2011年6月9日木曜日

日本周遊紀行(138)日吉 「球磨川と街道筋」

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 日本周遊紀行(138)日吉 「球磨川と街道筋」   、




球磨川
写真:三大急流・球磨川(特異な建物は森林館・エジソンミュージアム)


球磨川リフト
球泉洞・下着船場のリフト



球磨地方の「クマ」とは、古語で「山襞」(やなひだ)という意味らしい・・ 、

ここで、球磨川を訪ねることにした。 
日本の三大急流の一つと言われている急流河川を拝見するつもりである。 

九州を西側から縦断する国道3号線の長いトンネル・「佐敷トンネル」(佐敷太郎峠を貫通)を抜けて、佐敷の町並みからは県道27号(佐敷ルート)へ向かう。
改良工事が行われたのであろうか山間の地方道でありながら、よく整備された道である。おまけに、数キロおきに車止めの休憩所が設けてある、ご丁寧なことである。

トンネルを抜けるといきなり球磨川の大河川に出くわした。 
大橋を渡って神瀬というところで国道219号に出会い、右折して球泉洞を目指す。 
2、3km先にその球泉洞があったが、特に、ここを見物するつもりはなかった。 

何でも「球泉洞」は全長4800mの鍾乳洞で山口県の秋吉洞の次に長く日本で二番目九州では一番長いらしい。 
今更であるが、鍾乳洞とは、太古の世界に堆積した石灰層(主にサンゴ層)が堆積した石灰岩地帯が隆起したところに、二酸化炭素を含んだ水の侵食作用によって生まれる空間である。
この侵食は気の遠くなるような時間を要し、鍾乳洞と呼ばれるようになるまで数百万年はかかる。
こちら球泉洞の内部は、凡そ三億年の長い年月をかけて出来た鍾乳洞といわれ、鍾乳石や石柱が無数にあり、さながら天然の芸術を見るようだという。 


さて、球磨川である、ここは急流下りの船着場でもあった。 
ただし、川面は現在地より、かなり下方にあり従って、乗り合い客はエスカレータ(リフト)か歩道で上下を往来するようになる。 
歩道にてゆっくり河原に下りてみた、さすがに日本有数の急流らしく瀬音激しくゴーゴーと流れる様は如何にも日本三大急流の名に恥じない。
この辺りの山域は、球泉洞にみれるように石灰岩質の地層であり、従って、河水は山肌を浸食しながら深い峡谷を形造っている。 

近くに吊り橋があった、ここの風景に馴染んで一服の絵になっているのがよい、向かいの休暇村へ通じているらしい。見ると一艘の「急流くだり」の船がやってきて、船着場に到着するところであった、船頭の棹捌きが見事である。

球磨川を下りは、この地方の代表的な観光の一つで「清流コース」、「急流コース」があるらしい。 
急流コースは人吉発舟場から球泉洞下までの全長10キロメートルを90分で、五つの大瀬を豪快に下るスリル満点のコースは船頭さんの腕前が見ものということ。

日本三大急流(山形県・最上川、静岡県・富士川他に説あり)の一つである球磨川は、水源を水上村に発し、八代海に注ぐ全長115kmの一級河川である。 
標高1700メートルを超える九州山地の急流を下り、五木村を水源とした川辺川と合流して中流域の人吉盆地ではゆったりとした流れとなり、その後再び、渓谷を流れる急流となる。

「人吉」や「渡」からは川下りの船が出ていて、人吉から渡までは比較的穏やかな流れであるが、渡から球泉洞下までは急流を下ることになる。


九州の屋根といわれる山域に囲まれた球磨地方は、全てが山である。
そして「球磨川」は標高1600mの五木村の山々から南下し相良、人吉盆地に流れ込み、ここから再び北上して標高7~800メートル程度の山々にわけ入り、山が切れたところはいきなり八代の海に出る。 

地元の人は球磨川を称して恐川、つまり「おそろしか川です」というらしい。 
流れゆくその両岸の山襞は急斜面をなし、山に降った雨水はいきなり斜面を走って鉄砲水のようになって球磨川に落ち込み、水嵩を見る見る増やすのである。 
球磨地方の「クマ」とは、山襞の古語でもあるという。


ここより凡そ15km先、球磨川や川辺川等の河川が堆積してできた扇状盆地に「人吉」があり、古くから交通の要衝として開けた。既に鎌倉初期には地頭として遠州・相良(さがら・今の静岡県)から相良氏が入国し、幾多の戦乱を経つつも明治維新までの約700年間、一貫してこの地方を治めてきた。 
このように鎌倉時代以来、大名として続いた「家」は全国でも珍しく、薩摩の島津氏の他僅かしかないという。 

