2012年1月21日土曜日

日本周遊紀行(197) 城崎 「城崎温泉」(3)

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広く旅をし、方々を遍歴したものだけが、知識という名の富を有している。」(詩の神・オーディン)






日本周遊紀行(197) 城崎 「城崎温泉」(3) .





資料:城崎温泉概略図



写真:城崎温泉駅


城崎温泉(きのさきおんせん)は、平安時代から知られている温泉で1300年の歴史をもつといわれ、飛鳥時代にコウノトリが傷を癒したという伝説が伝わっている。 

又、8世紀初頭の養老年間、道智上人が千日の修行を行った末に湧出したのが城崎温泉の始まりともいわれる。(現在の外湯・「まんだら湯」) 上人は「温泉寺」の開山僧でもある。

温泉寺は由緒ある古刹で、「鴻の湯」の向かい側、薬師橋を渡ったところに参道・山門があり、大師山の中腹に位置する本堂の他多宝塔などが建つ。 
ここには大師山へのロープウェイが架かり中間駅に「温泉寺駅」がある。 
大師山山頂からは温泉街はもとより、円山川の緩やかな流れとその先に広がる日本海の見事な景観が眼下に広がる。


城崎温泉は江戸時代には「海内第一泉・かいだいだいいちせん:日本一)」とも呼ばれていて、今もその碑が湯の町中心街、王橋のたもと外湯・「一の湯」として残っている。 
一の湯は江戸時代の頃までは「新湯(あらゆ)」と呼ばれていたが、医師・香川修徳が泉質を絶賛し、「海内一」の意味を込めて「一の湯」に改名したともいう。

温泉の目玉は昔ながらの外湯めぐりが主体で、外湯はそれぞれ守護神を持ち、温泉を神の恵みとした敬虔な信仰心として崇め、それに元ずいて湯浴みを行ったという。 一の湯の他に「鴻の湯」、「まんだら湯」、「御所の湯」、「地蔵湯」、「柳湯」、「さとの湯」 の七箇所、其々工夫を凝らし特色を出している。

江戸時代の温泉番付によると城崎温泉は西の関脇(最高位は大関)にランクされ、山陰の名湯とされていた。 


温泉街の各所に多くの碑があるように、文人墨客に愛された湯の街であり、明治以後も「城の崎にて」を書いた志賀直哉をはじめとする多数の文豪が来訪している。

手ぬぐいを さげて外湯に 行く朝の 
          旅のこころと 駒下駄の音
』 与謝野 寛

ところで、志賀直哉の「城の崎にて」の城崎が消えてしまった・・!!??、
城崎町は2005年、周辺の竹野町・日高町、出石郡出石町・但東町と対等合併し豊岡市になってしまったのである。

この度の「平成の大合併」で日本国中の由緒ある町村名が消えてしまった事例が多い。
西の大関と言われる大分・湯布院町(由布市)であり、関脇が城崎町(豊岡市)であり、 東北の小京都・角館(仙北市)、焼物の里・あの狸でお馴染みの信楽(しがらき・甲賀市)、いずれも屈指の観光地であったが、あっさりと消えてしまったは惜しいことである。

東の大関は静岡・修善寺(伊豆市)、名作・「伊豆の踊子」も形無しであり、同じく静岡のサッカー王国、清水の次郎長でお馴染みの清水市(静岡市)、関脇は上州の歴史ある温泉場・伊香保(渋川市)、他にも、日本一のブドウとワインの産地・勝沼(甲州市)、日本のエーゲ海と言われた岡山・牛窓町(瀬戸内市)と、懐かしい市町村名なども失われていて、 他にも無数にあるという。

「地名」には、歴史的背景や地勢的由来などの謂れがあるのだが、住民の浅はかな興味本位の投票と、行政諸氏の石頭連が何の惜しみも無く、かなぐり捨ててしまうことは残念である。




早朝目覚めたので朝飯前に今一度、写真撮影方々温泉街を訪ねてみた。
先ず最初に駅前に出る。 古い温泉地のわりにはモダンな駅舎で「城崎温泉駅」という。 京都発着の山陰本線は福知山

