2011年12月16日金曜日

日本周遊紀行(190)大山  「伯耆の国」

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  日本周遊紀行(190)大山  「伯耆の国」   .




鳥取県は西半分が伯耆、東半分は因幡の国である・・、 

「伯耆」の伯は、単純には兄弟、父母などの年長者を表すが、一芸に長ずる者、果ては「神」、「風伯」を示すとされる。 
更に伯の元の字は、中国の太祖・太伯(たいはく)の「伯」であるとも云われる。 

又、「耆」は、「老」+「旨」の合わさったもので年輩で、渋い味があり、経験豊かであるという意味らしい。 
詰めれば「伯耆」とは、知的で経験豊富な「太伯」を意味するともいわれる。


太伯は呉(中国南部に位置した紀元前5世紀から6世紀頃の国で、中国・春秋時代に存在した君国の一つ。三国時代の呉・蜀・魏とは異なる)の祖とされる人物である。 

面白いのは、或る一説によると「日本神話における天照大神は、呉の太伯の子孫である」という中国に伝わる伝説があり、これは、中国の歴史書「魏略」(魏志倭人伝の元書とされる)、「晋書」などにも記されているという。 

更には、中国では天皇及び日本人は「呉の太伯の子孫」とする説もあり、江戸期、家康の儒学の顧問であった朱子学者・林羅山は、日本は中華と同等な文化国であり、日本の皇室は中国の聖賢の裔ゆえに尊貴であるという立場に立った『神武天皇論』を表し、日本の皇室の祖神がその本源を溯って見れば「太伯」に当たるという説をのべている。

又、身近なところでは、中国・春秋時代に書かれた歴史書・「十八史略」を、小説風に描いた陳舜臣の『小説十八史略』にも同様の記載がある。 
尚、この歴史書の中で呉の国の故事から「臥薪嘗胆」の言葉が生まれ、呉・越の激しいライバル争いから「呉越同舟」の言葉が生まれたという。


ところで、日本人の起源説(天孫族)に合わして、ほぼ同時に渡来したとされる「米」のことであるが、日本の米のDNAを調べると朝鮮半島伝来よりも早くに、中国から伝来している事が分かってきたという。 
又、最近の研究では、朝鮮半島よりも早くから稲作が行なわれていたという結果もある。

南方の米を主食とした中国南部の国・呉の人々が日本に移住し、広めたと言うの可能性もあるといい、DNAからは朝鮮半島には存在をしない、つまり中国の米のDNAと同一でであることも分かってきたという。 

思えば、出雲地方(今の出雲、伯耆、因幡、越=越前)は日本の米の発祥地とも言われている。 
呉の国の「太伯」の子孫が、日本に渡来し住み着き、米や金属を広めたという説は一般的に成立っている。 


又、この地方に稲作が伝わってきたとき、それを伝授し、拓き、広めたのが「豊受大神」とされていた、丹後の国で死去したとされる。
その豊受大神が拓いたとされる水田稲作は「稲葉」であり、その為、この国を「因幡の国」と命名したともいう。


何れも、古代中国の呉や越の影響下で、日本という国の形が形成されていったことは歴史的にも裏付けられ、その窓口であったのが、九州の筑紫や出雲地方であったとされる。

「伯耆」の国名が、春秋時代の呉の国の「大伯」の関係者によってもたらされたかどうかはさておき、その地方の歴史を掘り下げてゆくと、意外な結果にたどり着くことがママある。
これも歴史の面白さであり、歴史の展開の興味津々たる所以であろう。



次回は、「伯耆大山



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2011年12月15日木曜日

日本周遊紀行(189) 名和 「名和長年」

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  日本周遊紀行(189) 名和 「名和長年」  .



