2010年12月14日火曜日

日本周遊紀行(55)宝塚 「女の城に日本の紳士」

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日本周遊紀行(55)宝塚 「女の城に日本の紳士」 ・



女の城に日本の紳士がいた・・!  、


尼崎での鎮痛な気分を切り替えて、有馬温泉へ向かうため幹線道2号線から地方道42号を北上し、先ずは宝塚方面へ進む。 
阪神の沿岸地区の所謂、産業地区から、ようやく離れて新鮮な緑や川面の緑青が目に付き心が癒される。 西の方角は六甲の山並みが見え、緩やかな傾斜を辿りながら延びてきて、やがてこの辺りの武庫川を境に平地となっている。 

宝塚、西宮郊外、芦屋は六甲の山裾が東、東南へ延びて丘陵地形造り、阪神地区のベットタウンとして発展している。 
特に、芦屋地区は、当時は別荘地としても有名であった。 武田繁太郎の昭和30年代・芦屋マダムの生態を描いた「芦屋夫人」が猥褻(わいせつ)小説かどうかは別にして、当時流行の「有閑マダム」の代名詞になったのは事実である。 
宝塚市は、小林一三氏が手がけた阪急電鉄経営の宝塚歌劇が有名であり、美しき女性専門の歌劇団の所在地でもある。 又、関西の奥座敷として、温泉や芦屋市・西宮市とならんで高級住宅地としても知られる。


夕刻時分とあって、街へ近ずくにしたがい、R176と中国道の宝塚I・C付近からは一段と賑やかかさが伝わってくる。 間もなく緑豊かな公園の中に「手塚治虫記念館」(「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「火の鳥」などアニメ、漫画で知られる手塚治虫は宝塚出身)があり、その隣に巨大な建造物、赤い屋根の豪奢な建物が直ぐ目の前に現われてきた。
赤茶のスペイン風瓦屋根と白壁の外観が際立つ、南欧のお城をイメージしたと言われている宝塚歌劇団の本拠地、「宝塚大劇場」である。
数々の名公演や名女優を輩出した女性憧れの地、女の園であり、又、東京宝塚劇場や東宝系の映画制作、映画館の元祖とも言うべき本山でもある。

 
宝塚という場所は、元々は温泉地であったらしい。
宝塚電鉄並びに宝塚歌劇団の創始者小林一三翁が鉄道の乗客誘致のために温泉を作り、その余興として1913(大正2)年16人の少女によって結成された「宝塚唱歌隊」が宝塚歌劇団の前身であった。 そして翌年の1914年(大正3年)、プールを改造した劇場で初演の幕が上がり、間もなく1世紀にわたる歴史が始まったという。


宝塚歌劇団とは、阪急東宝グループを母体とする男役も女役もすべて女性が演じる劇団で、(スタッフは男性もいる)本拠地は兵庫県宝塚市の当地において、花、月、雪、星、宙(そら)の五つの組が交代でレビューや芝居を公演している。 
劇団員になるには、「宝塚音楽学校」への入学競争率約40倍・・!、「東の東大、西の宝塚」と言われるほどの難関を卒業する必要がある。 音楽学校時代の二年間の予科、本科。入団してからの研究科、と宝塚歌劇団そのものが大きな学校である。
各組には、トップスター、トップ娘役がいて主にこの二人を中心に舞台は作り上げられるという。
歌劇団退団後も、芸能界で活躍する女優も多く、大地真央、黒木瞳、天海祐希等、又、扇千景元国土交通相も宝塚歌劇団出身である。 小生の好きな「ズカ・ジェンヌ」OB・・否、OGは八千草 薫であったが・・!これは余計・・。



次に、今度は女性の事でなくは男性の事なのである 、

話は大きく転じて、
先の大戦(太平洋戦争)での敗戦の結果、占領軍が上陸して大臣、閣僚のお偉方が平身低頭して右往左往する中、ただ一人、占領軍・司令長官・マッカーサーに「NO」といった男・「白州次郎」のことである。 
この地、宝塚市は白洲家の出身地であり、白洲次郎は1902年(明治35年)、に生まれている。 
英国留学、更に英国赴任の時、駐英大使だった「吉田 茂」と面識を得、終戦時、英語が極めて堪能な彼は、終戦の始末を就けるべく吉田 茂の側近として、終戦連絡中央事務局(終連)の参与に就任する。

先ずエピソードを一つ、
彼は年末の或る日、天皇陛下からマッカーサー一家に贈るクリスマスプレゼントを託され、丁寧に手渡そうとした。マッカーサーは「その辺に置いておけ」というニベもない仕草を見せた。その瞬間、白洲は怒りを爆発させ、「いやしくもかつて日本の統治者であった者からの贈り物を、“その辺に置けとは何事か・・!”」と、そのままプレゼントを持ち帰ろうとした。驚いたマッカーサーは彼に陳謝し、テーブルを用意して鄭重に贈り物を置いたという。 これらの振る舞いにマッカーサー及びGHQは、白洲を「占領下、ただ一人の従順ならざる日本人」と評している。
GHQに従い、日本国憲法の起草に尽力した白洲は「この憲法はGHQによって創られたものであり、後に日本国民自身の手によって、作り替えねば、戦後は終わらない・・!」と称している。 
彼の一言は重要である・・!!、あれから今日までの幾星霜、「日本国憲法」はどうなっているか・・??。