、豊岡と内陸からやってきて、ここ城崎から概ね山陰地方の沿岸を辿りながら終着の下関に至っている。
2005年4月1日に城崎町が隣の豊岡市と合併したことに伴い、2005年3月1日に「城崎駅」から「城崎温泉駅」へと改称されたらしい。 

さすがに合併によって由緒ある自治体名である「城崎」が消える危機感を感じ、城崎ブランドを守るため地元有志・議会などの要請により,旧城崎町が経費を全額負担して「城崎温泉駅」が実現したという。 
この「城崎温泉駅」は第一回近畿の駅百選にて、第14位の選定駅であるという。

因みに、駅百選というのは、「鉄道の日」(明治5年9月12日(新暦1872年10月14日)に、新橋駅と横浜駅とを結んだ日本初の鉄道が開業した事を記念したもので、1922年に鉄道記念日として制定された)記念行事の一環として、2000年から2003年までの4年間で、国土交通省近畿運輸局管内(京都府、大阪府、滋賀県、兵庫県、奈良県、和歌山県)の特徴ある駅を公募等で募集し、選考委員会で100駅を選定したものである。 



駅前にお寺のお堂を模した豪奢な造りの吹き抜けの建物の「足湯」である。 
ここで目覚めの顔、手足を洗う。 その奥に日本最大の駅舎温泉「さとの湯」が城崎温泉街の外湯の一つとして機能しており、無料で利用できる足湯で、電車の待ち時間をゆったりとすごすことができるのは嬉しい。

役場である城崎支所には「温泉課」という窓口も有るという。



写真:城崎温泉の極楽寺参道



参道横の元湯


湯の町の朝は早い・・!、

すでに観光客・泊客は朝7時開湯の外湯を目指しているようである。
大谿川にかかる柳の緑が朝風に、ソロリと揺れている、又、湯の里通りの瀟洒な家並みに朝日が当たり始めた。 

温泉街の外れ、突き当りの月見橋を左折すると西山公園があって、この先に極楽寺がある。 ここにも城崎温泉の元湯があり、露出した岩肌の間からモウモウと湯蒸気を上げている、看板に28号源泉とあった。 

何処かの旅館の女将であろうか、品の良さそうな粋な和服姿で参道からこちらにやって来る。軽く黙礼を交わしすれ違った。 

松林が覆う長い参道の奥に本堂らしき重厚な建物が目に入る。 
極楽寺は京都・大徳寺の末寺で江戸・寛永年間、沢庵和尚により再興された禅寺という。 
境内は禅寺らしく、白砂で心の文字が描かれた枯山水の庭園・「清閑庭」や城崎温泉の開祖である道智上人が、独鈷(とっこ・仏具)といわれる仏具で岩の壁をたたくと湧きだしたと言われる「独鈷水」等がある。 

予約すれば座禅や法語の修行を行ってくれるらしい。
そろそろ人の往来も目立つようになったところで戻るとしよう。


次回は、・「丹後の国・与謝野




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2012年1月20日金曜日

日本周遊紀行(197) 城崎 「城崎温泉」(2)

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日本周遊紀行(197) 城崎 「城崎温泉」(2) .





写真:風流な大谿川を挟む温泉街界隈・・、




城崎温泉にて・・、

志賀直哉が、「城の崎にて」の冒頭に、「山の手線に跳ね飛ばされて怪我をした。 
その後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた」と記している。 

著者自身、鉄道事故で九死に一生を得た彼はその後、怪我の養生のために城崎温泉に滞在している。 そ
の時の体験が、小動物の死生観に重ね合わせて描いたとされる「城の崎にて」の短編である。 
末尾には、「生きている事と死んで了っている事と,それは両極ではなかった。
それ程に差はないような気がした。」と結んでいる。

“小動物の死生観て・・??”、
小動物も人間も、同じ地球上に生を受けた「物」として、生死の価値はあまり変わるものではない、というところか・・?。

志賀直哉(しが・なおや 1883-1949・宮城県石巻生まれ)が「城の崎にて」を書いたのは、ここにきてから東京へ戻った4年後のことであった。 
それだけに「城崎温泉」の印象が鮮烈だったのだろう。