名和一族を祀る「名和神社」・本殿



「名和長年」は鎌倉末期・南北朝時代の名将ではあるが・・、

名和町に入ると山陰線・名和駅そして駅のすぐ近くに名和神社が祭ってあり、すぐ南北朝の武将・名和長年(なわながとし)のことを思い出した。 

鳥取県の名和町、人口7500人ほどの普通の田舎町の感じで、きっと過疎化が進んでいる町でもあろうと想像してしまう。
訪れる人も少なそうで、これといった観光もないように見受けられる。 
しかも平成17年の合併のため名和町という名前自体も無くなってしまったようで、現在は大山町と称している。

だがそんな名和町から、その昔一人の英雄が出た。 
その名は「名和長年」という。


太平記の時代に後醍醐天皇を助け最後まで付き従い、戦前は「建武の忠臣」として称えられたが、戦後は教育の方針が変わり世間から忘れられてしまった人物だという。  

鎌倉末期、北条執権の衰退を期に、都では後醍醐天皇らが中心となって幕府との対立を鮮明にし、天皇親政による日本の全国支配を目指す。 
正中の変」(正中元年・1324年)と言われるもので、更には、元弘の変(元弘元年・1331年)という鎌倉幕府討幕運動が起きるが、何れも幕府側に露見してしまい、後醍醐天皇は隠岐への配流となってしまう。 

因みに、過去の鎌倉初期の「承久の乱」の折には首謀者・後鳥羽上皇は、鎌倉側との一戦に敗れて隠岐の島へ配流されている。
そして、その後はすっかり意気消沈し世捨て人として失意の余生を送ったとされる。 
ところが、こちら後醍醐帝は不屈の闘志を持ち、配流程度では全く挫けなかった。 


状況下、後醍醐帝は隠岐の脱出に成功し、伯耆の豪商・名和氏に迎えられて船上山に拠り、討幕の綸旨を各地に発して鎌倉幕府と対決する姿勢を顕著にする。 

そして新田義貞、足利尊氏らの関東・鎌倉での蜂起によって討幕は遂に成功を見ることになり、150年間続いた幕府は滅亡する。


長年は戦功を認められ、幕府滅亡後に後醍醐天皇により開始された「建武の新政」において、河内国の豪族・楠木正成らとともに天皇近侍の武士となり、記録所や武者所など朝廷の役人を務める。

しかし、足利尊氏が後醍醐親政側から離反すると、長年は楠木正成、新田義貞らと共に宮方として尊氏と戦うが、1336年(/建武3年)の「湊川の戦い」で京都に入った尊氏らと激戦の末に敗れ、三条猪隈(京都市三条猪隈)で討死する。 

長年は伯耆(キ)守であったことから、楠木(キ)正成、結城(キ)親光、千種(クサ)忠顕と合わせて、後醍醐天皇近侍として「三木一草」の将と称された。



名和神社」は、鄙びた山陰線の名和駅より東南方向に、広大な境内を持つ社宮で、鳥取県内でも最大級の規模を誇るという。 

それにしても「宮の壮大」さは、南北朝時代の名だたる名将・楠木、新田、足利氏や果ては天皇家をも凌ぐほどのであろう・・?。 
建武の忠臣と言われる「名和長年」公ではあるが、所詮、名将である彼らの名を借りれば名和氏は脇役であり、自身は、たかが天皇の側近の身であった。 

まして、後醍醐天皇は一時期、天皇親政の執政を行うが、直ちに足利氏らの政争に敗れてしまう。 
そして天皇自身の評判は権謀術策にたけた専制君主、あるいは公家達の多くの者達にもその無能ぶりを批判され権威は全く失墜して、更に時代は再び武士の世になっていくのである。


名和神社は主祭神・名和長年と一族四十二名を祀り、現在の社殿は昭和十年に完成したもので、建築界の重鎮・伊藤忠太(近代における建築界ののリーダー)指導の下、明治神宮を造営した「角南隆」(すなみ・たかし、戦中・戦後の神社建築会の権威)が手がけたという。

本殿からは日本海が望まれ、海を越えた一直線上に後醍醐天皇配流された隠岐が望まれる。
境内は元々、旧名和公の在所で、米倉があった所とされている。

名和町は2005年3月、大山町、中山町が新設合併し新大山町となっている。


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2011年12月14日水曜日

日本周遊紀行(188) 米子 「妻木晩田遺跡」

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  日本周遊紀行(188) 米子 「妻木晩田遺跡」   、
 



洞ノ原地区西側丘陵と弓ヶ浜半島(wiki)


「妻木晩田遺跡」(むきばんだいせき)について・・、

孝霊山の麓の大山町に所在する国内最大級の弥生集落遺跡である。
いわゆる「大乱の影響」とされる高地性集落で、国内でも比較的大規模で長期にわたる遺跡は少なく注目されているという。 

