2014年6月17日火曜日

28、世界遺産;厳島神社の仮設  「平家滅亡と厳島神社」







  28、世界遺産;厳島神社の仮設  「平家滅亡と厳島神社」  






当時宋は、北方民族「金」(今の中国東北地区・満州)の侵略を受けていました。
武器の確保は、宋にとって最重要課題だったのです。
清盛は、非常に優れた情報収集能力を持っていて、当時の東アジアの情勢については”自分の手のひらを見るように詳しかった”のです。

宋が弱体化している今こそ、平等な貿易関係を築くことが出来る絶好のチャンスだと思っていました。
清盛は、非常に優れた戦略化であり、偉大な外交家だったのです。

当時は、海に出ることはとても危険でした。
貿易都市として栄えた寧波。そんな貿易に携わる人にとって心のよりどころとなったのが、普陀山でした。
宗教都市・普陀山と貿易都市・寧波が近くにあるという関係は、必然でした。


これは、厳島神社と福原の関係と似ています。
つまり、日宋貿易で重要な位置にあったのが、厳島神社でした。
厳島は、日宋貿易の入口であり出口なのです。

清盛は、貿易と宗教の相乗効果を知っていたのです。日宋貿易によって日本の国力を高め、同時に信仰の聖地として厳島神社を築き上げたのです。

とはいえ、鎌倉幕府も貿易を念頭に置いていたので、この厳島の修繕には力を入れていました。
平家は滅びたものの、厳島神社に残された観音信仰そのものが機能していたので、厳島は残ったのではないでしょうか?

今から800年以上前に建設された海上神殿・厳島神社。
今も輝き続けています。
そこにはまだまだ知らない謎が眠っています。


本稿、終わり、








【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ    seesaaブログ   FC2 H・P   gooブログ   忍者ブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」





2014年6月16日月曜日

27、世界遺産;厳島神社の仮設  「厳島神社;中国貿易と仏教」







  27、世界遺産;厳島神社の仮設  「厳島神社;中国貿易と仏教」  




 http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7b/Owadanotomari-iwakura.jpg/800px-Owadanotomari-iwakura.jpg


http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/thumb/f/fc/Nanso-sen.jpg/800px-Nanso-sen.jpg





中国貿易成立の秘密とは仏教と厳島神社だった。

兵庫県神戸、日本最大級の国際貿易港です。
ここで、新たな遺跡が発見されました。

発見されたのは、800年以上前、平安末期の権力者の邸宅でした。
珍しい海外製品・白磁・青磁などです。

宋の時代に造られたものでした。それは、盛んに宋と日本が貿易していたことが解ります。
宋銭が発見されており、それは、日本の貨幣経済の始まりでした。
清盛は日宋貿易の為に福原に居をうつし、貿易を拡大させていきました。

まず福原に巨大な港を築き、宋の船が瀬戸内海を通って福原に来れるようにしました。
対等な貿易関係を築きましたが、そこには、巧みな外交戦略がありました。

政治・経済・文化のtopを走り続けてきた中国、その中国と対等な貿易関係を築くために、仏教を利用したのです。
清盛は中国・寧波の寺から仏舎利を得ていました。これは、中国の仏教勢力の仲間入りをした証拠です。
この仏教勢力を利用して日宋貿易をしたのです。

切り札の輸出品は、硫黄。硫黄は火薬の原料となり、武器を造るのに必要不可欠でした。
当時宋は、北方民族「金」の侵略を受けていました。武器の確保は、宋にとって最重要課題だったのです。
清盛は、非常に優れた情報収集能力を持っていて、当時の東アジアの情勢については”自分の手のひらを見るように詳しかった”のです。

宋が弱体化している今こそ、平等な貿易関係を築くことが出来る絶好のチャンスだと思っていました。
清盛は、非常に優れた戦略化であり、偉大な外交家だったのです。


次回、 「平家滅亡と厳島神社」








【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ    seesaaブログ   FC2 H・P   gooブログ   忍者ブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」



2014年6月15日日曜日

26、世界遺産;厳島神社の仮設  「厳島神社;普陀山と平清盛の関係」







  26、世界遺産;厳島神社の仮設  「厳島神社;普陀山と平清盛の関係」  
















普陀山と平清盛の関係

穏やかな瀬戸内の海に浮かぶ朱塗りの神殿・世界遺産 厳島神社です。
築かれたのは今から800年ほど前、平安時代の寝殿造りの建築美で、世界遺産のその登録理由は、「自然と一体となった社殿は唯一無二のもので、日本人の美意識の基準となっています。

史上例のない大胆な発想で行われた海上神殿の建設、その偉業はひとりの男によってなされました。
平安時代、武家の棟梁として最大の権力を誇った平清盛です。
武力で瀬戸内海を制し、大躍進を遂げていった清盛、厳島に平家一門の繁栄を願い海上神殿を築きました。

平清盛とはどのような男だったのでしょうか?
武士として生まれた清盛は、瀬戸内の海で名を挙げ、海賊たちを武力で制圧、「武士が世の中を変える」世界を作りました。
しかし、清盛がなぜ海上神殿を築いたのか?その謎は明らかにされていません。
何故、どのようにして海上神殿を築いたのでしょうか?



