2011年8月20日土曜日

日本周遊紀行(160) 知覧 「麓と“ぼっけもん”」

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 日本周遊紀行(160) 知覧 「麓と“ぼっけもん”」   ,



知覧武家屋敷の石塀; :頑強堅牢な石造りの門は、戦さの時のみならず南国に多い台風に対しても有効であった



「城をもって守りとせず、人をもって守りとなす」 薩摩藩内規・・、

再び、「知覧武家屋敷群」を訪れた。 それは、薩摩・鹿児島特有の出城でもあった。
1602年、江戸開幕(幕府を開く)の頃、島津家久は「城をもって守りとせず、人をもって守りとなす」という兵学精神に基づいて鶴丸城(鹿児島城)が城山の南麓に築城された。
同時に、薩摩藩は領地を外城と呼ばれる113の地区に分け、地頭や領主の屋敷である御仮屋(麓の政庁、支庁舎)を中心に「」と呼ばれる武家集落を作り、鹿児島に武士団を集結させることなく分散して統治にあたらせた。


江戸期に至っては幕府の政策の一つである「一国一城令」により、全国に散らばっている殆どの城が廃城となった。
しかし、薩摩国は幕府の権力が、遠方且つ、力のある島津には及ばなかったので、外城はそのまま残存したという。

江戸中期、薩摩藩は地方行政区分(現在の支庁)の外城を「」に改めている。 
藩内を113に区画し、「百二の外城」といわれる地頭仮屋を設けその周囲に「麓」、「郷」といわれる武士集落を構成し、地域の行政を執り行う外城(とじょう)制度を設けた。 

更に、薩摩には(特に幕末から)厳しい階層があり、薩摩の藩士達は鹿児島城下に住む「城下士」と、地方に住む「郷士」に大きく分類した。

薩摩藩は77万石といわれ、100万石の加賀藩に次ぐ雄藩といわれるが、しかし米高に直すと37万石程度であり、又、総人口の4分の1が士族で、この比率は全国平均の6倍もあり、財政的には非常に苦しかったようである。 

しかるに外城に勤める藩士の多くは、普段の生活では農耕に携わり、定期的に軍事訓練を受けて、イザ・・!事が起きれば武士集落がそのまま軍となってなって戦う制度になっていた。 
それに、財政的に逼迫していたため、、藩士(郷士)は自給自足を原則とし、そこに藩の精神とが重なって、謂わば、屯田兵制度(北海道の警備と開拓のために設けられた兵制)のようなものでもあった。


このような生活習慣があって、薩摩では「郷士」と「城下士」の対立は非常に激しく、郷士は専業武士である城下士に絶対服従というきびしい身分差があった。
因みに西郷吉之助(隆盛)、大久保一蔵(利通)は城下士であり、一方、郷士出身者には有馬新七、田中新兵衛、中村半次郎(桐野利秋)ら多数が輩出している。

この敵対意識が明治維新後の西南戦争の引き金となったとも言われている。 
従って、「郷士」と言われる武士達は、城下の武士達以上に武士らしい気概、気構えで暮らし、農耕における体力増進をも兼ねていた。 

男とは、こういうものだ”、という薩摩武士の見本が薩摩の「ぼっけもん」と言われるようで、薩摩隼人が怒ったり気合を入れる時に「ちぇすとー! 」と掛け声を上げる。 
これらが、薩摩国内各地の「麓」におけるに「郷士」達のおおよその姿であった。 

しかし、本来の「武士道」には優しき味があり、薩摩での武士精神には利口者を卑しみ、朴訥(ぼくとつ)を是としたといわれる。 
その朴訥はユーモアに通じ、優しさの裏付けともいわれ、純真な心持を尊重するものでもあった。


明治維新後は、俸禄を失い没落した城下士に対し、郷士は農地を買い集め、地主として成功した者も多いといい、それに、西南戦争に対しても冷ややかな態度をとる郷士も多かったとも言われる。 
西南戦争とは、「明治」という近代日本がもう始まっているというのに、未だに武士でいた者たちの自滅の戦いでもあるとも言われ、この戦いを最後に薩摩武士がこの世から消えたのである。

