2011年5月21日土曜日

日本周遊紀行(130)別府 「地獄巡り」

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『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/




 日本周遊紀行(130)別府 「地獄巡り」   、


「鉄輪温泉と地獄MAP」  http://www5.ocn.ne.jp/~kannawa/newkmap0311.html



写真:地獄めぐりで最大規模を誇る「海地獄」、竹竿は「ゆで卵」製造中・・!、




さて、「地獄巡り」であるが“地獄”の沙汰も金次第・・?、

普通、地獄というと噴気、噴煙が噴出し、地獄池のようなドロドロした高温の沼など荒涼とした風景を思い起こす。  
別府では単に温泉が吹き上げるところを地獄と呼んでいるが、当時の周辺は草木も生えない、まさに地獄のような場所だったのであろう。

ここ鉄輪の地獄地帯は、千年以上も昔より噴気、熱泥、熱湯などが噴出していたことが「豊後風土記」にも記せられ、「 近寄ることもできない、忌み嫌われた土地 」であったとされている。 
里人らもこの辺りを「地獄」と呼び、今も、熱泉噴出口を「地獄」と呼んでいる。 

しかし、これらの地獄は現在は趣向をこらし、装いを設えてそれなりの景観を演出し、適度に管理されていて、強いて言えば人工の地獄であろうか・・?。
従って、「地獄の沙汰も金次第」で見物するのにも無料ではなく、一箇所見るのに何と400円以上もかかる。

地獄は十数箇所もあるので、全部見た回るにはちょいと高いかな・・?、
ここは適当に選別しながら、まぁ観光地価格と割り切るしかないのでは。



宿を出て温泉街のいで湯坂を、更にみゆき坂を進むと、白池地獄、金龍地獄が左右にある。女性の客引きが盛んに呼び込んでいて、「 2000円のお得用で全箇所見物できるヨ・・」と宣伝している。

白池地獄」:和風庭園にある池が青みを帯びて白色をしている。
これは、噴出時は透明な湯が池に落ちた際、温度と圧力の低下により青白く変化するためであるらしい。

金龍地獄」:この地獄は温泉の噴出量が尋常でなく、温泉の噴気が龍が立ち上るがる如く見えるので、その名前がついたとか。
その龍も鎮座されていて、温室が併設されたバナナ園が有名・・?。

鬼山地獄」:別名オニならぬワニ地獄のこと、大正12年に日本で初めて温泉熱を利用し、ワニの飼育を開始したところ。

かまど地獄」:泉温90度の温泉が噴気とともに湧出、古来より氏神の竈門八幡宮を祀り、地獄の噴気で御供飯を炊いていたことがその名の由来。 
かまど地獄は1丁目~6丁目までさまざまな湯の池がある。

山地獄」:一寸離れた山あいにあり、至るところからモウモウと噴気が上がっていて本来のミニ地獄模様が見れる。
ここでは小さな動物園があるのが特徴、ゾウやカバがのんびり温泉に浸かっていて、子供に一番喜ばれそうな地獄であろう。

海地獄」:山が在れば海も在る。
別府地獄のなかでも最大の地獄で、コバルトブルーの色をしていて地獄というより天国の様な美しさである。
池の色は温泉中の成分である硫酸鉄が溶解しているためという。
縁にはゴウゴウと間歇的に噴出していて、実際に広大な池の温度は何と98度を超え、入ったら即座に釜ゆで状態になること請け合いで、やはり地獄である。 
園内では温泉熱を利用してアマゾン地方原産のオオオニバスや熱帯性睡蓮を栽培しており、レストラン、売店、そしてやや高台に広大な足湯もある。
今上天皇、皇后も御来見とか。

最奥部に「鬼石坊主地獄」、明治以降「坊主地獄」として観光名所になっていたらしいが、近年、新たに「鬼石坊主地獄」としてオープンしたという。
灰色の熱泥が沸騰する様子が坊主頭に似ている事から名付けたという。
施設内には、「足湯」更には入浴風呂がある、別料金。

この地域から一寸離れた北部に「血の池地獄」がある。 
地下の高温、高圧下で自然に化学反応を起こし、生じた酸化鉄、酸化マグネシウム等を含んだ赤い熱泥が地層から噴出、堆積するため池一面が赤く染まっている。
泉質も変わった酸性緑礬泉(さんせいりょくばんせん:硫酸第一鉄の通称)という。  
ph2.4以下の強酸性の足湯があり、皮膚病、水虫にも効果有りといわれる。
大きな売店もあり、ここに、赤色の泥を利用した軟膏薬が売られている、効き目は如何に・・?。


いやはや実に地獄の博覧会であった。
白とか、青とか、赤とかの原色系の湯が湧いている様は自然の異様さを物語るし、地球の偉大なる息吹が地獄であるのもさることながら、地球は生きていると正に実感できる。
それにしても園内の造作、装飾、演出は立派・・?  
別府は真に「天国と地獄」の温泉場である。

「鉄輪温泉と地獄MAP」  http://www5.ocn.ne.jp/~kannawa/newkmap0311.html



夕刻、妻より電話連絡あり。
義母、娘夫婦家族、妻が一緒で 「サンフラワー号・最後の航海」と名うって、九州、宮崎から鹿児島への観光旅行の計画がまとまったとのこと。 往路に6月10日、羽田空港発:7時55分⇒宮崎空港9時35分、宿泊は鹿児島・指宿温泉「フェニックス・ホテル」泊まり、帰路は11日、宮崎港・サンフラワー号・20時20分とのことである。 小生も、それに合わせて行動し、宮崎、鹿児島等を同行観光することにしている。