大正2年、志賀直哉は初めて城崎を訪れた。 
東京・山手線の電車にはねられて重傷を負いその後養生のために3週間滞在したという。



谷合いに、「くの字」にひらけた湯の町で、温泉に浸かり、ぶらりと町を歩く。
川沿いの柳が芽吹き、桜が花開く。 

夕刻ともなると和風木造の旅館街にぼんやりと灯が入り、外湯を巡る浴客たちの下駄の音がなつかしい。 
志賀直哉の定宿だった「三木屋」は、湯の町・城崎でも一段と奥まった大谿川(おおたにがわ)の畔、雰囲気漂う“木屋町通り”の一角に三階建ての純和風の建物である。 

かって、三木屋のご当主は町長もつとめたという。  
志賀直哉は生涯に十数回この地を訪れていて、「 温泉はよく澄んで湯治によく、周囲の山々は緑で美しい。おいしい日本海の魚を毎日食膳に出し、客を楽しませてくれる。 」と手記に記している。


小生は、1986年(昭和61年)子供及び両親を伴って、北陸、山陰を巡った際に城崎を訪れている。 
宿泊した旅館は当時NTTの保養所で「城崎荘」であったが、現在は、NTT民営化による合理化にともなって民間に譲渡されているようである。 
それでも城崎荘は、現在でも立派に営業をされているようで、場所は奇しくも三木屋の隣に位置しているようであった。 
当時は慌しい旅程であったが、この風流な温泉街の印象は今も残っている。
  


城崎の温泉街は大谿川の流れに沿って軒を連ねる。 
その町並みは木造建築の旅館がほとんどで落ち着いた本来の日本情緒を醸し出している。 
平安期・1300年の歴史に裏打ちされた格式を感じさせる日本でも数少ない温泉街であろう。

大谿川を中心に、約100軒の旅館や土産物屋、飲食店が並ぶ、これらは昭和初期の温泉街の情緒が今でも残っているのである。 
川には弁天橋、桃島橋、柳湯橋と名の付いた弓形の石橋がいくつも架けられ、両川端には柳の並木が一層、旅心を誘うのである。

頃合になると湯の町は華やいで、観光客や酔客が浴衣や丹前に着替え、各旅館には温泉浴場が有るにも関わらず、その風情に誘われるように外湯へと導かれるのである。 
浴衣がけに下駄履き姿の旅の客が外湯巡りにそぞろ歩く、カランコロンと下駄の響きも軽やかに外湯にくりだす光景は城崎独特の風情で哀愁さえ感じる。 

大谿川に架かる石造りの太鼓橋に目をやれば、浴衣を羽織って佇む若い女性の姿がボンボリの灯りに照らされて艶かしく、しなやかに垂れ下がるしだれ柳は湯の町の女性の色香を悩ましいほどに引き立てているのである。
中でも大谿川にかかる石造りの太鼓橋は、両岸のしだれ柳とともに城崎を形容するシンボルでもあろう。


次回も、更に「城崎温泉」  





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2012年1月19日木曜日

日本周遊紀行(197) 城崎 「城崎温泉」

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  日本周遊紀行(197) 城崎 「城崎温泉」    .





写真:温泉寺へ向かう「薬師橋」にて



温泉街の最も奥にある立寄り湯・「鴻の湯」



「城崎温泉」へ向かう・・、

海岸からではなく、山沿いの県道9号線を行くようだが、かなり急峻な山越えの道である。
途中、「鋳物師戻峠」(いもじもどし峠)という、何とも妙ちくりんな名前の峠があった。 

城崎と竹野町との町境の峠で、一角に「もっこり」という、これ又、妙ちくりんな名前の奇岩があった。 
今にも前に落ちてきそうな大岩で、全長19メートル重さ140トンもあるとか。 

鋳物師戻峠のその名の由来は「その昔、京の鋳物師がこの峠で大地震に出合い頭上の大岩が揺れるのを見て恐ろしくなり、後戻りして逃げ帰った」・・、と看板に記されてある。



峠を下りきると、見通しが良くなって町並みが見え出した、城崎である。
大タニ川に沿って桜並木が風情をそそる。
これらに架かる薬師橋、月見橋も実に美観なる造りである。 

湯の里通りの町並みも実にいい・・!!。 
車を止めて、この風情をカメラに収める。 すると月見橋の手前「薬師橋」から芳紀なる三人の女性が、色鮮やかな浴衣風着物と駒下駄姿で、ニコニコしながらこちらにやって来るではないか・・! 