特攻記念館を見て、特攻隊の大和魂と薩摩武士の“ぼっけもん”が重なって見えなくもない・・!? 。


次回、「鹿児島の芋焼酎





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2011年8月19日金曜日

日本周遊紀行(160) 知覧 「映画になった特攻隊員」

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 日本周遊紀行(160) 知覧 「映画になった特攻隊員」   ,




『ホタル』、そして石原慎太郎氏が作った映画・『俺は、君のためにこそ死ににいく』・・、

2001年、「ホタル」という映画が上映された。
小生は残念ながら観ていないが、(後日、ビデオで観ました)当時、富屋食堂(実名)は若者達に、母親のように親しまれていた山本富子(鳥浜トメ役:奈良岡朋子)が経営していた。 
ここは、少年たちの自由に出入りが出来る憩いの場であり、彼女は何くれと無く彼等を面倒見た。 
彼らは食堂の主人を「カアさん・・!」と自然に呼ぶようになった。 

或る日、韓国出身の金山少尉(実名・宮川三郎役:小澤 征悦)に出撃命令が下った。
その夜、富屋食堂で彼が自国の唄・「アリラン」を歌い、「私が亡くなったら、明日この時間にホタルになって帰ってくるという」と言い残し、戦地へ旅立った。 
翌夜、何時ものように富屋食堂には、若い特攻隊員たちが集まっていた、この時、予告した時刻に一匹のホタルが食堂に入ってきた、皆シーンとホタルを見ていた。

そして画面は現代に替わる。 
鹿児島の小さな町・・、 
山岡(高倉健)は病弱の妻(田中裕子)とともに静かに暮らしていた。 
特攻隊の生き残りである山岡の脳裏には、折に触れて戦争当時の悲しい思い出が甦る。 
志半ばにして命を散らした若者たち、引き裂かれた恋、この物語の中心に位置するのが富屋食堂であり、その女主人であであった。 

ある時、この女主人(カアさん)から金山の遺品を届けるのと慰問のため、山岡に故郷の韓国へ行くようにお願いする。 
やがて、彼はさまざまな思いを胸に、金山の故郷の韓国を訪れる。

幾つもの傷を心に負った生き残り特攻隊員の出会いと運命を描いた、東映50周年記念製作で、主演、高倉 健、田中裕子を始めとする充実のキャスト、監督・降旗康男である。

鹿児島湾、桜島、開聞岳や青森の八甲田山など、美しい日本の四季の移ろいを交えて 丁寧かつ重厚に描き出す。 
物語のクライマックスは韓国の魂が息づく伝統の村・ 河回(ハフェ:金山少尉の実家)の地に高倉らがロケーションを敢行。 
富屋食堂の主人・鳥浜トメを演ずるのは名女優の奈良岡朋子、そして、ここ特攻記念館も脇の役目で登場している。

映画「ホタル」が平成13年夏に上映されて以来、知覧を訪れる人が急増したといわれる。



記念館の前には、『慟哭の誓い・・この鎮魂、慰霊、慟哭のなかに、我ら国を超え、民族を超え、世界人類永遠の平和をここに誓う』と歌った、堂々たる歌碑もある。 

当時、運輸大臣・石原氏(現東京都知事)が当館を訪れ、その後、鳥浜トメ氏を尋ねている。 
彼はトメさんの感動的な話を聞き、身を正したという。 
拝見した古いアルバムは、ほとんどの写真が剥がされ、黒い台紙が残るのみであった。
それは戦後、知覧を訪れた遺族に乞われるまま、貴重な写真を分け与えてしまったからである。
そして、「ここにこうして残っているのは、韓園と台湾出身の方々のものばかりです 」・・と。