鳥取県大山町富岡・妻木・長田から米子市淀江町福岡に所在する国内最大級の弥生集落遺跡で、これは発掘当時国内最大級と喧伝された吉野ヶ里遺跡の5倍にも及ぶ大規模なものである。


標高90~120メートル前後(平野部との比高差-100メートル前後)の尾根上を中心に立地し、集落関係では竪穴住居395基、掘建柱建物跡502基、墳丘墓(四隅突出型墳丘墓含む)24基、環壕等が検出されていて、一連の集落は「弥生時代後期」を中心に中期終わり頃から古墳時代前期初頭にわたって営まれているという。 

又、遺物は土器、石器(調理具・農工具・狩猟具・武器)、鉄器(農工具・武器)、破鏡等が出土していて、特に鉄器は鉇(ほこ)・斧・鑿(のみ)・穿孔具(せんこうぐ;穴あけ機)・鍬(くわ)・鎌・鉄鏃(てつぞく;鉄製のやじり)等、弥生時代のもののみで197点が出土しており、大陸性のものも確認されているという。


その他にも日本海と近畿、瀬戸内を結ぶ物流と軍事の重要な地点に、大乱にも関係しているとされる「弥生集落遺跡」が多数発見されているという。 

県内加茂町の「加茂岩倉遺跡」、斐川町の「荒神谷遺跡」、出雲市の「西谷墳墓群」、松江市乃白町の「田和山遺跡」等の弥生式遺跡などがある。 
更に関連して、「古代鉄の資料館、博物館」などが出雲の南部地区である安木市、三刀屋町、仁多町、吉田村等にも存在する。

特に吉田村の「菅谷たたら山内」には、かつて「たたら製鉄」が操業されていた「高殿」と呼ばれる形式の生産施設が唯一残されており、国の有形民族資料に指定されている。 


「たたら」とは・・? 、
原料の砂鉄の重さ(比重)を利用してふるい分けられ、これに良質の木炭を混ぜて還元炉(無酸素状態の炉)に入れ,ふいごで送風し熔解する。 炉内温度は低いので炭素を多く含む銑鉄はできず炭素含有率が2%以下の鋼(はがね)ができるという。 たたら製法を行う家屋を「高殿」といい、ふいごを「踏鞴」(たたら:足で踏んで空気を吹き送る大きなふいご)と書いていずれも「たたら」とよんでいる。 鑪という字もたたらと読む、「たたらを踏む」という表現は、このふいごを踏む動作から来ている。 この方法を「たたら製鉄」といい、古代からの製法なのである。

そして、実際に史実として日本史上に登場するのは、「倭国大乱」の後の統一後であり、邪馬台国の女王「卑弥呼」が30余国を支配し、中国(魏)との正式な交流が始まる段になってからであるとされている。 その後、尚100年たって、西暦350年頃、大和朝廷が国内をほぼ統一するに到る。



序ながら、日本書紀の神功皇后記において、魏志倭人伝の中に「卑弥呼」に関する記事を引用している。 このため、江戸時代までは卑弥呼=(イコール)神功皇后だと考えられていた。 

この説にたてば、邪馬台国の大和王朝は既に畿内にあったとされている。 
そして、神功皇后の息子、応神天皇は八幡神として宇佐神宮(大分県宇佐市、既に記載)に祀られ、皇后自身の祭殿も同社に在るのは、大和王朝と朝鮮半島の通交が活発化し、通交航路である瀬戸内海沿岸(大分県宇佐市)に神功・応神を祀る八幡宮が置かれたともいう。 
これらの事項についても既に宇佐神宮の項で記述している。



いずれにしても、「大山」の背比べ伝説からはじまって、孝霊伝承、温羅伝説、桃太郎伝説、八俣大蛇伝説、渡来人と鉄器・製鉄、国譲り伝説、倭国大乱、大和朝廷王国等、等々の項目を並べるだけで、古代・出雲地方における壮絶な歴史物語の原型を見る事が出来る。 

特に桃太郎の鬼退治のくだりはヤマト王権と出雲族、朝鮮半島からの渡来人との間で起きた武力衝突を、伝承や御伽噺として脚色、伝承したものが元になったという点で、興味津々である。