サンフランシスコ講和会議の吉田茂首相の演説の場面は、時折、終戦記念などでTVでも放映されているが、この時予定としてはGHQと外務省が用意した演説原稿を英語で話すはずだった。 
これを知った白洲次郎は「日本は戦争に負けたのであって、奴隷になったのではない」と怒って、大きな巻紙に全文・日本語に書き換えて首相に渡したという。
吉田首相に独立国の面子として日本語で演説するように諫言し、実際、首相は羽織袴姿でテーブルの前に立ち、大きな巻紙をクルクル開きながら日本語で演説していたのである。 

白洲次郎は、185cmの長身、流暢な英語力、それに持って生まれた明晰な胆力で占領軍・米国首脳陣と対等に渡り合ったのである。そして条約締結、日本の独立が叶った時、秘書官として同行していた宮沢喜一(元総理)は、初めて白洲が泣くところを見たという。 
吉田茂も、白洲を高く評価し「白洲三百人力」と呼んだ。

その後、白州は、少資源国日本が生き残る道として、産業政策を輸出主導型へ転換させようと、「通産省」を設立するなど白洲と吉田は一蓮托生となり、吉田が退陣すると自らも政界から姿を消し、実業界へと転進し活躍するのである。
幼なじみの作家・今日出海(こん ひでみ)に「育ちのいい生粋の野蛮人」と評された白洲次郎は、「葬式無用、戒名不要」の言葉を残して、1985年(昭和60年)、83歳で世を去った。

ところで、その日本国憲法は、1947年に施行されて以来改正されたことはない。 
日本国憲法施行以来、自衛隊の合憲化や天皇性などを提言する側から、憲法草案がいくつも発表されてきた。そして、時の政権、自民党(自由民主党)の政策には、憲法改正が優先政策事項として挙げられ、「憲法改正草案大綱」なども作成しているが、いずれも保留又は撤回されている。
2006年、小泉総理から若手の安倍 晋三内閣総理大臣(2006年9月)へバトンタッチされてからは、彼の信条である憲法改正論議がようやく活発になってきた。 安倍総理は政策の中で、施行60周年を迎えた日本国憲法を改正すると宣言し、総理就任後の国会でも「現行の憲法は、日本が占領されている時代に制定され、60年近くを経て現実にそぐわないものとなっている、しかるに21世紀にふさわしい日本の未来の姿あるいは理想を憲法として書き上げていくことが必要と考えている」と述べ、日本国憲法の改正手続に関する法律案を、2007年の通常国会での成立を目指すとしており、 2007年夏の参院選では憲法改正を最大の公約に掲げている。

このブログを書いている最近(2008年11月)になっていて、現在の総理大臣は代わりに代わって麻生太郎氏である。 奇しくも麻生太郎は、当時、憲法草案に当たった吉田茂の孫である。 果たして、吉田茂の側近であった白洲氏が、「GHQによって創られた日本国憲法は、作り替えねば戦後は終わらない・・!」と言わしめた現憲法の事が、麻生氏の頭の中に有るかどうか・・?見守りたい・・!!。
特に憲法問題は、北朝鮮における拉致(人攫い問題)を含む南北統一問題、北方における領土問題、中国の東シナ海問題にも関連してくる・・!。

【追記】
NHK総合が、激動の昭和史を駆け抜けた一人の「侍」―白洲次郎・伝説の生涯を初ドラマ化!放送は2009年2月28日(土)から放送された。
白洲を異色の俳優・伊勢谷友介、妻の正子を中谷美紀が演じるほか、岸部一徳(近衛文麿役)・原田芳雄(吉田茂役)など白洲の親子愛・夫婦愛を描いている。


大阪、尼崎、宝塚と巡って記録に留めたい事がある・・、
1995年(平成7年)1月17日、阪神大震災が発生してから丁度10年目に当たる。 
道中巡って震災跡らしきものは全く見ていない。 巡った辺りは震源よりやや外れていたため、被害は軽微だったのであろうか・・?、又は完全復興したのであろうか・・?、
しかし、宝塚歌劇団の本拠地・宝塚大劇場は大きな被害を受けたようで、およそ2ヵ月半の間公演不能の状態になったという。
午前5時46分52秒、淡路島北部を震源として発生した(大都市)直下型の大地震である。 地震による揺れは、阪神地方の一部で震度7の揺れを観測した。死者:6,433名、 負傷者:43,792名、避難人数:30万名以上、被害総額:10兆円規模といわれる。 大都市を直撃した都市型災害としては関東大震災以来の未曾有の出来事であり、道路・鉄道・電気・水道・ガス・電話などライフラインは寸断され広範囲で全く機能しなくなった。

尚、「阪神大震災」については、更に「神戸」の項で記載します。

次回は、「有馬温泉」



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