次回、「厳島神社;中国貿易と仏教」







【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ    seesaaブログ   FC2 H・P   gooブログ   忍者ブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」


2014年6月13日金曜日

25、世界遺産;厳島神社の仮設  「厳島神社と普陀山の補陀落とは」







  25、世界遺産;厳島神社の仮設  「厳島神社と普陀山の補陀落とは」  





http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8b/20090606_Putuoshan_8807.jpg/1024px-20090606_Putuoshan_8807.jpg
中国・普陀山の海辺の洞窟


http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/99/Taizita.jpg
普陀山多宝塔





中国・普陀山の島には南海観音の巨大な像があり、これは新し1997年に作られました
。この台から南方の海を見渡す風景は絶景です。

そもそも普陀山が観音の聖地と見なされるに至ったのは、日本人僧の慧鍔が唐代に観音像を日本に将来しようとして、その観音像がここから動かなくなったため、奉じて観音の庵を作ったことが発端となっているとのことです。

ここは日本のお寺が協力して建てたようで、日本の各地の観音菩薩の模像が数多く安置されています。



お坊さんの数も多く、仏教学院が島内にもあります。
しかし、なんといっても圧倒的だったのは信徒の姿で、数も多く、また非常に真摯に祈る姿が印象的です。
観光が普遍的になる中、中国全土からお客が訪れる地となっているようで、仏教と観光と、ともに力強く復興している様子が強く感じられます。


当地が観音霊場となった由来は、後述の「普済禅寺」の項にも記述される通り、916年、中国への渡来僧である慧萼(えがく)が、中国留学を終えて日本に帰国しようとした際、日本に招来しようとした観音菩薩が当地で
日本に渡ること拒んだ(=不肯去)、という故事にちなんでいる。

よって、その観音菩薩は「不肯去観音」と称されており、そのお堂は「不肯去観音院」と呼ばれる。
以後、この舟山群島中の普陀山は、観音菩薩の浄土である補陀落に擬せられ、人々の信仰を集める中国有数の霊場となり、「普陀山」という名称の由来も浄土を意味する補陀落からきています。


次回、「厳島神社;普陀山と平清盛の関係」







【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ    seesaaブログ   FC2 H・P   gooブログ   忍者ブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」




2014年6月12日木曜日

24、世界遺産;厳島神社の仮設  「厳島神社と中国の観音信仰」 







  24、世界遺産;厳島神社の仮設  「厳島神社と中国の観音信仰」  




http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/lrg/27/28/70/lrg_27287074.jpg?20121121220622
宮島の観音院・大聖院山門



 http://menamomi.net/miyazima/daisei4.jpg
宮島の観音霊場・大聖院





普陀山(観音菩薩) 中国の浙江省北東部,舟山島の港から入ると、すぐに山門があります。すでに熱心な信徒の団体を多く見かけました。それも1つ2つではありません。また、普陀山全体は驚くほどきれいです。 中国はどこの都市もゴミ汚れていますが、さすがに普陀山では少なく訪れる人は信徒が多く、観音の霊場を汚すことに気をつかっているためだとされています。

普陀山には奇岩が数多くありますが、特に有名なものがこの「磐陀石」です。観音菩薩が説法する場とも言われてますが、微妙なバランスで岩が載っています。
手で押したら崩れそうなほどです。
むろん危険なので、人はこの岩の上には乗ってはいけないことになっています。

心字石、巨大な「心」の字が書かれた岩です。縦5メートル X 横7メートルの心という字は、どのような由来で、誰が書いたのかはよく分かっていません。
普陀山の中心的な寺院となるのが、この普済寺です。続に「前寺」とも呼ばれ、観音信仰の中心地です。 
前身は、そもそもここが観音菩薩の聖地となった由来のある不肯去観音院です。

明や清の時代に何度も増築されたが、むろん文革による破壊を経て、1980年代に改装が行われています。
観音菩薩を祭る本殿は、円通宝殿と呼ばれます。 この本殿の前に天王殿があり、その前は門と大きな池があります。門の外はお線香や紙銭や法具を売るお店でひしめいています。
ここから島の北に向かい、ロープウェイで仏頂山に登ることになります。

仏頂山の上には慧済寺があります。
ここでは熱心な信徒の姿を多く見かけました。寺までは千余段の階段があるのですが、それを「三歩一拝」しなていく人もいます。 口に観音の称号を唱えながら、たいへん熱心な様子でした。
こういった信徒も、1人や2人ではありません。


次回、「厳島神社と普陀山の補陀落とは」










【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ    seesaaブログ   FC2 H・P   gooブログ   忍者ブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」