文部省唱歌 『桃太郎』 詞・不明、作曲・岡野貞一

1,桃太郎さん、桃太郎さん、   2,やりませう、やりませう
 お腰につけた吉備(黍)團子   これから鬼の征伐に
 一つわたしに下さいな      ついて行くならやりませう

行きませう、行きませう     そりや進め、そりや進め
あなたについて何處までも   一度に攻めて攻めやぶり
家來になって行きませう     つぶしてしまへ、鬼ヶ島

おもしろい、おもしろい     萬萬歳、萬萬歳、
のこらず鬼を攻めふせて   お伴の犬や猿雉子は
分捕物をえんやらや      勇んで車をえんやらや


次回は、「名和



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2011年12月13日火曜日

日本周遊紀行(188) 米子 「倭国大乱」

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「桃太郎伝説」は実際にあった・・! 、

前回の「桃太郎伝説」の続きになるが、これらを裏付けるように2世紀頃、この地方に大乱、所謂、「倭国大乱」があったとされる。

倭国大乱(わこくたいらん)は、弥生時代後期の2世紀の末に倭国で起こったとされる争乱で、中国の複数の史書に記述が見られるという。
列島規模であったとする見方もあり、日本史上初の大規模な戦争(内戦)だとする見方もあるとされる。 

記紀には若干の記載がある程度だが、中国の正史である三国志(魏志倭人伝)や後漢書(東夷伝)には大略記述され、尚且つ、出雲風土記日野郡誌にも記録があるという。

後漢書「東夷伝」(東夷は、元々は中国の山東半島一帯に住んでいた実在の民族の事を差していた様だが、主に、朝鮮、日本(倭)の事を差している事が多いともいう)によると、「2世紀に倭国は大いに乱れ、互いに戦い、何年もの間、主となる王を立てられないほどだった」とある。 
この争いは後に、あの「卑弥呼」(ひみこ)を共立する事によって収まったとされている。 


この時期の古事記の条を見ると「大吉備津日子命と若建吉備津日子命は、共々に播磨口を入口として、吉備国を平定なさった」と記されてあり、吉備津彦命が大乱に関連していると考えられる。
2世紀後半の頃、近畿、中国地方においては出雲や吉備、九州筑紫地方で戦乱、つまり倭国内での大乱があったことが記されているようである。 

又、地元の「日野郡誌」には、中国地方(出雲国・伯耆国・吉備国)には孝霊天皇及びその関係者の伝承が散在しているとして、この伝承が倭の大乱に関連しているともしている。 


大山北麓の「孝霊山」に関して・・ 、
大和の国から遠征してきた孝霊天皇は、日本海から上陸して孝霊山に居を移したとある。
この遠征の最終目的地は出雲周辺であり、大和と出雲の騒乱は「倭の大乱」として表していると想像されるとある。 

孝霊山麓には「妻木晩田遺跡」(むきばんだいせき)というのがあり、弥生期の2世紀頃の遺跡とされ、全国最大級の規模という。 
郡誌は、孝霊天皇は孝霊山頂に居を移したとあるが、実際には妻木晩田遺跡のすぐ近くであり、伝承では孝霊天皇は朝妻姫に恋して姫を皇后にしたとあり、孝霊天皇の皇后の出身地であることから最大級の遺跡になったとも考えられる。 
すぐそばには高杉神社があり、孝霊天皇が祀られていることは前述した。


「倭の大乱」以前・・?の出雲統治圏については先の出雲の項にも記したが、その領域は山陰・北陸地方から信濃の国、瀬戸内海沿岸地方から筑紫の国であったとされることから、「倭の大乱」後は、出雲国造の統治領域は出雲国のみとなっているのである。 


出雲神話によく登場するが、大国主が戦さに敗れて「国譲り」を行い、出雲一国の国王になってしまったことをも表わしてもいる。 

出雲の国王は、出雲地域を離れる事は無かったが、出雲に対するリーダー(吉備の主とも言われる)は各地を巡り、倭国という「連合」を作り上げたのではないか。 

ともかく倭国大乱の始まりから、倭国連合の最終的決着まで数世代はかかったとされ、統一された連合が大和朝廷(ヤマト王権)で最初の統治者が「卑弥呼」であるとされる。

考古学の見地からも「倭国大乱」、つまり出雲、吉備(大和)地方においても争いがあったことは裏付けられているという。



この戦乱の時代背景は・・? 、
2世紀頃というと、日本史の流れからすると弥生時代の後期にあたり、この頃は既に稲作文明が広く一般化し、九州、近畿はおろか中部から関東地方にまで及んでいた。