その際、石原氏はトメさんを「国民栄誉賞」に推薦したそうであるが、時の首相・宮沢氏の無理解により賞の授与には至らなかったという。
石原都知事は“タカ派”の国会議員として知られるが、記念館を見学し、鳥浜トメ氏のに会って、現状日本を政治家としてどう感じたか、興味のあるところである。

その後、石原氏は2007年5月、『俺は、君のためにこそ死ににいく』という映画を、脚本・制作総指揮して製作している。 
太平洋戦争末期、知覧で飛行訓練を受けていた美しい青春が、特攻のために無残にも散っていった物語で、そこには、陸軍飛行兵や母親のように慕われていた鳥浜トメ氏、そして特攻隊員となった青年達を描いている。


ところで、館内に掲示されている1036もの遺影は、60年間続いた平和日本に安堵しているのであろうか・・?。 
何時々々までも、この館が人々にノーモァー戦争を、そして憲法9条の遵守を呼びかけ、平和を希求する館であって欲しいとは思うが、尚言えば、現状、半ば平和ボケしている「日本の実情」をどう感じているか・・?も、気になるところではある。 
館内にいると次第に、何か心が閉ざされた、やや陰鬱な気分になるのは先日の訪館の時と同じであった。会館から出て公園の緑と空の明るさを見て、気持ちも元に開放されるのである。


車へ戻る、今はまだ十数台の数であるが、この大きな駐車場は平日でも大型バスを連ねて、ほぼ満車状態になるというし、まして休日などは見物客で大混雑するという。
少々、穿った(うがった)見かたをすれば、知覧特攻平和会館は確固とした反戦・平和理念の施設で、特攻隊に関するあらゆる資料を集めて、その本質を追求するところではあろうけれど、昨今、記念館や資料館の建設ラッシュにも見られるように、むしろ特攻をネタにした観光施設の色合いが濃い所と言えなくもないと思ったが・・?。


近隣の武家屋敷へ向かう道々、整列に並ぶ「特攻灯篭」を見て上の孫は「あれ、ナーニ・・」と問われて、適当に返事はしておいた。 
ただ、初め見た目は「珍しさ」もあったが今、冷静に見て、由緒ある神社仏閣が控えているならともかく、たかが(・・?)記念館でここまでやるか、という感触も否めなかった。
いっその事、実際に特攻神社なるものを創建してみてはどうか・・?、(不遜な考えに無礼もうし候)


だいぶ上空も明るくなって、一部には青空も見えている。“”と言われる「武家屋敷跡」に着いた。 
孫達は道端の清流に悠然と泳ぐ鯉の群れに嬌声を上げている。

小生は先刻頂いた案内書を元に、武家屋敷の路地へと案内した。皆は個々別の屋敷前に佇む庭園の見事さに驚嘆していた。尤も、この地域は別名「武家屋敷庭園群」とも言われる程なのである。

次回は、その「」について






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2011年8月17日水曜日

日本周遊紀行(160) 知覧 「特攻平和会館」

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 日本周遊紀行(160) 知覧 「特攻平和会館」   、


飛行機
写真:特攻平和会館前の実物大の戦闘機(零戦・・?)




以前にも、知覧の項で「特攻」について述べたが、更に・・ 、

食後、ホテル周辺の緑豊かな庭園を孫達とじゃれ合いながら散策したいと思っていたが、ところだが生憎の雨模様である。 
代わって広い館内をぶらつきながら、部屋へ戻って孫たちと一暴れした。 

テレビがニュース、天気予報を伝えていて、地元地方の予報によれば、本日は「曇り時々雨」と伝えていた。 


ぼちぼち出発である。
先ず、景勝「池田湖」へ向かった。

近くを通るR226(南薩道路)を池田湖の南部から辿ってみた。
薩摩富士の開聞岳が至近のはずであるが、今は靄に煙っていて、その姿はホンノリ見えるのみであった。

それでも僅かながら三角錐の形が幽かながら見て取れた時、「ヘー、あれが薩摩富士か、やっぱり富士山だな・・!」と婿殿が感心していた。 
西側湖畔を行くが、湖面は灰色に沈んでいて、この辺りは鹿児島南部の景勝地の一つでもあるが、この日ばかりは、その美事さは感じられず、その辺の湖沼と変わらないような陰気な様子で佇んでいる。