2014年6月11日水曜日

23、世界遺産;厳島神社の仮説  「厳島神社と中国の普陀山」 







  23、世界遺産;厳島神社の仮説  「厳島神社と中国の普陀山」  






http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/16/20090606_Putuoshan_8818.jpg/800px-20090606_Putuoshan_8818.jpg
中国の普陀山の寺院



 http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1d/20090606_Putuoshan_8786.jpg/398px-20090606_Putuoshan_8786.jpg






中国・浙江省の普陀山(観音菩薩)

中国の浙江省北東部,舟山島の東部海上にある小島で普陀県に所属する。
五代の後梁の貞明2年(916),日本僧の恵鍔(えがく)が五台山より帰国の途中,ここに観音像をまつり,寺を建ててから人々の信仰を集め,観音の霊場として中国仏教徒の四大名山の一つとなったとされます。
前後2山の仏寺群からなり,前山は普済寺,後山は法雨寺が中心で,遊覧避暑地としても有名である

中国仏教の聖地は、四ヶ所あり、四大仏山とも称されます。 これは、文殊・普賢・地蔵・観音の四大菩薩がそれぞれ住むと信じられているところです。
即ち、山西省の五台山(文殊菩薩)、四川省の峨眉山(普賢菩薩)、安徽省の九華山(地蔵菩薩)それに浙江省の普陀山(観音菩薩)のことです。

これら諸山の文化的背景や歴史はそれぞれ異なりますが、現在では仏教信仰の中心であり、また多くの観光客が訪れる地ともなっています。 
ここで、浙江省の普陀山を一寸詳しく紹介します。
先ず普陀山、と聞くと山岳地帯と思ってしまうかもしれませんが、実際には島を指します。 浙江の舟山群島には様々な大小の島嶼がありますが、その中に普陀山があります。つまりは南海に浮かぶ島です。
これはすなわち、伝承では観音菩薩が南海の島にいると考えられていることによるものです。
その名称は、「ポータラカ」=「普陀落迦」という音写語からきています。
面積はだいたい12平方キロメートル、大きな島ではありません。


普陀山は現在では普済寺・法雨寺・慧済寺(仏頂山寺)等を中心に、大小の寺院と多くの観音菩薩にまつわる遺跡が存在しています。 僧侶の数も多く、盛んに法要が営まれています。 また全国から観音菩薩を拝する人が訪れ、観光地としても有数の地区になっています。
普陀山へは、上海からフェリーで行く方法もありますが、高速道路で「寧波」(にんほー) へ、その後舟に乗って舟山市へ、さらに沈家門という港から快速艇に乗り、普陀山へ向かいます。



次回、「厳島神社と中国の観音信仰」






【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ    seesaaブログ   FC2 H・P   gooブログ   忍者ブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」




2014年6月10日火曜日

22、世界遺産;厳島神社の仮設  「厳島神社と海上神殿」







  22、世界遺産;厳島神社の仮設  「厳島神社と海上神殿」  












なぜ、これほどまでの海上神殿を造ったのでしょうか・・」?

長野県・定勝寺には、厳島と普陀山を結びつけるてががりが残っています。
鎌倉時代のものとされる掛け軸、そこに描かれていたのは普陀山の絵でした。
普陀山の信仰が、日本にも伝わっていたのです。
そこに書かれている潮音堂には、洞窟の中で海の上に建つ観音様が書かれています。
この潮音堂が、厳島神社の原点だというのです。

確かに普陀山には潮音堂があり、観音様が修業をしたと言われています。
仏教では、修業の際周りの音が重要で、観音様は海の音によって心を落ち着かせ、悟りに至ったのだそうです。
海と観音は、古来より深く結びついていたのです。

そして、清盛が築いた海上神殿、それは、海に建つ観音そのものに思えるというのです。
その社殿は、波の音が聞こえる海の上になければなりませんでした。
選択肢はなかったのです。

記録によれば、清盛は厳島神社で大法要を行っています。
僧の人数は南北の回廊に各500人。
回廊には1万を超える松明が焚かれ、僧千人による読経が海に鳴り響きました。
清盛が催したこの千僧供養は海上神殿・厳島神社を人々に深く印象付けました。



次回、「厳島神社中国の普陀山」










【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ    seesaaブログ   FC2 H・P   gooブログ   忍者ブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」




2014年6月9日月曜日

21、世界遺産;厳島神社の仮設  「厳島神社は中国にモデル」








  21、世界遺産;厳島神社の仮設  「厳島神社は中国にモデル」  




http://www.miyajima-wch.jp/common/img/itsukushima/jinjya02.jpg



http://livedoor.blogimg.jp/tabinozasshi/imgs/4/0/402e88cb.JPG





 厳島神社は中国にモデルがあった・・!

中国南部にある普陀山。これをモデルにして厳島神社を造ったというのです。
その根拠はどこにあるのでしょうか?