稲作を施す工具にしても、金属の青銅器はおろか鉄器が普及し、製鉄技術も朝鮮半島から伝わってきていて、砂鉄の産する出雲地方では既に製鉄が始まっていたことは既に記した。

ただ、稲作を施すには個人や部族という小規模地域では困難があり、どうしても地域の拡大や組織化された人々の連携が必要になってくる。
更には土地そのものが必要で、それも小規模からより大規模になってゆくのは必然であった。 
そこには組織化されたリーダーが必要になってきて、必然的に集落や部族間で争いが起こり、土地の収奪や新しい機器の導入のための争奪も起こってくる。

国内において、当時の現状は部族や地域のリーダー、豪族はいたものの大地域の統治者というのは未だ存在してなく、まして、国としての体裁はなく、真の国王などは存在していなかった。 

邪馬台国とか倭国という国名・・?は中国において日本につけた名称であった。 
ただ、自称・王朝なるものは存在していたらしく、そのことは九州王朝説や近畿王朝説があったとする。


「後漢書」によると・・
弥生時代の倭国は多くの政治勢力(国)に分かれており、倭国王は政治勢力間の利害を調整するために置かれていたとしている。

そして、倭国大乱の原因としては、倭国の王位の座をめぐる争いということになっている。 ただ、国内事情においては前述した稲作文明の波及、鉄器及びその製造文明等、いわば時代の革命時期であり一大転換期、過渡期でもあった。
そして、このような時期は必然的に領土的主権を合い争う時代でもあったのである。 

このような理由で倭国大乱は必然であった。 
また、時節的に見ても、弥生期は2世紀後半より始まった地球規模の寒冷化の影響を受けたとされ、土地の収奪争いは一層顕著になったとされる。 

いずれにせよ、2世紀後半から3世紀にかけて、近畿から瀬戸内一帯までの広域に出現した「倭国大乱」は、生活様式、気候的変化をも合わせて、集落に大きな変化を生じさせ、所謂、「高地性集落」を営むようになったとされている。


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2011年12月12日月曜日

日本周遊紀行(188) 米子 「桃太郎伝説」

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  日本周遊紀行(188) 米子 「桃太郎伝説」    .




前回からのつづきで、これら楽楽福神社には、鬼を退治したと云う鬼退治伝説が伝えられていることは前述した 。 

そして位置がずれてズーッと南下したところ、山陽地区の広島県府中市という処にはに南宮神社という古社があり、祭神として孝霊天皇と吉備津彦を祀っているという。 

吉備津彦は、孝霊天皇の皇子とされている。 
そして、そのすぐ東隣町の広島県新市町には、備後一の宮とされる「吉備津神社」が鎮座し、チョットややこしいが、その本社は岡山県岡山市にある備中・一の宮の吉備津神社(岡山市吉備)である。 

又、又、備前国一宮(岡山市備前一の宮)にも分祀の吉備津彦神社が在り、併せて三備一の宮と称している。 
因みに、備中、備前の両神は直線距離にしてわずか数㎞しか離れていないが、地域合併を繰り返した結果、備中の一部を含むようになった為に一つの都市(岡山市)に二つの一宮があるという、珍現象が起きてしまった。 

何れも、祭神は孝霊天皇及びその皇子を祭っている。 
その他、周辺及び四国にも同様の祭神を祀る支社、分社が在るといい、この辺りは、所謂、桃太郎にまつわる伝説地の本場でもある。 
これら吉備津神社には、共通して温羅伝説(うらでんせつ)なるものが有るという。 

『 吉備の国に、空から百済の王子が舞い降りた。 名を温羅と言い、髪は赤く身の丈4メートル、性格はきわめて凶暴であったため、鬼と言われた。 たまりかねた人々は大和朝廷にその暴状を訴える。 朝廷から命を受けた「吉備津彦命」は激しい攻防の末、温羅を捕らえその首をはねた。 』 