やはり、自然の景観は晴れた日の、太陽の下での立体的な輝く姿が、より印象的であろう。 小生が先日訪れた湖畔の園地を訪れてみたが、やはり、小雨に煙ぶっていて芝生は濡れて歩きにくく、本来、湖面より浮かび上がる薩摩富士の勇姿は、こちらも同様であった。
 


指宿スカイラインを、昨日とは逆に北上する。
知覧付近は、例によって延々と(遠々と・・)茶畑が広がっている。 静岡に次いで西日本一の知覧茶の産地ということで、皆々驚いていた。

先ず、知覧の「知覧特攻平和会館」へ既行者として案内する。 
特に子育て真っ最中の若夫婦にはジックリ見てもらいたいのである。 

幸いに館前に着く頃には、すっかり明るくなって雨も上がってきたようだ。 
広ーく、整備された公園を孫達は、跳ねるように車から飛び出していった。 
その先は、やはりあの二機の戦闘機が外部展示してあるところであった。

「ワー・・飛行機だ・・!」 乗り物に興味を持ち始めた4歳の男孫である。
「かっこいいナ・・」実物大の飛行機を、こうやって触りながら見るのは、勿論初めてだろう。
父親も「おお、スゲー!!」といってニコニコ顔で一緒に写真に納まっていた。

所定の入館料を払って全員で入場した。 
先ず、壁一面にずらりと並んだ1036名の若い顔の遺影、達筆で書かれた遺書品々、日の丸への寄せ書き等々、小生は、一応拝見しているので冷静であったが、若夫婦をはじめ、年寄りの義母、そして上さんも、それらの品々に食い入るように観ていて、徐々に吸い寄せられていくようである。 

面白がっていた孫達も親と一緒に眺めてて「これ、ナーニ・・?」と質問されて、親は説明、返答に窮しているようだが、そのうち飽きてきて嬌声を発し、飛び跳ねはじめた。
子守は勿論、小生である。 大人の真剣さと、孫の無邪気さが好対照で面白い・・?。

近くで見物していた茶髪の少女・女学生風の数人が「ウッソー・・」、「マジ・・?」などと言って、俄かに信じられない風であったが、次第に食い入るように特攻隊員の遺書を読んでいる姿が見て取れる。 

当時、桜の小枝を打ち振って特攻隊員の死への門出を見送る知覧高女の女学生達がいたのはご存知かな・・?、
これら隊員たちを見送ったのは、丁度貴女たちの年代でしたよ・・!。


次回は、知覧・「特攻隊員




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2011年8月16日火曜日

日本周遊紀行(159) 指宿 「ホテルと温泉」

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 日本周遊紀行(159) 指宿 「ホテルと温泉」   ,




写真:指宿フェニックスホテル



「砂蒸し湯」の周りで、孫たち3人も素っ裸で・・、

「指宿フェニックスホテル」は、指宿名物・砂蒸し風呂や洞窟露天風呂で人気があるようだ。昨夜は、我が家族一行が到着しだい、これらの名物風呂を堪能した。 

娘夫婦と上さんが「川の字」になって砂に埋もれている。 
係員に許可をもらって孫3人も素っ裸で川の字の回りを、はしゃぎながら砂を掛け合っている。 
「顔に掛けちゃ駄目だよ・・」、
「はーい」、
「ハーイ」、
小生は先日体験したので、今回は遠慮して孫の監視役である。


砂湯は先ず、受付の係りのおばさんに案内され、手早く浅い穴を砂に掘り、頭を乗せる枕代わりに一箇所砂を少し高く盛り、その上にタオルを敷く。
その穴に横たわると、今度は身体の上に砂がかけられていく。 
上半身から下半身へ、勢いよく砂を乗せられると下腹部に重さを感じる。 