揚子江の河口にある小さな島、普陀山。
中国の人は、普陀山によくお参りにいくそうです。
普陀山には大きな観音様がたっています。中国仏教で最も知られている観音の聖地でした。分け隔てなく人々の祈りに応えてくれる観音信仰は、10世紀ごろから中国に広く浸透していました。

この普陀山が厳島神社のモデル?!
その証拠は厳島神社の中にあります。
清盛は神社を建てたのに、仏教の聖地をモデルにしたの?
この質問こそ、厳島神社の謎を解く最大のポイントです。
本堂の真後ろ、”不明門”(あかずのもん)を見ると・・・
清盛が壮大な夢を仮託した観音様が安置・奉納されていたというのです。
が、今は別の場所に奉納・・・この観音像は、厳島の中腹にある大聖院というお寺に安置されています。
大聖院は、平安時代に創建された厳島で最も古いお寺です。
そこに、十一面観音がありました。奈良時代のものと伝えられています。
清盛の時代は、神と仏が混合する神仏習合の時代だったのです。

どうして、観音様を信仰していたのでしょうか?
観音様は「抜苦与楽」( バックヨラクとは、仏や菩薩が衆生の苦しみを抜いて福楽を与えることをいう)、つまり清盛の時代は混乱の時代、この思いを込めて祈っていたのではないでしょうか。

明治の初め、廃仏毀釈・神仏分離令によって神社から仏教的なものが分けられたので、ここ宮島も神の島でもあり、実は仏の島でもあったのです。

清盛の観音信仰は「平家納経」にも表れています。一門が、自らの祈りを込めて写経したものです。
その冒頭には、清盛自身が記した「願文」があります。
そこには・・・
「当社は観世音菩薩の化身なり。」とあります。
つまり、清盛が厳島神社を建てた理由は、観音への信仰だと思われます。
観音信仰が、厳島神社と普陀山を結びつけているというのです。



次回、  「厳島神社と海上神殿」







【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ    seesaaブログ   FC2 H・P   gooブログ   忍者ブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」




2014年6月8日日曜日

20 世界遺産;厳島神社の仮設  「厳島神社の地形的背景」






  20 世界遺産;厳島神社の仮設  「厳島神社の地形的背景」  



 http://www.amagaeru.com/go/jigsaw/jig/lineup_img/e/3000/21_511.jpg


http://wallpaper.free-photograph.net/mid/yun_3935.jpg




 厳島神社はもともと陸地だった・・!

現在は海上に立つ厳島神社であるが、元々は陸地だった場所を清盛が掘って神殿を造ったという説があり、その根拠としては厳島を襲う土石流の実態だとも言われています。
厳島では200年に一度の割合で、弥山の山から神社を埋め尽くすほどの土石流が発生していて、近年ではあの枕崎台風でした。
1945年の枕崎台風から遡ること江戸時代中期の1739年、さらに室町時代の1541年にも土石流が発生しています。

つまり、200年に一度ずつ土石流が起こり、その都度厳島神社の海のところが埋まって陸地になってしまったとされます。
地質の脆い厳島では、清盛の時代の前から土石流が起こり陸地が形成されていたようです。
そうなると、現在は海であったところが本来は陸地であったと考えるのが自然だというのです。

ところが、今度は元々陸地だったところを人工的に掘って海を開き、その上に新しく社殿を造ったというふうに考えられるのです。
では、どのようにして海上神殿を築いたのでしょうか?
清盛は広大な土地を掘り、海の水を引き入れて、社殿を築いたというのです。

平安時代にこのような土木工事は可能だったのでしょうか?
鋤・鍬・固い樫の木の先には金具がついています。
当時の技術から、お寺や神社が造られているので、人海戦術を使えば可能だったと思われます。

厳島の100年前に建立された京都宇治の平等院、大きな池がありますが、極楽浄土を再現しようと人工的に作られた池なのです。
考古学や建築学から考えて、この時代に清盛が人工的に海を作り海上神殿を造ることは、可能だったと考えられます。

大胆な発想と、緻密な研鑽で清盛が造った海上神殿は、全ては海の上に建つことを前提に造られています。
平舞台や回廊は、優雅さだけではなく、本殿を高波から守ってくれます。
元々あった神社、創建から550年後、現在の海上神殿に改築したのが平清盛であり、彼は平家の氏神として厳島神社を篤く敬い幾度となく参詣に訪れました。










【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ    seesaaブログ   FC2 H・P   gooブログ   忍者ブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」



2014年6月5日木曜日

19、世界遺産;厳島神社の概説  「厳島神社の三女神」







19、世界遺産;厳島神社の概説  「厳島神社の三女神」





http://bluewood.whitesnow.jp/hikarinosizuku/blog/201211i/20.jpg


http://blog-imgs-60.fc2.com/a/i/r/airisujune/13101701+(2)_convert_20131019165628.jpg