お嬢さん方、写真を一枚撮らせて頂戴・・」 

ええはヨ・・」 

関西訛りの快い(こころよい)返事が返ってきた。 お互い旅のキサクさであろう。


賑やかな駅前通りから、洒落た造りの「城崎温泉駅」のまえを通り抜け、丸山川岸から今日の宿泊地・国民宿舎「玄武洞」へ向かった。 
温泉街の町中で宿が取れなかったのは、チト残念であるが。
宿で湯に浸かり、夕食を頂いて小休止の後、就寝前に再度、夜の温泉街を訪ねてみた。

湯の里通り」のボンボリ灯りの下、ソゾロ歩きの浴衣姿のお嬢さん達の他、さすがにほろ酔い客の人々も目立つ。 
もっとも小生も、どちらかというと「ほろ酔い」であるが。


宿主に評判の外湯を伺っていたので、云われたままに城崎名物「外湯七湯」のうち最奥にある「鴻の湯(こうのゆ)」に出向いて見た。 
外湯の中で最も古くから開けた湯で、コウノトリが足の傷を癒したことから、この温泉が発見されたという、「鴻の鳥伝説」があり、城崎温泉発祥の地だともいう。 
コウノトリにちなんでか夫婦円満、不老長寿のご利益があり、幸せを招く湯とも言われるが・・?。

比較的大きな駐車場があり、すぐ前に、白壁造りで切り妻様式の純和風の素朴な建物で、落ち着いた雰囲気が嬉しい、500円の入湯料を払う。 
外湯といえども大きな施設であり、気配り簿充分届いていて清潔である。 
ロビーも広く明るい雰囲気になっていて、イスやテーブルもシックで感じがよい。 
脱衣所は細い竹のムシロが敷かれてい心憎いほど気持ちよく、木製のロッカーがずらりと並んでいてこれまた結構広い。 
入湯前から何もかもが行き届いていて、既に心が洗われている。 

湯船に漬かる、既に宵も深まっているとはいえ意外に浴客が多い、中には酔客の姿もチラホラ・・、尤も小生もその内の一人なんだが。 
広く大きな浴槽で湯は少し熱め、無色透明の湯でさらっとした感じで気持ちがいい。 
飲食後なので長漬かりは無用、湯船の際でゆったりと体を休ませる、これだけでも温泉の癒し効果は充分である。 

浴槽の前は大きなガラス窓になっていて庭園の露天風呂が眺められ、七外湯の中で唯一露天風呂が楽しめるのも魅力である。 
露天風呂も内湯に負けないくらい大きさで、大きな庭石を組み合わせた岩風呂は野趣満点の雰囲気がある。 
露天風呂のすぐ裏は山になっていて、吹き降ろしの風が気持ちいい。
ところで、ある好事家が「城崎七湯」の外湯人気度を調べたらしい。

それのよると、鴻の湯―76票 、さとの湯―70票、一の湯―36票 、柳湯―30票、地蔵湯―21票 、まんだら湯―11票 、御所の湯―11票、・・てな具合であったとか。


次回も「城崎温泉




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2012年1月18日水曜日

日本周遊紀行(196) 香住 「香住海岸」

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  日本周遊紀行(196) 香住 「香住海岸」    。




写真:香住海岸のインディアン島



香住港(冬のカニ漁も終わり、静かな佇まいである)



餘部をすぎて、香住の海岸も相変わらず山地のせまった半島を形造り、所謂、「おぼれ谷」(水位の上昇、又は陸地が沈降して出来た地形)や海食崖といわれる出入りのはげしい海岸線が続いている。 

鎧の袖」、「インディアン島」と称する奇妙な名前の奇岩・怪岩をはじめ、無数の洞窟、断崖、奇岩が連なる。
これら侵食海岸の風景を演出する景勝地は、地質学の上からも貴重な自然博物館ともいわれる。  多くの名勝をつくり出しているこれらの海岸は、香住東港から出ている遊覧船に乗って、海上から巡るのが実にいいらしい。


時折、小さな港へ出くわすと、出番を待つイカ釣り船が岸壁に並んでいる。 
これらの海岸には東より相谷、柴山、香住、鎧、余部といった鄙びた諸港が並び、いかにも日本海側らしい長閑で、いい風景を醸し出している。 

