏訪の姫「由布姫」である。
勝頼の時代、台頭してきた織田信長、徳川家康の連合軍に鉄砲を主力とした集団新鋭兵器の登場、所謂「長篠の戦い」で破れる。 その後の武田家は次第に衰退してゆき、天正10年(1582年)、信長の追手に追われた勝頼は笹子峠付近で進路をふさがれ、逃げ場所が無いことを悟った勝頼一行は武田氏ゆかりの地である大和村・天目山を目指した。 しかしその途上、ついに日川をさかのぼり田野に至って力つき追手に捕捉され、身内とともに自害して果てたという。(天目山の戦い) 享年37。
これによって、甲斐武田氏は事実上滅亡することになる。 その後、家康が入国し、勝頼等一族の菩提を弔うため、田野寺(現、甲州市大和村・景徳院)を建立している。現在、境内には県指定の勝頼主従の墓とその位牌をまつる「甲将殿」がある。
甲斐・武田氏は、清和源氏の本流と言われ、元は「常陸の国」の出身である。NHKのドラマは山本勘助が主人公であるが、今後の武田四郎勝頼との関わりも楽しみである。
次回は、「諏訪」
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