厳島神社の三女神

宗像大社は宗像三女神を祀る神社です。
この宗像三女神は海運の守護神とされてきました。

福岡県宗像市田島の辺津宮(へつみや)に祭られているイチキシマヒメノカミ(市杵島姫神)、大島の中津宮に祭られているタギツヒメノカミ(湍津姫神)、沖の島の沖津宮に祭られているタゴリヒメノカミ(田心姫神)を、宗像三女神といいます。

記紀神話によれば、これらの三女神はアマテラスオオミカミ(天照大神)とスサノヲノミコト(素戔鳴尊)の「誓約(うけひ)」のとき、天の安河(あまのやすかわ)で産まれたと記述されています。

そして、厳島神社のご神徳ともされ海路守護、交通安全、豊漁、治水守護、国家鎮護の7神様でもあります。


因みに、海の神でもある宗像信仰では、もう一つの神社の宗像大社があります。

宗像大社も宗像三女神を祭っている神社で、全国六千社ある宗像神社の総本社で、福岡県宗像市にあります。



厳島神社は平清盛が造営した神社で、神託によって海上交通の要として宗像神を祀る神社を建てたそうです。
同時に神仏習合の時代であったので、僧の修行の島でもありました。

清盛は日宋貿易を発展させるために宋の港近くにある普陀山に倣って、厳島神社を造営したといわれています。
貿易船の目印になり、普陀山を通る際に船員らは無事を祈願し、逆に日本からやってきた者はここまで来て安堵したといいます。 

同じようなランドマークを清盛は厳島に求めたという考えが強いです。
そのため明治の神仏分離令によって神社となりましたが、背後の山は弥山(みさん)といい、明治まで本尊は普陀山と同じ観世音菩薩でした。 

宋船は厳島神社を通る際には安堵し、出るときは無事を祈願するという事をしたわけです。









【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ    seesaaブログ   FC2 H・P   gooブログ   忍者ブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」





18、世界遺産;厳島神社の概説 「清盛と平家納経」








18、世界遺産;厳島神社の概説 「清盛と平家納経」



http://www.nishida-s.com/main/categ4/miyajima/miyajima.files/miyajima-heikenoukyou-yakuou.JPG


http://www.nishida-s.com/main/categ4/miyajima/miyajima.files/miyajima-heikenoukyou-kanji.JPG










平家の栄華を今に伝える平家納経

厳島神社には平家の生み出した美の傑作である、国宝の「平家納経」が伝えられています。

これは長寛二年、清盛が平家の繁栄を願って厳島に奉納したといわれる三十二巻におよぶ経文で、制作には一門の一人ひとりがあたりました。

その豪華な装飾は他に比類を見ないもので、まさに平家の栄華の絶頂を示すものといえます。

現在、厳島神社宝物館に模写が展示されているので、ご覧になった方も多いと思いますが、各経文に華麗できらびやかな装飾が施され、神社に奉納する経文にこれだけの費用と手間をかけるものかと、あきれてしまう程です。

ここにも、やはり一門の総帥である清盛の“美意識”が反映されています。
貴族にはないスケールの大きさと、武士のもっていない華麗さを、その独特のセンスの中に併せ持っていた。それが清盛なのです。

平家の全盛時には六波羅や西八条などに邸宅を構えていた清盛ですが、六波羅の清盛邸「泉殿」や、福原にあった別荘の「雪ノ御所」も、おそらく豪奢なものだったことでしょう。

これらは、平家都落ちの際に一門の手で焼き払われてしまい、現在では目で見ることはおろか、どこの場所にあったかも定かではありません。実に残念です。



次回、 「厳島神社の三女神」










【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ    seesaaブログ   FC2 H・P   gooブログ   忍者ブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」




2014年6月3日火曜日

17、世界遺産;厳島神社の概説 「清盛の政治と美的感覚」







  17、世界遺産;厳島神社の概説 「清盛の政治と美的感覚」  




http://farm3.static.flickr.com/2468/3679124293_e187857cd0_b.jpg


http://image.dlift.jp/images/spotPhoto/worldheritage182_2_20120910114140.jpg




政治と美的感覚の不思議なバランス

水に社殿を浮かべるというアイデアは、まったく奇想天外ではありますが、忠盛の時代から日宋貿易を積極的に推進し栄えてきた「海の平家」にふさわしいものといえます。

このアイデアを思いついたとき、完成後の社殿の姿を、清盛がどのくらい正確にイメージしていたのかは分かりませんが、おそらく自身びっくりするくらいの出来栄えだったのではないでしょうか。  

もし、清盛がただ乱暴なだけの政治家であったなら、このような格調高く華麗な建築を作り出せたでしょうか。
ここには威圧するような押しつけがましさはなく、均整のとれた美があり、自然との調和があります。

これがあの横紙破りの「入道相国」の発案かと思えるほどです。
あれほど精力的な政治活動をしながら、一方でこのような歴史的文化事業を成し遂げる、そのバランス感覚には感服するほかありません。
 