中でも香住港は、日本海側における有数の漁港・港湾となっていて、特に柴山港と二港合わせて「松葉かにの本場」と言われ、漁獲高でも境港港についで2番目という。 
もっとも、今は6月の半ば(2005年)であり、カニ漁の最盛期はとっくに過ぎていて、港はいたって長閑である。


因みに、日本海で獲れるカニは通称和名で「ズワイガニ」と言うが、それぞれ水揚げされる場所で呼び名が変わるらしい。 
兵庫・鳥取県は「松葉がに」、京都府では「間人(たいざ)がに」(京都北部の丹後半島の間人港〈たいざこう〉にて水揚げされるもの)、福井県・石川県では「越前がに」とも言う。 

これら地場の沖合の海で捕れた「ズワイガニ」のブランド名で獲れたカニは漁獲量も少なく、北海道や外国で捕れるズワイガニに比べ、極めて高値で取引されるという。 
価格は、通常で1枚一万円前後であるが、1kg以上の特特大にもなると数万円にもなるという。 

カニ漁は冬の時期が本番で、日本海に面する温泉場の旅館や宿では新鮮なカニ食を求めて大勢の観光客で賑わうという。



荒々しくも、鄙びた漁港の「香住海岸」を後にして、こちらは海岸に寄り添うように市街地が並ぶ。
竹野という町並みで、砂浜が延びる穏やかな海岸線は先ほどとは対称的で美しい。 

日本の渚100選にも選ばれ、砂浜は海水浴場としても、この地方の人気のスポットのようである。 
竹野は、昔は交易で栄えた町で、江戸期には日本海を巡る北前船も寄航した港であった。 
この先に一級河川の大河・丸山川が流れ、そこには歴史のある「城崎温泉」があって船乗り達は船を円山川に着けて、身に付いた潮を城崎の湯で洗い落としたにかもしれない・・?。 

円山川には城崎の反対河岸に当たるが、今でも楽々浦湾(ささうらわん)という程よい船着場もある。
その竹野は、2005年(平成17年)4月に豊岡市、出石町、但東町、城崎町、日高町などと合併し、新たな豊岡市が発足して町名は消滅している。 
そして、城崎温泉へ向かう。


次回は、「城崎温泉




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2012年1月17日火曜日

日本周遊紀行(195) 餘部 「餘部鉄橋」 (2)

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日本周遊紀行(195) 餘部 「餘部鉄橋」 (2) .



鉄橋3
写真:餘部鉄橋(手前が餘部駅)


鉄橋下
トレッスル橋といわれる橋下の橋架部


新鉄橋イメージ
写真2:新鉄橋イメージ(資料)




餘部鉄橋の架け替えの議論・・!

列車転落事故により運行基準を強化した結果、風速20㍍で列車を止める措置がとられ、その為、冬の観光シーズンを中心に年間250本もの列車が風のため運休・遅延する事態となっているのが現状という。 

その為、定時運行が困難となった事を契機に、現鉄橋の南側にPC橋(コンクリート橋)を新たに設置する計画が浮上した。 
以後、余部鉄橋は定時運行、高速化を目指した「架け替え」か、景観維持を優先させる「存続」かで揺らぎ続けているという。 


PC橋では風速30mまで運行可能な設計とされており、また保守も容易なことから、JR西日本では出来る限り早い着工を目指しており、既に平成14年には、新橋新設案が余部鉄橋対策協議会総会で決議され、新しいコンクリート橋への架け替え計画が決定をみていたのであった。 

2007年春(予定) 新橋架替工事着手、2010年 には新架橋工事完了が予定 しているという。
しかし、地元の一部には景観存続を望む声が今も根強く、観光客や地元住民からは現在の鉄橋が無くなる事を惜しむ声が後を絶たたない。 

地元からは、新しいPC橋が観光資源となり得るかどうかについては、疑問の声も多いという。 コンクリート橋脚の工事はいずれ始まるが、完成後にこの「東洋一の名橋」は撤去されるのか、一部は残るのか、未だ不透明だという。



【追伸】、架替工事は2007年5月に着工、2010年度の完成にむけて着々と工事は進められている。(長さ約307m、高さ約42m、)