顔以外すべて砂に埋まったら、後はおとなしく10~15分そのままボーッとしている。 
すると、砂はじんわり温かく知らぬ間に汗が出てくる。 
低温火傷というのがあるらしく、どんなんだか不明だが、そんな時は身体をモコモコ動かすといいらしい。 砂の重みのせいか、ズキンズキンと自分の脈動を感じるのである。
まあ、この砂の重さと温かさが心地よいのである。 


砂むし温泉は、いわば天然のサウナであり、砂の重みはマッサージ効果もあるようで、あつい砂の中に体を横たえるとじわじわと温まり、爽快な汗とともに気分もすっきりリフレッシュできる。 
指宿の旅で、思い出一つの体験としては絶妙であろう。


次に、砂を落して広大な室内浴場、露天風呂へと浴槽入浴に移る、孫達とっては遊園地のようなプールである。 
幸いにと言うか、この広い浴場に他の客は誰一人居無く、貸切り状態なので気兼ねは不必要であった。 
ただ、孫たちが勢いよく突走って、転ぶのが心配だったが。 
大浴場、露天風呂とも展望もよく、気持ちよくレフレッシュできた。



指宿温泉は、薩摩半島の南端の海岸沿いに5kmにわたって湧き出る温泉で、豊富な湯量に恵まれ、市内いたる所から湧き出る。 
一日の温泉湧出量は約12万t、泉源は約800箇所在ると言わ、源泉温度は60から80度の高温泉で、泉質のナトリウム・塩化物泉は神経痛、筋肉痛、関節痛、胃腸病、肩こり等々に良いとされる。 


旅館やホテルが建ち並ぶ温泉街のメインストリートは、フェニックスの街路樹が茂り、年間を通してハイビスカスやブーゲンビリアなどの花が咲き、南国情緒あふれる地域である。 

かつては静かな湯治場として親しまれていたらしいが、現在でも町内には10ヶ所程の共同浴場が在り、何れも入湯料200円前後浸かれるという。 
今も自炊施設を持つ宿もあり、湯治の長逗留の人も結構いるらしい。

そして、指宿温泉の特徴は、何といっても名物の「天然砂むし風呂」であろう。 
摺ケ浜(すりがはま)海岸の砂浜に湧く天然の砂むし湯は、日本唯一の天然砂むし風呂が体験できる温泉地ある。 
砂蒸」そのものも、300年以上の歴史があるといい、近隣の海岸に出て適当に砂を掘れば、場所によっては砂蒸しができる場所がある。 

海岸なので海水浴をし、その後、砂蒸しをするという優雅な温水浴ができる。

また、高温の場所に「薩摩芋」あるいは「生卵」を埋めておけば、ふかし芋あるいはゆで卵が出来上がし、味付けは海水で十分であるという。


お風呂の後は楽しい食事である。
ホテルの食事は夕・朝共にバイキング方式で、皆でワイワイ言いながら楽しくガツガツと戴きである。 
孫達は爺・婆が世話役で、当の親の娘夫婦は承知したもんで、まかせっきりの素知らぬ顔で箸を口に運んでいる。 

もっとも、小生はビール片手に、上の孫とお喋りをしながらの食事で、手は懸からないのであるが。 
そんなこんなで、久しく賑やかな一日を家族と共に過ごし、枕を並べて夢路を辿ったのであった。




目覚めると久しぶりの雨の様気である、長々と雨無しのカラカラ渇水期が続ていたので、少々お湿りが欲しいところであるが、家族との楽しい一時である、今日だけは欲しくなかったのが。 

孫達は、まるでランダムに転がしたように、アッチャコッチャの寝姿である、夕べの宵っ張りが効いてか未だ未だ(まだまだ)夢の中である、どんな夢かって・・? 
幼児も夢見るよネ・・?!。


小生は例によって朝湯である。 上さんも起きてきて一緒に出掛けた。 

大浴場から露天風呂の表へ出てみると、柔らかに降る雨は辺りをシットリと湿らせ、庭園の木々は緑を一層光らしている。 
朝の入浴は身体を特に洗うことなく、のんびり入って体中の神経の目覚めを待つのである。 

サッパリ湯上り後にホテル内をブラついて、後はご一行と朝食である、さすがの孫どもも半睡半眠(半覚半眠・・?)で、時々、ダダも・・!!