また後年、清盛が奈良を焼き討ちにしたことから、清盛は信仰心のない人間であると思われているようですが、そのような世評も否定すべきものといえるでしょう。
清盛の厳島に対する思い入れは、まさに“熱狂的”といってもよい程のものがあり、平家の精神的支柱として一門をあげて尊崇していたのです。



次回、 「清盛と平家納経」








【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ    seesaaブログ   FC2 H・P   gooブログ   忍者ブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」




2014年6月2日月曜日

16、世界遺産;厳島神社の概説 「清盛の美の傑作・厳島神社」








16、世界遺産;厳島神社の概説 「清盛の美の傑作・厳島神社」





http://compora.com/Images/World-Heritage/itsukushima03.jpg


http://compora.com/Images/World-Heritage/itsukushima11.jpg





清盛による美の傑作「厳島神社」

清盛の美の傑作は安芸の厳島神社。 
そのアイデアといい、美しさといい、まさに日本の宝といえます。

現在、有数の観光地として知られる宮島は日本三景の一つにも数えられ、平成八年には厳島神社が世界遺産に登録されています。

古くは「伊都岐島」と呼ばれ、推古天皇の時代に造られて以来「鎮護国家の祠」「安芸国第一の霊社」として多くの人々の尊崇を受けてきました
。平家一門と厳島神社との関係は、清盛が安芸守だった頃からだと言われています。
平家物語には、清盛が勅命で高野山の大塔を修理した際、老僧が現れて「荒れ果てた厳島を修理して下されば、官位は肩を並べる人がないまでになります」と告げたので、清盛はこの老僧を弘法大師と信じて厳島の再興に尽力した、と語られています。
 

仁安二年(1167年)、太政大臣を辞任した清盛は、翌年に出家、風光明媚な福原に別荘を造営しました。
そして、厳島神社の造営も福原の整備とほぼ並行して行われたのです。

清盛は厳島神社の神主で家人でもある佐伯景弘を通して「華麗にして荘厳な社殿の造営」を朝廷に求め、景弘の「安芸の国司の重任の功」によって、それは認められました。

承安四年(1174年)には後白河法皇が、寵姫・滋子とともに参詣しており、高倉天皇も譲位後初めての参詣を厳島で遂げています。

その際、随行した公卿達は慣れない船旅に不平を言いながらも、実際に厳島を眺めると、その美しさに目を見張ったといいます。



次回、「清盛の政治と美的感覚」









【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ    seesaaブログ   FC2 H・P   gooブログ   忍者ブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」


2014年6月1日日曜日

15、世界遺産;厳島神社の概説 「厳島神社と清盛の美的感覚」







  15、世界遺産;厳島神社の概説 「厳島神社と清盛の美的感覚」  





 http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/76/Taira_no_Kiyomori%2CTenshiSekkanMiei.jpg/640px-Taira_no_Kiyomori%2CTenshiSekkanMiei.jpg



http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/07/Itsukushima_torii_distance.jpg/800px-Itsukushima_torii_distance.jpg







当時の貴族とは一風変わった清盛の美的感覚

“猛き者”平清盛を語るとき、武士として、または政治家としての清盛にスポットが当てられることが多いようです。

一般的に「歴史=政治史」になってしまうので、それもやむを得ないのかも知れませんが、“人間”平清盛を語るには、これでは不十分といえます。

清盛はその生涯の中で、単なる“時代の掟破り”の独裁者では成し得なかったであろう、偉大な文化的業績を残しているからです。
 
ほんの20年ほどの栄華でしたが、そのわずかの間に、平家文化ともいえるものを現出させ、それが今日に伝えられているというのは不思議な感じもするが、これらは古い慣習や偏見にとらわれない清盛の非凡さと美的感覚から生み出されたと言ってもよいでしょう。

一切経を書いた石を沈めて島の基礎とした「経が島」にも、その非凡さはよく現れています。
父忠盛と違って和歌の才には恵まれなかったようですが、そのような清盛だったからこそ、従来の枠にとらわれない独創的な美を生み出すことができたのかも知れません。

因もに、大輪田泊(おおわだのとまり)と「経ヶ島」について、

神戸市兵庫区南部の兵庫の港地域は、平安時代、大輪田泊と呼ばれました。
この港は東南からの風波をまともにうけて停泊が非常に困難であり危険でした。 そのため、朝廷はしばしば港の改修を行いました。
 
福原に別荘を構えていた平清盛は日宋貿易の拠点として大輪田泊を重視し、承安3年(1173)に朝廷の意向受けて私財を投じて改修を行いました。
泊(とまり)の前面に防波堤となる島を築き、船を風から守ろうとしたのです。
この島が「経ヶ島」(経の島)と呼ばれています。

経が島は、日宋貿易の拠点である大輪田泊(兵庫・摂津国)に交易の拡大と風雨による波浪を避ける目的で築造された人工島です。
その広さは平家物語によると、「一里三十六町」とあることから、現代の大きさで37ヘクタールほどと推定されています。 経ヶ島・経の島とも言われています。

