2010年1月19日火曜日

日本周遊;温泉と観光(10) 「宮内温泉と象の花子」

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山中の鄙びた「宮内温泉」と露天風呂



日本周遊;温泉と観光(10) 「宮内温泉と象の花子」



象の花子で有名になった山里の湯・・、<br>


北海道・渡島半島は、南北に細長く伸びた半島で全般に山が多く、それも海岸付近までせり出した山岳地域であるといってもいい。 

道内における原野や平原湿地、拓けた地域の石狩平野、十勝平野などの平地といわれるところは比較的多いが、この半島にはそれらは皆無といっていい程存在しない。 
しかも、この狭い幅の半島に1500m級の山も在り、渡島半島は山岳地帯中心の半島なのである。


瀬棚町から島牧村への境界地も、例にたがはず山岳地で、ここに海岸より水平にして5~6kmの地点に、標高1520mの「狩場山」が控えているのである。 

その山塊は急傾斜を伴って海岸に落ち込んでいる。
この断崖のような急傾地を無理やり削り取って付けたのが、今の国道229号線であり、先人のご苦労を偲ぶのみであるが。
しかも、日本海に面しているので、豪雪地帯でもあり、トンネルの他に雪避けのドームやスノーシェードを多く取り付けているのも特徴的でもあろう。


数々の墜道を潜り抜けてヨウヨウに島牧の集落に着き、近場に「道の駅・よってけ島牧」があって、「よってけ」と云うので寄りましょう。
そう、温泉である。 

案内された「宮内温泉」(ぐうないおんせん)を目指して、山中へ更に分け入った。 
海岸より、泊川を遡って4kmほどの山の中に一軒宿の小さな温泉があった。

途中、「熊注意」の看板が数多くあったが、背後は山合いに囲まれ、周囲には人家は全く無くなく、林の中に隠れるようにして存在している。
もちろん日帰り入浴、立ち寄り湯はOKである。 

玄関前に無造作にある駐車場へ悠々と留めて、いざ・・!入場、否、入湯。
玄関はいると横の受付から御主人が出てきたので、入浴料金450円を支払い、早速、脱衣所へと向かう。
内湯には湯船が2つあって左側が中温湯、右側が高温湯となっていて、窓の向こう側が露天風呂となっているようだ。 早速、浸かる・・。
無色透明でやや塩味のするサッパリした温泉で、身体にジーンとしみわたる、 適温である。

内湯もいいが、天気の良い日はやはり露天風呂である。 四角い湯船が野趣豊かに佇んでいる。 宿の主人が言っていたが、湯船には若干の「コケ」が付いてる。 これはこれで又結構である。
横のパイプからは、バルブ調節も出来るだろうが、お湯がザブザブと溢れ出ている。
周囲は森が広がっていて、清々しい気分になる。
浴槽は広いという感じではないが、一人での入浴なので、実に極楽!極楽!あぁ~いい気分!!


宮内温泉は、江戸時代(安政年間)には発見されたという北海道でも古い温泉だという。 

又、先ほど北桧山の温泉センターでチョコット聞いた話だが、この温泉は「象の花子」が湯治したとして知られているという。


象の「花子」は、戦前に上野動物園にいたものが有名だが、こちらは札幌円山動物園の「花子」であった。




『象の花子』について・・、

宮内温泉は、ゾウの花子が湯治に来たことで有名であるとか。


花子と名付けられたゾウは沢山いるが、宮内温泉に来た花子は1964年にタイのバンコクから日本の子どもたちにと先ず京都市動物園に贈られたものという。 

その後、1966年にさっぽろ・円山動物園に移り、1967年の開園と同時に、今人気絶頂の旭川・「旭山動物園」にもやってきた。 

しかし、越冬中に「くる病」にかかり、左後足が湾曲し立てなくなったため展示することができないと判断、安楽死させてやってくれと1968年に札幌市の剥製標本会社の「信田修治郎」氏に売却された。 

当初は薬殺し、標本を北海道大学に納めるつもりであったが、病気を治してやることができると考えた信田氏が面倒を見ているうちに再び立ち歩けるようになったという。 

その話がマスコミを通じて全国に広まり、日本中の子どもたちのアイドル的存在になった。

その後、「ゾウの花子の会」という全国組織までできる程であった。 
しかし、1970年、旭川冬祭りに出演した際に骨折症状が出てしまい、再び立てなくなってしまったのである。 
そのため、その年の8月から長万部町の「二股ラヂウム温泉」で湯治をすることとなった。 

だが、この温泉場は冬期間には閉鎖されるため、11月にこちらの「宮内温泉」に移転したのである。 

島牧村では村をあげて「花子」を歓迎し、宮内温泉に浴槽付きの「花子のお宿」という小屋を建てて長期に渡って面倒を見ることとなった。 

花子は7時から健康診断、10時に食事、16時まで歩く練習をして就寝するという毎日を送っていた。



宮内温泉の滞在期間中には、「ゾウの花子の会」の招きで南米パラグアイ大使一家、茨城県議会一行が訪れるなど、かなりの人気を誇っていたらしい。 

関東地区・花子後援会の会長は当時衆議院議員の三ツ林弥太郎氏であり、また、1972年には偶然宮内温泉を訪れた笹川良一氏が花子を見て感嘆、日本顕彰会から信田氏が社会福祉貢献者として表彰されたほどであった。



1975年、回復した「花子」は宮内温泉を離れ、その後は本州を旅して回ったらしい。 

1980年、「花子」は募金で集まったお金を元に飼主の信田とともに南米パラグアイに移住し、そこで一生を終えたという。 

パラグアイでも人気があったらしく、パラグアイ日経ジャーナル創刊号は「花子、念願のパラグアイ移住、南米の大地を歩く-日本の子どもたちの夢と希望を背にして-」 という記事を表紙で取り上げている。





旅館入口前の右側のスペースに花子の住んでいた小屋があったが、現在は取り壊されて残っていない。

建物の外にある露天風呂は、野放図の状態で所謂、野天風呂であった。 
この地にかって、象の花子を入れるため大きな露天風呂があったのであろう。 

温泉は、やや黄緑がかった色でヌルヌル感がある。表示によると、泉質ナトリウム-炭酸水素塩・硫酸塩泉、源泉の温度48.8℃は入浴には適温であろう、湧出量3000L/分と多い。



実は、この宮内温泉から更に山には行ったところに、「黄金温泉」、「大判の湯」、「小判の湯」といった露天風呂があるらしい、雰囲気はいずれも熊に出会いそうな奥山である。 

又、海岸より一つ手前の山路を辿ると、「賀老の滝」というのがあり、日本の滝百選に選ばれた高さ70m、幅35mの大瀑布であるとか、ここにも「千走川温泉」というのがあるらしい。


いずれにしても、道南のこの辺りは、都市や主要観光地から遠く離れているので、北海道人も最後の秘境と認める地域・島牧村である。 

狩場山を中心とした、周囲は人家もまばらな地で、結構、良い温泉が点在しているようである。


【宮内温泉データ】

宮内温泉旅館  http://www.guunaionsen.ftw.jp/
        ℡ 0136-75-6320
【泉 質】 ナトリウム-炭酸水素塩・硫酸塩泉(旧:含芒硝ー重曹泉)
       無色透明・微妙塩味・無臭
【泉 温】 49度
【湧出量】 自噴毎分3000 リットル
【施 設】 内湯男女別 1 浴槽 2 露天風呂男女別 1 無料休憩室1 洗い場にはシャンプー類あり・タオルなど持参


次回は、 「積丹半島」






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