急流河川・球磨川は昔も今も「人吉」を潤しているのである。
その人吉は近年までは険しい山地に囲まれた内陸部にあることから、長く「陸の孤島」と呼ばれていた。
肥薩線が八代⇔人吉まで開通したのは明治41年 (1908年) であり、国道219が車道として整備されたのは昭和38年 (1963年) の頃である。  

又、今日の肥薩線は昭和2年に海岸に本線が開通するまで鹿児島本線として活躍したという。山中の敷設が優先決定された経緯には、直線的に鹿児島と宮崎、両方からの縦貫線であることは無論であるが、時勢下、国防上の観点から海岸からの攻撃、特に艦砲射撃を避けることができること。

又、九州が本州から孤立した場合、自給可能なのは山深い人吉盆地であるといった理由があったとされている。 
工事は山と川に阻まれた天険の地で困難を極めたといい、開通当時の沿線の人々の喜びの様子は歴史小説の大家で薩摩出身の海音寺潮五郎(歴史作家、同じ郷土の英雄・西郷隆盛を扱った著作多数)のエッセイの中でも綴られている。

道路では人吉⇔八代間を連絡しているルートはR219で、地図には「人吉街道」と書かれている。 江戸・藩政時代から明治以前までのこの街道は、途中から沿海の佐敷方面へルートを変え、薩摩街道(国道3号)と合流していて、八代⇔人吉間を直結するメインルートは無かった。 

昭和中期、車道としてのR219の建設は球磨川の山裾を削り、半ば強引に取り付けた道路であるため、開通当初から路肩決壊や、落石を繰り返し、工事が止むことがなく、今も大変な維持費のかかる問題の多い道路だという。 


現在の人吉は、「えびの」を通じて高速道が三方へ延び、熊本、宮崎、鹿児島の主要都市へ一時間で通じることが出来る。 
その、佐敷ルート、旧人吉街道(県27)を戻って、薩摩街道(国道3号)へ再び出る。
一旦、佐敷の海岸に接するが、すぐに内陸の山間地に向かうようである。 
最高所の「津奈木トンネル」(津奈木太郎峠)をくぐると間もなく「水俣」であるが。 


ところで、薩摩街道の肥後・芦北地方に,難所として知られる「三太郎峠」(三箇所に太郎と付く峠)と呼ばれる峠がある。 
肥後・芦北地方に連なる赤松太郎峠・佐敷太郎峠・津奈木太郎峠を総称した呼び名で、難所中の難所という意味がこめられた峠でこう呼んでいるようで、古くから通行が困難な山道として知られる。

一方, この峠付近は中世期以降は軍事的な要衝にもなっていたという。 
特に「佐敷・・」は戦国期の山城跡が残っていて、肥後・熊本と人吉への街道を押さえる重要な要地であり、秀吉の佐敷氏(佐敷城の築城者)の時代から熊本・細川氏の時代まで領域をめぐっての攻防が繰り返されていたという。 
又、1877年に起こった西南戦争時、この峠は軍事要衝とされ、立地条件もさることながら天然の防衛要塞と化していた。西郷隆盛を首領として蜂起した士族一行は、肥後・熊本に侵攻する際この三太郎峠越えを果たさねばならなかったのだが、その道は相当険しく「政府へ尋問の筋、これ有り」と喝采鼓舞しつつ峠越えを果たしたという。

この街道の時代的経過としては、 遙か江戸時代以前からの薩摩街道、明治から昭和中期まで使われた国道3号の旧道, そして現在の国道3号線と三つの時代に大きく分かれるという。 

このうち、昭和中期まで使われた旧国道3号の道は、ツヅラ折りを上下するこの三つの峠を通り、昭和期の高度経済成長期には流通の大きな妨げとなった。
特に、大型車同士の擦違いは勿論、普通車でも困難を極め、ドライバーの神経を確実にすり減らり、地獄の三峠として嫌われたという。 
熊本よりの「赤松太郎峠」はトンネルはなかったが「佐敷太郎峠」、「津奈木太郎峠」には今も、旧道時代の煉瓦積みの非常にガッシリとした、美しい隧道を見ることができる.という。

今、小生はこの峠にかかる「平成の三つのトンネル」(新道)を通って、鹿児島方面へ目指しているのである。

次回は「水俣



『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/




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