六甲山系の山を切り崩した土で海を埋め立てたが、それが難航したために迷信を信じる貴族たちが海神の怒りを鎮めるために人身御供をしたとも言われています。
又、清盛は石の一つ一つに一切経を書いて埋め立てたともいい、従って、この島を「経が島」と呼ぶようになったという。

ただし、実際の工事は清盛生存中には完成せず、最終的な完成は平家政権滅亡後に工事の再開を許された東大寺の重源によって建久年間に完成したとされている。
尚、現在では、度重なる地形変化等により場所が特定できず、凡そ、神戸市兵庫区の阪神高速3号神戸線以南・JR西日本和田岬線以東の地であるとみられている。

同時に、清盛は国家的事業として大輪田泊の大規模な整備を計画しましたが、源平争乱によりほとんど実行されなかったと思われます。



次回、「清盛の美の傑作・厳島神社」









【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ    seesaaブログ   FC2 H・P   gooブログ   忍者ブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」




2014年5月31日土曜日

14、世界遺産;厳島神社の概説 「付記;毛利元就の厳島の合戦」







14、世界遺産;厳島神社の概説 「付記;毛利元就の厳島の合戦」




http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/photos/kassenzu/itukusima2.jpg




http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/74/Miyao_castle_honmaru.JPG/800px-Miyao_castle_honmaru.JPG
宮尾城(要害山、現在は五重塔と千畳閣のあるところ)







付記;毛利元就の厳島の合戦

平平安時代の末期、清盛の時代から遥か後、戦国時代、における毛利元就はここ厳島にて陶晴賢(すえはるかた)と合戦し圧勝します。 有名な1555年「厳島の戦い」です。

陶晴賢は当時この地方を支配していて主君の大内義隆氏を討ち、権力をほしいままにしていました。
毛利元就は、はじめ陶晴賢に従うそぶりを見せるも、やがて絶縁します。
水運の要所である厳島に陣を置く毛利方、そこへ陶の船団が押し寄せます。

陶方はいったんは毛利方の宮尾城(要害山)を包囲したものの、暴風雨の中をわたってきた毛利元就の本体、また小早川隆景の別動隊に攻められ、陶晴賢は敗れて自刃します。
毛利4千対陶2万という戦力差にもかかわらず毛利勢が圧勝するのです。
この戦いの結果、大内氏は急速に弱体化し、代わって毛利氏がその旧領を併合(防長併合)することになります。

そして弘治3年(1557年)には晴賢によって擁立されていた大内義長(大友宗麟の異母弟で義隆の甥、一時義隆の養子となっていた)が自害し、大名としての室町時代に君臨していた大内氏は滅亡に至ったのです。

この厳島の戦いでの勝利が、以降、毛利氏が中国支配に乗り出していくきっかけとなりました。


しかし、この毛利元就が陶晴賢を破った厳島の戦いですが、なぜ戦場を厳島に選んだのでしょうか・・?、
陶の大軍をおびき寄せるのには厳島が適してはいるが、当時の厳島は神聖な土地だったはずです。 ここで戦えば神聖な土地を血で汚すことになるのが明らかです。
にもかかわらず厳島を戦場にするという罰当たりなことが行われたのは何でか・・?、

一般に、神仏の信仰と言うのは、時代によって変化のあるものです。 特に、戦乱の時代と言うのは信仰どころではなかったのでしょう。 それに毛利元就は心底から神仏を拝む気持ちはなかったからではないでしょうか・・?。

人心掌握の為には時には神仏を利用しますが、元就は本気で神聖な場所とも、罰当たりの場所とも思ってはいなかったのではないかとも推測されます。
さもなければ、毛利元就は厳島は神聖な土地というの承知で、敢えて逆用したのかもしれません。

一部の名将はこういった他人の信心深さを利用して、士気を上げるのに神を利用する例が見受けられますされます。
後年、自ら神と称した織田信長も桶狭間の時には熱田神宮で吉兆をネタに士気を上げています。 
だが一方では、信長にしても神聖な場所であるはずの比叡山や石山本願寺を、理由はどうあれ仏敵として攻め滅ぼしています。










【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ    seesaaブログ   FC2 H・P   gooブログ   忍者ブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」


2014年5月30日金曜日

13、世界遺産;厳島神社の概説 「厳島神社と平家納経」








  13、世界遺産;厳島神社の概説 「厳島神社と平家納経」  



http://www.nishida-s.com/main/categ4/miyajima/miyajima.files/miyajima-heikenoukyou-yakuou.JPG


http://www.nishida-s.com/main/categ4/miyajima/miyajima.files/miyajima-heikenoukyou-kanji.JPG
平家納経








