2010年9月15日水曜日

日本周遊紀行(2)浦賀 「開国の町」

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 日本周遊紀行(2)浦賀 「開国の町」 



(クリック大)
嘉永6年(1853年)、黒船に乗ったペリー提督率いる米国艦隊が上陸した地に、「記念碑」(伊藤博文の筆)が立ち、奥の方に「ペリー記念館」が建つ



   『 太平の 眠りを覚ます 蒸気船 
             たった4杯で 夜も眠れず
 』

浦賀は、嘉永6年6月9日(1853年7月14日)、アメリカ合衆国東インド艦隊司令官ペリー提督が 日本上陸の第一歩をしるした地である。 
ペリー提督の一行はアメリカ人として初めて日本の土を踏み、アメリカ合衆国大統領の親書を幕府側の代表奉行に手渡し、日米の友好と通商を求め、港を開くよう要求した。

はじめは鎖国政策を押し通そうとした幕府も、欧米の最新の文化、強力な軍事力を目のあたりにし、時代の潮流には抗しきれず、ついに長い間の鎖国政策を転換して、翌、嘉永7年3月3日(1854年3月31日)、再び伊豆の下田へ来航したペリー提督との間で「日米和親条約(神奈川条約)」を結び、下田、函館の2港を開港した。
日本は世界に向けての第一歩を踏みだし、「日本の近代化」がここから出発したといってよい。

   『 泰平の 眠りを覚ます 上喜撰 
            たった四杯で 夜も眠れず
 』

こちらは、江戸庶民が詠った狂歌である。

うららかな日に、たった4杯の高級なお茶(上喜撰)で眠気がすっとび不眠になってしまったように、たった4隻の黒船(蒸気船)による開国の要求に日本は平和ボケから目を覚まされ、開国以外に選択の余地のないところへ追い込まれた・・と、幕政に対して失笑しているのである。 

江戸中期、この浦賀に陸の関所ならぬ海の関所といわれる広大な奉行所が置かれていた。
江戸の発展増大に伴う人口の流入、商品流通を掌握するため、江戸に近く港も広い浦賀港が下田より移されたと考えられている。
小さな藩の転封(諸大名の領地を他へ移しかえること。移封、国替)みたいなものだ。
下田奉行の守をはじめ、下田奉行所に付属する一切の施設、役人、回船問屋の人々まで浦賀に移り住んだという。戸数10数戸の小さな漁村だった浦賀の町は、そのために1000戸にも以上にも達し、相模国では小田原に次ぐ街に膨れ上がったという。

業務内容は、船の積み荷の検査(船改め)、海の関所、三浦半島の天領(幕府の直轄地)の支配、沿岸警備、海難救助、地方行政、警察、裁判所など。
江戸後期には外国船が来航するようになり海防の仕事も加わって更に忙しくなったという。海防の指揮や監督、外交交渉の窓口として、浦賀奉行所の重要性が増大し、地位も長崎奉行の上席に昇格した。
この奉行所は、1868(慶応4)年、幕府滅亡により廃止された。


横須賀港と浦賀港は歴史的同義で繋がっている・・、

横須賀と浦賀の街について簡単にいってしまうと、横須賀は近代海軍によってひらかれた街であり、主にそこで働く職人たちの街として繁栄した。 
一方、浦賀は元々「開国の町」であり、それによって海防の総合力が発揮され、豪商や財力で「浦賀ドック」に見られるように造船技術も発達し、栄えた港町であった。


浦賀ドックについて・・、

浦賀での造船の歴史は1853年(嘉永6年)のペリー来航まで遡る。
この時幕府は大船建造禁止令を解いて浦賀造船所を設置、直ちに軍艦の建造を始め7か月を掛けて国産初の洋式軍艦「鳳凰丸」を建造したところである。
また1859年(安政6年)には日本初のドライドック(船の建造や修理などを行う施設)が完成し、アメリカへ向かうための咸臨丸の整備が行われている。

戦時下では戦艦を造り続け、特に駆逐艦の造船は有名であると。
戦後も自衛艦艇建造を続け、米空母ミッドウェイの大規模改修や日本丸建造なども行われたという。そして浦賀地区は工場集約のため近年の2003年(平成15年)に閉鎖された。
現在、浦賀船渠の第1号ドック(通称浦賀ドック)は世界に4か所にしか現存していないレンガ積みドライドックのうちの一つであり、国内でも明治期のものとして「浦賀ドック」は貴重な文化遺産である。


今と昔の差異はあろうが、三浦半島先端に発達した海防の町は、どちらも大江戸そして大東京を守る(かなめ)なのであり、国防の港であった。
一昨年(2003年)、日米開国150周年に当たりワシントンでその祝賀行事が小泉総理とブッシュ大統領の下で行われた。


現在は浦賀は行政上横須賀市に統合されたものの、歴史が異なるため居住者の意識にも若干の差異があるといわれるが・・?。

この浦賀港を今は久里浜港と称している。
三浦半島と房総半島、久里浜・金谷を結ぶフェリーが片道40分で往来している。
ここは広い東京湾の出入口に当たり直線距離で15kmと最狭部になっている、晴れた日には東京湾を往来する大小多数の船舶が望めるところでもある。

次回は、「湘南・葉山」



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