2010年12月17日金曜日

日本周遊紀行(56)神戸 「大楠公と湊川の戦い」

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 日本周遊紀行(56)神戸 「大楠公と湊川の戦い」  ,


皇将・楠木正成はこの地で散った

前項で記した「源平一の谷合戦」が行われたすぐ近辺に位置する神戸・兵庫区「湊川」は、その後も軍事上の拠点ともなり、 150年後の南北朝時代において最後の決戦が行なわれた所でもある。

南朝・後醍醐天皇の「建武の中興」で天皇を支えた「楠木正成」が、反旗をひるがえし京都奪回を目指す北朝軍・足利尊氏との最後の決戦に臨むため、京都から兵庫に下る。 
途中、「桜井」(京・大阪の中間地、大阪府三島郡島本町桜井)の地まで同行していた長子・正行(まさつら)には、この地で別れて故郷(河内国石川郡赤坂村:現大阪府南河内郡千早赤阪村)へ帰るように命じる。 
正行を呼び「この世でお前の顔を見るのも最後だ。自分が死ねば尊氏の天下になろうが、命を惜しんで長年にわたる天皇への忠義を捨ててはならない」と諭す。  

別れた正成は、味方わずか七百余の勢力で、迫り来る数万の足利尊氏軍を湊川の地で迎え討ち、激戦の末に破れ華と散る。(湊川の戦い・1336年,九州から東上した足利尊氏の軍が兵庫・湊川で新田義貞・楠木正成らを破った戦い)
後に正行は、湊川の戦いで父の正成が戦死したことを知り、覚悟していたこととはいえ父・正成の首級が届き、ショックのあまり自刃しようとしたが母に諭されてる。
その後は父の遺言どおり南朝方として戦い、1348年に行われた「四條畷の戦い」(河内・四條縄手)において敗北し、自刃している。



現在の神戸市中央区・神戸駅北口正面には、楠木正成・正季兄弟終焉の地として正成ら楠木一族を祭神に祀った「湊川神社」があり、徳川光圀(水戸黄門・・?)自筆の「嗚呼忠臣楠子之墓」の忠魂碑などが存在する。

楠木正成の命日は、670年前(1336年)の5月25日であり、偶々(たまたま)、小生の道中の昨日に当たる。 
地元・湊川神社では明治5年、殉節された5月25日に鎮座したことも併せて、氏子等が私祭としての「楠公祭」が行われ、大楠公を大将とする騎馬武者行列などが執り行われた。(官祭は新暦7月12日が例祭日)


桜井の別れ』 詞、落合直文 曲、奥山朝恭

青葉茂れる 桜井の       正成涙を うちはらい
里のわたりの 夕まぐれ     わが子正行 よび寄せて
木の下蔭に 駒とめて      父は兵庫に おもむかん
世の行く末えを つくづくと    かなたの浦にて 討死せん
忍ぶ鎧の 袖の上に       いましはここまで 来つれども
散るは涙か はた露か      とくとく帰れ ふるさとへ

この歌は、昭和の初期まで国民的に慕われ、歌われた。

鎌倉時代以降は武家政権が続いたが、明治期になって再び朝廷政治へと戻る。 明治政府は、皇家の最大の忠臣者・英雄として、湊川の戦いで戦死した「楠木正成」 を祭神とした 「湊川神社」(神戸駅前・兵庫県神戸市中央区多聞通)を創建している。 
東京駅前の皇居外苑には、出陣する姿の正成の銅像が建立され、皇居の守りについている。



神戸は、江戸時代には鎖国政策のもとで外国貿易は途絶えていたが、国内では西廻り航路の北前船や内海回船の国内の要港として栄えた。
だが、江戸末期の1858年(安政5年)、日米修好通商条約により開港が決められた。 
その後、江戸幕府の軍艦奉行であった勝海舟は、海防のため幕臣の教育施設として、この地に「海軍操練所」を設立、明治維新に多大な功績を残した坂本龍馬が塾長を勤めている。 
これをきっかけに「兵庫港」として開港し、同時に外国人居留地ができ始め、西洋文化の入り口として発展し、「神戸」の名が著名になっていった。 
神戸」(名前の由来は前項で記した)は、勅命により正式に名付けられたという。

次回、「阪神大震災



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