2014年6月9日月曜日

21、世界遺産;厳島神社の仮設  「厳島神社は中国にモデル」








  21、世界遺産;厳島神社の仮設  「厳島神社は中国にモデル」  




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 厳島神社は中国にモデルがあった・・!

中国南部にある普陀山。これをモデルにして厳島神社を造ったというのです。
その根拠はどこにあるのでしょうか?

揚子江の河口にある小さな島、普陀山。
中国の人は、普陀山によくお参りにいくそうです。
普陀山には大きな観音様がたっています。中国仏教で最も知られている観音の聖地でした。分け隔てなく人々の祈りに応えてくれる観音信仰は、10世紀ごろから中国に広く浸透していました。

この普陀山が厳島神社のモデル?!
その証拠は厳島神社の中にあります。
清盛は神社を建てたのに、仏教の聖地をモデルにしたの?
この質問こそ、厳島神社の謎を解く最大のポイントです。
本堂の真後ろ、”不明門”(あかずのもん)を見ると・・・
清盛が壮大な夢を仮託した観音様が安置・奉納されていたというのです。
が、今は別の場所に奉納・・・この観音像は、厳島の中腹にある大聖院というお寺に安置されています。
大聖院は、平安時代に創建された厳島で最も古いお寺です。
そこに、十一面観音がありました。奈良時代のものと伝えられています。
清盛の時代は、神と仏が混合する神仏習合の時代だったのです。

どうして、観音様を信仰していたのでしょうか?
観音様は「抜苦与楽」( バックヨラクとは、仏や菩薩が衆生の苦しみを抜いて福楽を与えることをいう)、つまり清盛の時代は混乱の時代、この思いを込めて祈っていたのではないでしょうか。

明治の初め、廃仏毀釈・神仏分離令によって神社から仏教的なものが分けられたので、ここ宮島も神の島でもあり、実は仏の島でもあったのです。

清盛の観音信仰は「平家納経」にも表れています。一門が、自らの祈りを込めて写経したものです。
その冒頭には、清盛自身が記した「願文」があります。
そこには・・・
「当社は観世音菩薩の化身なり。」とあります。
つまり、清盛が厳島神社を建てた理由は、観音への信仰だと思われます。
観音信仰が、厳島神社と普陀山を結びつけているというのです。



次回、  「厳島神社と海上神殿」







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