2011年4月19日火曜日

日本周遊紀行(119)長崎 「チャンポンと思案橋」



『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/



 日本周遊紀行(119)長崎 「チャンポンと思案橋」   、



長崎は、チャンポン文化の先駆けであった・・?、

長崎・チャンポン」・・、というと「リンガーハット」でもあり、この事は先にも触れた。

我が家の近くにも「リンガーハット」という中華風の食事屋さんがある。 
実はこの会社・食事屋さんの株を少々持っているので、食事の株主優待券が定期的に送られてくる。
この券を利用して家族・身内と会食するのだが、注文する定番が、チャンポンや皿ウドンといったものである。 


チャンポンとは、元々「長崎チャンポン」で銘打って、全国に展開している長崎名物の中華風料理のことである。 
大元の元祖は大浦地区にある「四海樓」であると言われている。 
長崎チャンポンとは明治32年、長崎の中国料理店にて生まれた国民食で、初代・陳平順氏が長崎にやってくる中国人留学生のために、「うまくてボリュームがあり、栄養価が高く安価なメニューを」と始めたのがルーツだという。



長崎は江戸期、鎖国制を敷く中、日本で唯一の国際貿易港であった。 
従って、諸外国より多様な生活文化が長崎を通して、日本に移入、伝播、定着していった。 
例で言うと、いかにも純日本風の「天婦羅」は、蘭語(オランダ語)で獣肉、魚類、卵を加工したものあり、似た様な物で、長崎で作られ後に江戸に伝わった「すきやき」も長崎である。  

日本人は昔は牛肉を食べなかったことはよく聞く話だが、外国人(欧州、中国等・・)の多かった長崎では日本人も一緒になって食していたという。 
そして、現在、全国で名の通った長崎名物「チャンポン」や「皿ウドン」は中国の料理を元に明治期に作られたオリジナルであるという。 
チャンポン」という名称は、中国語説、ポルトガル語説、日本語説と未だ定説ではなく、所謂、チャンポン説である。 

チャンポンは肉類、魚介類、野菜を混ぜ合わして調理する、つまりチャンポン状態にする、混ぜ合わせるという意味で、今では、“お酒をチャンポンで飲んだ・・”という、形容詞的日本語にもなっている。

尚、この「ちゃんぽん」なる単語は朝鮮語にもあり、同じく「混ぜる」、「混ぜたもの(料理)」という意味を持つという。
また沖縄県で同じ意味の「チャンプルー」はインドネシア語やマレー語にも存在するが、「チャンポン」と「チャンプルー」は同語源と考えられ、由来としては諸説ある。
また、沖縄では「チャンプルー」をご飯の上に盛った料理を「ちゃんぽん」と呼ぶこともあるという。

この他に、長崎を通じて全国に広まった外来語はペンキ(先に述べた)、ボウリング、ビリヤード、ソロバン、ボタン・・と、お馴染みの品々で多種にわたる。

方言・長崎弁の代表格である「ばってん」(しかしながら・・、だがしかし・・)は「But、Then」からきているし、「くらすける」(殴る・・)は「Crush」からきているというが・・?
長崎は、外国文化と日本文化が入り混じった、云わば、「チャンポン文化」の先駆けであった。



往時の丸山界隈(案内版より)と跡形のみの「思案橋」


長崎ぶらぶら節」・・、

長崎・「出島」に隣接して、長崎チャンポンの中華街が在り、丸山、思案橋のタウンがある。「長崎に丸山といふ処なくば 上方の金銀無事に帰宅すべし」(長崎に丸山という場所さえ無ければおエライさん方も 金を使わないで無事家に帰れただろうに・・)と、かつて井原西鶴が言ったというくらい当時、大変な賑わいぶりだったらしい。 

幕末の志士(坂本竜馬、高杉晋作…)や長崎にやってきた外国人(シーボルト…)など歴史上の多くの有名人がここで遊んだという。(次回にも述べます)
その跡地を見て回ろうというのが、「長崎丸山ぶらぶら散策」である。  


はじめは「思案橋」から・・、
当時、丸山の入り口には橋が掛かっており、色欲に駆られた男どもは、「行こうか?、行くまいか・・?」と橋の手前でさんざん迷ったため、付いた名前が「思案橋」という。

この丸山界隈を描いた作家(作詞家)・なかにし礼が「長崎ぶらぶら節」を著し、直木賞を受賞している。2000年(平成12年)、オランダとの交流400周年という記念すべき年を迎える長崎でのロケを経て、東映で映画化もされた。 

「長崎ぶらぶら節」とは、江戸・嘉永年間に流行したといわれる長崎の歌の名前のことで、(長崎民謡)大正というデモクラシーの時代において、この失われつつある長崎の歌を発掘し、後の世に語り伝えようとした一人の学者と一人の芸者が登場している。 

愛八(あげはち:本名・松尾サダ)は、明治から昭和初期にかけて実在した女性である。 
小さい頃から男まさりで、器量もけっして良いとは言えない女性であったが、それを補って余りある歌唱力と三味線の腕によって、五十歳を目前にしながら今もなお丸山のなかで五指に入るほどの名妓として、その名をはせていた。 

愛八が人生で初めて本当の恋を見出した相手は、長崎の歴史研究に全てをかけた学者・古賀十二郎であった。 古賀は、遊び人でありながら、同時に長崎の対外交渉史の研究に関する第一人者であり、芸者の総揚げなどという馬鹿をやって家の財産を浪費するかと思えば、学問に対する情熱を熱く語ったりする無邪気さ、高尚さがあった。 古賀と愛八が二人きりで、長崎に眠る数々の名もなき歌を探す旅・・、世の中から忘れ去られた名曲「長崎ぶらぶら節」との出会い・・、そして両親のいない貧しい少女・お雪をはじめ、全ての人々に捧げた無償の愛・・。
なかにし礼氏が描いた数奇な女の一生を「吉永小百合」が、古賀を渡哲也演じている。
歌というのは、詩と音楽によって生み出される芸術であり、詩だけでも、また音楽だけでもけっして成り立たない、」という、古賀十二郎と原作のなかにし氏とが重なる。       

長崎ぶらぶら節』  長崎県民謡
長崎名物 凧(はた)あげ盆まつり
秋はお諏訪(すわ)の シャギリで
氏子が ぶうらぶら
ぶらり ぶらりと
言うたもんだいちゅう

遊びに行くなら 花月(かげつ)か仲の茶屋
梅園(うめぞの)裏門 たたいて
丸山 ぶうらぶら
ぶらり ぶらりと
言うたもんだいちゅう

引き続き、長崎名物「眼鏡橋



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