次回は、再び「知覧」へ





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2011年8月15日月曜日

日本周遊紀行(159) 指宿 「孫」

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 日本周遊紀行(159) 指宿 「孫」  ,




桜島フェリー




「なんでこんなに 可愛いのかよ 孫という名の 宝もの・・」
  、

桜島を満喫した後、その国道224号の所謂、袴腰-赤水の「溶岩直線道路」を通り、鹿児島へ渡るためにフェリー乗り場へ向かう。 
その前に港の前にある「道の駅・桜島」へ小用で寄った。 

赤い四角錐の屋根が印象的な駅であり、意外と人が多いのに驚いた。
例によって、「フレッシュ」が合い言葉の農産品、農産加工品などが地元産が並んでいるが、中でも目に入ったのが、特産の「桜島小ミカン」や「桜島大根」などであった。 

上さんが(妻)、気を利かして1袋購入し、早速、手にしたところ実に小さい、皮をむくと1口で食べられるほどである。
そして、この甘さが抜群であった。 

孫たちも
ジージ、このみかん可愛くて、甘い・・!」と、
そうだよ、お前たちと一緒だよ
・・? 」


桜島小ミカンは、ギネスブックにも登録されるほど世界一小さなミカンで、更に「世界一甘いミカン」だと地元の人は云っている。

意外と歴史も古く、島津義弘が文禄・慶長の役の際に朝鮮半島から持ち帰ったと言われている。 
更に驚きは、こちらは世界最大といわれる桜島大根が、やはりギネスに登録されているという。 

この小さな島の一角に、世界一の物産が二個並んでいるのも稀有であろう。



桟橋へ向かう・・、
すぐ前は既に鹿児島の市街、ビル群が迫っている。 
高速道の料金所よろしく、車に全員が乗ったまま代金を払って、そのまま待機しているフェリーに乗り込む。
4階構造の華やかなフェリーで1階が大型車、2階が普通車で3,4階が一般乗客である。 

航行時間わずか13分と非常に短い航路だが24時間運行を行っており、一日88便も運行されている。 
日中は10分間隔で発着を繰り返しており、恐らく日本で最も便数の多い航路ではないだろうか。 
僅か10分少々の乗船時間であるが、船内にはコーヒースタンドや立ち食いソバなどの設備も整っていて飲んで、食っている最中(さなか)に着いてしまう。

出航後間もなく鹿児島からのフェリーとすれ違う、孫たちも大はしゃぎで元気一杯である。
そんな、こんなもしない内に鹿児島埠頭に着いてしまった。

下りてすぐ水族館があって、早速、孫どもが「ねえー、水族館連れてって・・」と強請る(ねだる)。
時間の関係上、どうしても無理なことを説得するのに一苦労である。 

日本西南の大都市・鹿児島の市内見物することもなく、(小生は既に済んでいるが・・、)鹿児島中央駅前から一寸、長目の「武岡トンネル」を抜け、九州道の鹿児島I・Cへ飛び乗った。 
行き先は「指宿スカイライン」から、今夜の泊まり宿・指宿である。 



今日、朝早くから慌しい一日であったろう、車中、孫どもは疲れきって、三人ともすっかり寝込んでしまった。 
上の女の子は小生の膝枕で、気持ち良さそうに寝息を立てている。
可愛い孫たちである・!!。


小生宅は子供三人、女、男、女であり、周囲の身内、親戚、友人の子供たちも、皆、偶然ではあろうが子供三人で女男女の順番も同じである。
おまけに、車中の娘の子(孫)も同様なのである。 

