2011年3月1日火曜日

日本周遊紀行(90)相生 「ペーロン」

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日本周遊紀行(90)相生 「ペーロン」 ,



相生湾では例年、賑やかな「相生ペーロン祭」で盛り上がる・・、

純中華風の真っ赤な建物は白龍城、ペーロン城といい、1階がその名のとおり中華料理店で2階が温泉になっていてペーロン温泉という。 
650円の入浴券で、黒御影石の浴槽にドップリと身体を漬かる。 浴室は落ち着いた雰囲気で朱色が目立つ建物の外観からするとかなり落ち着いて見える。 
温泉は、無色透明で海岸のせいか薄い塩味がする、他は特に変わった浴感はないが、湯上り肌がサッパりすべすべになったようである。 
露天風呂は、表のベランダらしきところに浴槽があった。この露天からは、運河のような湾を挟んで、IHI ・石川島播磨重工業(株)の巨大工場が見えている。



この運河のような湾で、日本でも数少なく有名な「相生ペーロン祭・相生ペーロン競漕」が行われるのである。 そう、この露天風呂から見物できちゃうかも知れない。

ペーロン」は、西暦の紀元前300年頃の中国の戦国時代、湖南地方で「楚」(春秋戦国時代の国)の宰相・屈原が身を投げ、鎮魂のために龍船(白龍・パイロン)を浮べて競漕したのが始まりであると伝えられてる。 

日本へは、1655年に長崎港へ伝えられたとされ、ペーロンは「白龍」の中国音のパイロンが訛ったものといわれている。
日本国内でのペーロン祭は、相生、長崎、沖縄で行われている。

相生のペーロンはやはり長崎から伝わったようで、1922年(大正11年)に長崎県出身の播磨造船所従業員によって伝えられ、相生港祭りとして始まったという。 
相生湾で開催されるペーロンは艇長1名、舵取1名、太鼓1名、銅鑼(ドラ)1名、漕手28名の計32名が乗り組み、4隻のペーロン船が競漕する競技で、1レースは片道300mのコースを往復し、600mでタイムを競うという。
相生湾に沿って、ペーロン祭の見物用にもなる相生ボート公園があり、コーナーにはペーロン艇のモニュメントが建立されている。

白龍城・ペーロン温泉のフロント奥には軽食コーナーと休憩用のお座敷があり、軽めの夕食と一日のまとめを記録した。 


明けて、車内で何となくムッ・とした暑さで目が覚めた。
早朝のやわらかい陽光が車内に射し込む、潮の香りが鼻を撫でる、相生の朝は清々しかった。未だ朝の5時半であるが、頭をスッキリさせて先ずは待望の姫路へ向かうことにする。

戸内海特有の穏やかな気候風土に恵まれている「相生」は、西播磨テクノポリスの副都市として、産業・経済の発展途上の都市でもある。 
又、交通の要衝で、山陽自動車道、国道2号線、国道250(はりまシーサイドロード)、それに国道373(上方往来道)、鉄道では山陽新幹線、山陽本線、赤穂線が其々合流か、近辺を往来している。

天下の国道2号線は関西主要部を結ぶ幹線で、大阪の梅田新道から北九州の門司までの国道である。
門司では、九州を縦断し鹿児島方面の国道3号線に連絡する。
むろん梅田新道では、東京日本橋からの国道1号線が2号線を引き継ぐ。沿道には、神戸・姫路・岡山・福山・広島・下関などの関西の主要都市を通貫する。東京日本橋から九州・鹿児島まで1,2,3号線の各線が結んでいる。
因みに、国道1号線の所謂、「旧東海道」は大江戸・日本橋から京都の三条大橋までであるが、いずれも、この大幹線道路の基点は、東京都中央区日本橋の「日本橋」である。 又、主要地方へ向かう幹線道の基点も、この日本橋である。


余談になるが・・!、
ここで東京近郊に住む小生でもあるので、チョッと「お江戸日本橋」について記してみよう。
お江戸日本橋七つ立ち」(現代で言うと「午前4時」頃に旅立って、「初上り」、つまり初めて東海道を京へ向かうという情景を歌にしたもの)の歌で知られるこの橋は、江戸時代から現在に至るまで文字通り日本を代表する橋として、わが国の歴史とともに歳月を重ねてきた。 

その最初の架橋は1603年、関ヶ原で徳川方が勝利した3年後であった。
江戸幕府(家康)は、江戸に到る五街道を定め、この橋を起点として整備を進めた。更に明治になってからは日本の道路元標をこの橋の中央に据え、各地の道標との距離を測定する基点とした。

現在使われている橋は、明治建築界の三大巨匠の一人、妻木頼黄(つまき・よりなか)のデザインで、構造設計は当時の東京市主任技師だった米元晋一が担当し、1911年(明治44年)に完成したものという。 
ルネッサンス様式を取り入れた二連アーチ式であり、欄干の前面には東京の繁栄を願って麒麟の像が、また中央には、その守護を願って獅子の像が据え付けられている。
なお、この橋の門柱に彫り込まれた「日本橋」という文字は、最後の将軍・徳川慶喜公の揮毫(きごう:毛筆で文字や絵をかくこと)によるものという。

往時の初代橋は当然、木造の橋だった。 
この辺りは江戸の中でも最も賑わっていた所で、浮世絵による名所絵(風景画)に描かれる日本橋には背後に富士山が描かれることが多く、江戸の象徴とも言えた。
この橋の袂には橋と川の織り成す景観を楽しむために水面近くまで階段で下りることができ、橋と流れの調和や上り下りの行き交う渡し船をみることができるスペースが設けられていたという。 

その一つは「瀧の広場」と称し、ナイアガラ瀑布のように壁面を水が流れ夏には涼しさを誘い、目を楽しませてくれたというる。 
この豪勢で美しい橋は、これまでの歴史から見ても、またその美観から言っても、日本における第一級の橋としての威容と、親しみやすさを兼ね備えていた。 
このような経歴とその風格から1999年には、橋の米寿を祝って国の重要文化財にも指定された。
現在の「日本橋」は、花崗岩製の第十九代のものであり、承知の如く上部に首都高速道路が被さっていて、圧倒的悪観を呈している。 

昨今、日本橋に被さる高速道路の移設が話題になっているという。 
以前から東京の景観破壊の元凶として首都高はしばしば槍玉にあげられていたが、それを、除くことはあくまでも理想論でしかなかった。
しかし、環境時代と言われる今日(こんにち)、小泉純一郎首相が日本橋の首都高を移設する一大事業に号令を出し、私的な有識者懇談会が発足している。 
当の石原都知事は、慎重姿勢を見せているらしいが、果たして・・?。


国道2号線は、いよいよ姫路に達した。 そして、天下の名城、国宝・姫路城は国道にほぼ接していた。

次回は、待望の「姫路城」



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