平家納経とは、 

平安時代に平家一門がその繁栄を願い、厳島神社に奉納した経典類の総称で、平家一門が奉納した巻物として有名です。
清盛はじめ嫡子重盛、弟経盛、教盛、頼盛など一門の一人が一巻を担当して、写経しました。
それを平家繁栄を祈って、厳島神社に奉納しました。 これは金ピカリンの巻物であり、
当時の平家の繁栄っぷりをよくあらわしています。

法華経30巻、阿弥陀経1巻、般若心経1巻、平清盛自筆の願文1巻と、経箱・唐櫃からなる。経典に施された装飾は絢爛豪華で、平家の栄華を今に伝えている。平安時代の装飾経の代表作で、当時の工芸を現代に伝える一級史料でもある。

経典を筆写したのは平家の一族で、清盛・重盛・頼盛・教盛など。それぞれ一巻を分担する形で筆写した。長寛2年(1164年)に厳島神社に奉納されたが、各巻の奥書を参照すると、全体の完成には仁安2年(1167年)までかかったことが判るそうです。

全点が昭和29年(1954年)、国宝に指定された。現在厳島神社が所蔵しており、複製が厳島神社宝物館で公開されている。


仏教経典である平家納経が何故、神社に奉納されたのか・・?。
清盛の時代は既に神仏習合でしかもほぼ神社の多くは寺の管理下にありました。
元より、自然崇拝を主にしていた神道には理論武装した仏教の侵略を止めることが出来なかったとしています。
その結果仏教に取り込まれる形になってしまい、神道の神々も本地垂迹として仏の化身という解釈になりました。
ですから多くの神社では読経を行うことも本尊として仏を祭ることも普通にしていたわけです。

平民でも神社に祈願に行き、読経をするということがあります。
日照りの時、弁財天社(これも仏教が影響する神社)に籠もり読経を続けて雨が降ったという地方の逸話もあります。

一説では厳島神社は中国貿易のため、中国の観音信仰の聖地-普陀山(普陀落山)を模したとも言われています。つまり貿易船が出航の時に無事を願い、帰航したときに無事を感謝する目印でもあったとしています。
これに倣って造られたのが厳島神社だとしています。

そのため本尊は宗像三神・弁財天・観世音菩薩でした。
この観音像は普陀山から伝わったとも言われています。
(この事は後ほど詳しく述べます)


次回、 「付記;毛利元就の厳島の合戦」








【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ    seesaaブログ   FC2 H・P   gooブログ   忍者ブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」


2014年5月29日木曜日

12、世界遺産;厳島神社の概説 「厳島神社と宗像三神」









  12、世界遺産;厳島神社の概説 「厳島神社と宗像三神」  




http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/76/Challenge_of_Amaterashu_and_Susanoo.svg/414px-Challenge_of_Amaterashu_and_Susanoo.svg.png


http://ts4.mm.bing.net/th?id=HN.608037588250790257&pid=1.7




厳島神社は推古天皇の元年593年、佐伯鞍職(さえきのくらもと)という人物によっ、先ずは創建されました。
祭神としては、
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、
田心姫命(たごりひめのみこと)、
湍津姫命三柱(たぎつひめのみこと)の三女神を祀ります。

「厳島」という名前は「けがれを避け神に仕える」という意味の「斉(いつ)く」という語に由来します。
厳島神社のある厳島(いつくしま)の語源は動詞としては、斎(いつ)くと関係があり、「神を斎(いつ)く祭る島」が語源とされています。 斎(いつ)くは、心身の汚れを去り神に仕えると言う意味にもなります。
また、厳島神社の祭神である、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の名に由来するという説もあります。

市杵島姫命は、元々、斎き島(いつきしま)とされ、神の島を意味し、神に斎(いつ)く島の女性としています。
その性質としては、水を司るとされており、後に習合することとなる仏教の守護神、弁財天も、インドのガンジス河の神であることから、何れも水に関わる意味を持つため、国内でも主に、水辺の近い場所に祀られることが多いのです。

また、弁財天習合の影響のため、弁財天の性質も多く引き継いでおり、「才」を「財」とみなす財宝神の役割や河の流れが奏でる音から音楽を司る神とされ、この事から芸事にも優れた意味を持つようになったと考えられています。

また、川が農作物を育てることから農業の神としての性質を持ち合わせている
。更には、宗像三女の中でもとりわけ美女だったとされることから、美を司るなど非常に多岐に渡り、全体として福を司るとされ、七福神のひとつにも数えられている。


伝承では、素戔男尊(すさのおのみこと)の娘とされる宗像三女神の市杵島姫命・湍津姫命(たぎつひめのみこと)・田心姫命(たごりひめのみこと)は、2羽の神鴉(しんあ、神の遣いのカラス)に導かれ、現在厳島神社のある場所に鎮座したとのこと(厳島神社縁起)。
島の名称として「厳嶋大明神」のように平安時代からの用例があったようです。



次回、「厳島神社と平家納経」









【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ    seesaaブログ   FC2 H・P   gooブログ   忍者ブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」


01. 15.

トラッキングコード3