自分の子供達は飼育・・?に夢中であって「可愛さ」というのは余り実感が無かったようだが、 実際、大泉逸郎の「」という唄ではないが歌詞に「何でこんなに可愛いのかよ、孫という名の宝物」・・と本当に可愛いのである。


毎週末にやって来ては「ばばちゃん」、「じーじ」と纏わり付いてくる。 そのうち、おもちゃ箱へ行って、引っ掻き回し、部屋中にカッ散らかして悪さを始める・・!。
「コラッ・・」と怒鳴っても「イー・・」といって逃げてしまう。 

親娘は、そんな孫たちには素知らぬ振りでテレビに夢中なのであり、爺・婆の家だから出来るのである。 
たまには孫と一緒と遊び、動き回るときもあるが、あのハイテンションの声と動きには付いてゆけず、しまいには疲れてしまうのである。 

婿(娘の旦那)も来て夕食をともにした後、間断なく吹き荒れた豆台風が、勝ち誇ったように意気揚揚と引き上げる。
後は、残された爺・婆は、しばし放心状態に陥るのでのである。 

外孫であるが・・、外であれ内であれ、孫の可愛さには変わりがない。
外孫であるだけに日々の成長がわかって嬉しいものである。 
尤も、内孫も近所にいるのだが、未だ、小さくて実感が無いが、その内、暴れだすのであろう・・!。

今は、車中でジックリ休眠とっているが、その後、ホテルへ着いたら、珍しさもあって一暴れ、二暴れするのだろう。
その時は大いに付き合ってやろうじゃないか・・!。

上さんの実母である義母も、80歳を過ぎたとはいえ未だゲートボール、カラオケにと元気に暮らしている。 
長旅の疲れもあり、車には弱いはずであるが、今のところ、それらしい気配はなくホッとしている。


指宿スカイラインは九州道に直結した日本列島の最も南にある豪快なロードであり、薩摩半島の尾根を左右に分けて東には錦江湾が見える観光道路である。 
道路は次第に高度をあげ、左側には錦江湾と桜島から立ち上る煙が見え、右側には広々とした尾根が広がっている。
山の頂上を走っているのに景色を遮る木がほとんどないのでロケーションは抜群である。

知覧インター付近には雄大なお茶畑が広がっている。
ここからは小生が先日通った道程であるが、運転はしてないので快適さを満喫できる。 

知覧インターを過ぎると今度は道は下り坂になる。スカイラインの終点には、あの池田湖であるが観光は明日に行うとして、このまま指宿市内へ向かう。

先日と同じルートから市郊外のR226を南下して、南端部・指宿枕崎鉄道が交差する辺り、派手に立ち上がっている「指宿フェニックスホテル」に到着した。 
白亜の建物で、南国ムードいっぱいの庭園に囲まれた風光明媚な高台に建つ。 
広大な敷地の庭園も見ごたえあるし、錦江湾を眼下に右手には山川港、遠くには本土最南端佐多岬まで遠望できる圧巻のロケーションである。 

ホテルは、掛け流しの温泉は勿論であるが、洞窟風の露天風呂や中でも指宿名物の「砂むし温泉」も完備していた。

着後、一眠りして元気づいた孫達が、早速、暴れだした・・!! 。


』 曲・唄 大泉逸郎

なんでこんなに 可愛いのかよ
孫という名の 宝もの
じいちゃんあんたに そっくりだよと
人に言われりゃ 嬉しくなって
下がる目じりが 下がる目じりが えびす顔

もみじみたいな 小さな手でも
いまにつかむよ 幸せを
仕事いちずで 果たせなかった
親の役割 代りの孫に
今は返して 今は返して いるところ

引き続き、「指宿温泉




『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
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祝い・・!!  平泉地方が世界文化遺産に決定。(2011年6月) 
東北紀行2010(内陸部)」 http://orimasa2009.web.fc2.com/tohoku.htm 



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