最近、旅行ブームなのであろうか・・?、

テレビ放送で鉄道を利用した旅行番組などが多く、北は北海道から南は九州まで、全路線を乗り継いで行く旅番組などもNHKで放送された。 
又、「汽車旅放浪記」などという本も出版されて人気を呼んでいる。 
鉄道といえばやはり郷愁を感じるのも確かである。 


私事になるが、小生、学生(列車通学の高校生)の頃は、福島県の田舎である常磐線にはまだ悠々と蒸気機関車が走っていた。 
湯本駅から平駅へ向けて定時に発車した蒸気機関の列車は、ゆっくりと動き出した。 
小生は慌てふためき、定期券を見せる間も惜しんで発車したあとを後ろから追い掛けていって乗り込んだのも度々であった。 
駅員も承知したもんで、「気を付けてノンなよ・・!」と、のんびりしたもんであった。 
その後ジーゼル化され、更に数年後には電化されてスピードアップされたが、その発車間際の加速度的速さに、びっくりしたのであった。
 


汽車好き、鉄道好きは昔からいて、普通、小さな男の子は大抵乗り物好きであった。 
高じて大人になっても鉄道好きは変わらない御仁が多いようである。 

鉄道事情が大き変わりつつある、或るいわ大きく変わった今日、又、運行列車の変遷が目立つ昨今、全国の鉄道ファン、鉄道マニアは大忙しであろう・・!。 

濃厚な鉄道マニアのことを、「鉄ちゃん」などと言われ、又、汽車、列車などの写真好きを「撮ちゃん」とか「撮り鉄」などと称しているようである。 

中には、「撮り鉄」の熱が高じて線路間際に寝転んでカメラを向け、特別運行のSL列車を止めてしまった、などという極端な事例もあるという。


ところで、どの線でも列車が美しく撮れる場所は大方決まっているという。 
高くて長い、しかも鋼鉄製の骨組みで出来ている餘部鉄橋などは、今、恰好の標的になっていて、カメラマンが引きもきらないという。 

餘部鉄橋ポイントは駅からさらに登った高台であるが、そこは「撮り鉄」たちの集団で踏み固められ、今では草も生えないといわれるほどである。


次回は「香住




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2012年1月16日月曜日

日本周遊紀行(195)餘部 「餘部鉄橋」

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  日本周遊紀行(195)餘部 「餘部鉄橋」    、


鉄橋1
写真:間もなく無くなる・・?餘部鉄橋


鉄橋2
1988年(昭和63年)10月23日、列車転落事故のあったカニ加工場跡地に聖観世音菩薩が建てられている



国道178号線は暫く内陸を行く。
桃観峠トンネルを抜け下って再び海岸へ出たところが、かの有名な「餘部」である。 
国道と並行して、京都から竹野辺りで日本海の沿岸に至り鳥取、松江などの山陰地方の各都市を結ぶJR・山陰本線が走っている。  
この餘部地区の入り江になっている高所を鉄橋で結んでいるのが世に言う「餘部鉄橋」である。

その間、特に前述した海岸国立公園の但馬御火浦の如く、浜坂から香住周辺の間は険しい山地が海のすぐそばまで迫っていて、交通機関である線路や国道は高所の山間地を縫うように走っている。 

しかし、餘部付近は山がスパッと途切れていて深い入り江と細長い平坦な陸地が内陸へ延びている。 
その為、集落の頭上を線路でつながざるを得ない、そこで施工されたのが餘部鉄橋である。 


構造的には鋼材を組み合わせて鉄の櫓を橋脚とする、所謂、「トレッスル橋」(トレッスルとは「架台」、或いは「うま」という意味)呼ばれる橋脚構造の鉄橋を建設する形になった。 
国内でも代表的なのがこの眼前に迫る「餘部鉄橋」である。


鉄橋は、真赤に塗装された鉄の柱が縦横無尽に交差して、裾は末広がりになって地面に突き刺さっている。 
豪快で迫力があり、尚且つ、素晴しい絵模様を演出している。 
マニュアには、たまらない人気があるはずである。 