これが今に伝えられる吉備津神社(岡山県吉備津)の「桃太郎伝説」であり、又、吉備津彦命は桃太郎のモデルとも言われている。

お伽噺の桃太郎は、イヌ・サル・キジの三人の家来がいるが、イヌ=犬飼武(いぬかいのたける)、キジ=鳥取部(ととりべ)、サル=楽楽森彦(ささもりひこ)が当てられたものと云われている。 
それぞれ当時の地域・部族の集団で、軍事色が強かったという。 
「犬飼氏」は、実際に犬を集団で戦闘に使用していたらくしい。 「鳥取部」は、大和朝廷が

諸国に鳥類を捕らえさせ、これを税として納めるように命じていたという。 
所謂、狩猟民族の一団としての色彩をもっていた、これが生じて今の「鳥取県」になったとも言われる。 

「楽楽森彦」は「楽々福神社」の元であり、これは戦いの前線基地として、伯耆の国に置かれたとされる。 

イヌ・サル・キジについては一種の物語的挿話・・?、であるとしても桃太郎がイヌ・サル・キジを引き連れて鬼を退治した物語は、吉備津彦命である孝霊天皇又はその皇子が吉備の国から北部の伯耆の国方面へ遠征して、巨大なものを征服せんとしていたことが伺えるのである。



さて、話の方向がチョット変わるが、中国地方の山系には古来より砂鉄を産したといわれる。
江戸期・藩政時代には鳥取藩は、出雲と並んで明治以前の頃まで日本の製鉄の大きな担い手であった。 
元より、出雲の国は古代より大陸との流通が盛んであり、稲作と同時に鉄器の文明が渡来していたことは承知である。


朝鮮半島では既に製鉄がはじまり、それを鉄の薄い板にした物を日本列島、特に出雲地方の人々が輸入する世の中になっていたのである。 
この時期をもって田畑の灌漑が進み、普及し、日本人の生活様式一大変化、革命が起こるのである。 
そして、鉄を入手できる者が豪族、大王になる資格を得ることにもなる。 
出雲地方は、その鉄としての素材を産出する国、そして製鉄の技術を持つ国だったのである。


先にも記したが、楽楽福神社なるものは鳥取県西部を南北に流れる日野川に沿って分布している。
神代の古代より、この日野川及び周辺河川は砂鉄の採れる川なのである。 
スサノオの八俣大蛇伝説が伝えている古事記の「肥の川」や日本書紀の「簸の川」は、鳥取県のこの日野川である可能性が大きいといわれる。 

楽楽福神社にまつわる「」なるものは、製鉄をつかさどるのことで、「ささ」は砂鉄のことであり、「ふく」は「吹く」に通じ、製鉄炉への送風を意味する。


いずれにもせよ「楽楽福」の意味を、このように製鉄に関するものと解釈すると、吉備(大和朝廷)の勢力によって、出雲から鉄に関する一切を奪ったというように解釈できる。 
そう考えると、楽楽福神社にまつわる鬼退治の話、桃太郎伝説は鉄(砂鉄)資源を奪い合う出雲と吉備の紛争であると考えることが出来るのである。
詰まるところ、大和朝廷(ヤマト王権)が出雲王国の鉄資源及び製法を力ずくで奪った事になる。

出雲伝説で、スサノオの八俣大蛇退治で体内から「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ・草薙の剣)を取り出したが、八俣大蛇は日野川を中心とした各河川流域のことで、天叢雲剣は鉄資源、製法のことである。


記紀には、八俣大蛇のその姿は八つの頭と八つの尾を持ち、八つの谷と八つの峰に跨る(またがる)程巨大な体をしており、その背には苔や杉、檜を生やし、腹は常に血を流してただれ、全部で16あるその目はまるでホオズキのように真っ赤であると言われている。

これらの伝説は、何れも砂鉄を産する産地、地域を指していて、「真っ赤な目」は砂鉄そのもの指しているふうに想像できる。 
このことは、前述した出雲地方の「斐伊川」にも、全く同様に共通、類似しているのである。 
思えば、日野川と斐伊川は呼称も類似している。


次回は、「倭国大乱



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