小生もカメラの撮影ポイントを数箇所巡ってメモリーに収める。 
途中でメモリーが無くなったのが返す返すも残念であったが、撮影できないカメラを抱えて橋の真下でややションボリしている時、丁度列車が差し掛かってきた。 

八両編成ぐらいであろうか、特急列車と思われる客車がトンネルを抜けて即、餘部鉄橋を渡っている。 
ゴウゴウと地鳴りのような音を立てて勢いよく餘部駅をも通過していったのである。



鉄橋は1909年(明治42年)に着工、1912年(明治45年)に開通している。
長さ310m、高さ41m、 11基の橋脚、23連の鉄桁を持ち、これにより京都から出雲までが一本の線路で結ばれた。 

その雄姿は「東洋一の名橋」と呼ばれ、この構造の鉄橋としては現在でも日本一の規模だという。 
なお、国道178号線がこの鉄橋の真下を走っていて、その独特な構造と鮮やかな朱色の橋脚が身近に見られる。 
その為もあり付近の情景とも相まって、鉄道ファンのみならず、山陰地方を訪れる観光客にも大いに人気がある。 
最寄り駅である餘部駅には、その裏山に展望台が設けられており、絶好の撮影ポイントとなっているという。 

朝・昼・夕と光の具合でその姿を変えるほか、天候や四季(特に雪)によっても大きく変貌するという。
夜、列車が通過する様子は、さながら空中に浮かぶ銀河鉄道のようでもであり、轟々と響き渡る通過音には趣さえ感じるという。 
鉄道に関する観光地としては、屈指の場所といって差し支えないだろう。 (注意:一般的に「餘部」と「余部」が併用されているが、当項目の正式名称は「餘部橋梁」である。)
 


この鉄橋で唯一の事故が発生している・・、 
1986年(昭和61年)12月28日午後1時25分頃、香住駅より浜坂駅へ回送中のお座敷列車「みやび」が餘部橋梁へさしかかった。 

その時、日本海からの突風にあおられて鉄橋中央部付近より機関車と客車の台車の一部を残して7両が転落した。 
転落した客車は橋の真下にあった水産加工工場を直撃し、従業員の主婦5名と乗務中の車掌1名の計6名が死亡、客車内にいた日本食堂の従業員1名と加工場の従業員5名の計6名が重傷を負った。 
皮肉にも大半が貰い事故であった。 

この鉄橋からの列車事故、転落は橋の完成以来初めての惨事である。 
原因としては風速25m以上を示す警報装置が作動していたにもかかわらず列車を停止させなかったという、概ね、人為的ミスと見られている。 

この事故後、当時の国鉄は運行基準を見直し、風速20m以上で香住駅~浜坂駅間の列車運行を停止し、バス代行(全但バスが担当)とするよう規制を強化することとなった。 
また、1988年(昭和63年)10月23日、事故現場に慰霊碑が建立され、毎年12月28日には法要が営まれているという。


潮風が吹きつける橋脚には防錆処理をするため、数年おきに橋脚部にネットを張り、塗り替え工事が行われるという。 
尚、2~3年後には鉄橋架け替えが行われるため、小生が訪れた直後に予定されている塗り替え工事(2005年7月)は、この時が最後となる見通しといわれる。


餘部駅のチョットいい話・・、

鉄橋が聳え立つ餘部に駅ができたのは、意外にも鉄橋が完成した約半世紀後の昭和34年(1959年)であった。 
それまで餘部の人々は荒天、順天の日に関らず、4つのトンネルを抜けて「鎧駅」から列車に乗っていた。 

そこで、人たちは当時の国鉄に駅の設置を強く要請し、更に餘部小学校の児童たちも、当時の兵庫県知事に「餘部に駅を造ってください」と手紙を書くなどした。
その結果、ようやく駅の設置が決まったという。 

建設時には大人に混じり、児童たちも駅の材料となる石を、海岸から山の上まで皆で運び上げるなど、町民総出で協力し餘部駅は誕生したという。 

念願の一番列車が到着したとき、村中総出で歓迎した。 
そして、駅ができた翌年(昭和35年)、餘部小学校の校歌が作られたが、二番の歌詞には鉄橋が登場し現在も歌い継がれている。

 『♪♪ 緑の谷に そびえ立つ 鉄をくみたる 橋の塔 』


次回も更に「餘部」について、




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01. 15.

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