明日は「九重高原




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2011年5月20日金曜日

日本周遊紀行(130)別府 「別府八湯」

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『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
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 日本周遊紀行(130)別府 「別府八湯」   、




別府温泉の象徴、歴史ある「竹瓦温泉」




「地獄めぐり」の前に別府八湯について・・、

豊後大分・別府市は古くから日本を代表する温泉地として国際的にも知られ、年間の観光客数は1100万人を超えるという。
そして温泉の他にも歴史と文化溢れる町として「国際観光温泉文化都市」とチョット長ったらしい都市宣言している。 

市内には約2500人の留学生が勉学に励んでおり、一般市民50人に対し1人の留学生が暮らす日本でも有数の異文化あふれる国際交流都市としてのユニークさもあり、世界へ向けて国際観光都市・別府温泉を発信している。


別府温泉は源泉数、湧出量ともに日本一を誇る。 
源泉数(孔)2847箇所、(日本全国の約1割)湧出量は一日13万KLを超える。 

温泉は鶴見岳(1375m)と伽藍岳(1045m)の二つの火山の地下に存在する食塩型(Na-Cl)の熱水であり、その温度は250~300度、熱水は天水(雨水)が主で東側の断層に沿って海岸方向に流動し、低地に流れるにしたがって傾斜地や平地に溢れ出している。 

この流動期に沸騰し、浸透水により希釈され、岩盤との反応により多種多様の水質(泉質)が形成され、多数で多種の温泉を湧出する地域を形成している。 これらの別府温泉を総称して「別府八湯」と呼ばれ、愛称、“温泉合衆国”とも言われている。

別府の市域から見ると沿岸地区に浜脇、別府、亀川の各温泉が在る。
浜脇温泉」は、別府駅の南約1kmの海沿いに位置し、別府温泉発祥の地、浜から湧いたのでその名が付いた。今でも昔風の旅館が並び、明治・大正時代の花街の名残もとどめている、炭酸水素泉、塩化物泉など。

別府温泉」は、JR別府駅から別府湾にかけての中心に位置する温泉街で、街は別府八湯の中では最も歓楽的な要素が強く、夜になれば飲食店や風俗店のネオンが煌く。 
別府温泉の中心にあって、そのシンボルと言われる共同湯・「竹瓦温泉」を有する。
この温泉は松山の道後温泉本館を彷彿させる温泉館で明治12年に開かれた由緒ある温泉で、単純泉、食塩泉、重曹泉、重炭酸土類泉など多数の温泉が湧き、各泉質に応じて効能があるといわれる。

亀川温泉」は、別府の北の玄関として豊前小倉への交通の要衝でもあったため、旅人の疲れを癒す湯治場として栄えた。
現在は一遍上人が上陸したといわれる、上人ヶ浜公園の一角に市営の別府海浜・砂湯が有り、周辺には温泉を活用した病院や療養施設、保養所を数多く有している、泉質はナトリウム・塩化物泉。

一方、山沿いには観海寺、堀田、明礬、柴石温泉と続く。
観海寺(かんかいじ)温泉」は、別府駅西側の山の斜面にある温泉で、別府湾の見晴らしがよい。昭和6年の大火後、復興し観光温泉場として急速に発展したところである。
現在では別府を代表する巨大な杉乃井ホテルなど大型リゾートホテルが連立し、レジャーの殿堂となっている。 
杉乃井ホテルでは別府温泉の豊富な地熱を利用して、地熱発電による冷暖房、温水プール、植物の温室栽培などを行っている。
単純泉、含重曹食塩泉で神経痛・リューマチに効能がある。

堀田温泉」は、観海寺温泉の更に奥、由布院へ向かう県道11号(やまなみハイウェイ)沿いにある静かな山の温泉で、湯布院、日田あるいは太宰府等へ通じる交通の要衝でもあったため、長旅の疲れを癒す旅人たちの憩いの場として栄えた。
今でも田んぼや谷間から盛んに硫気が噴き出している。 泉質は弱酸性低張性高温泉、硫黄泉。

明礬(みょうばん)温泉」は、伽藍岳の中腹標高400mの所にある山の温泉街で、藁葺きの「湯の花小屋」からは白い噴煙が立ちのぼり、訪れる人を楽しませてくれる。江戸時代はその名の通り明礬(硫酸塩と金属イオンの複塩の総称)を大量に採取していた。 

別府温泉保養ランド」別称、“温泉のデパート”と言われ、泥湯、蒸し湯、露天風呂、打たせ湯等が広い敷地内に点在している。特に女性に人気があるのが「泥湯」で、適量のコロイド(微粒子)硫黄を含む鉱泥に浸かっていると底からゴボゴボと熱泥が噴出し、体が浮き上がってくるので丸太で抑えるという。 珍しく、美肌に良いと言われる。 酸性硫化水素泉、緑ばん泉で神経痛・リューマチ・皮膚病に効能がある。

柴石(しばせき)温泉」は、鉄輪温泉、血の池地獄の近くにある由緒ある温泉で、895年に醍醐天皇、1044年に後冷泉天皇が入湯したといわれている。 
優れた自然景観は近くに森林遊歩道を有し、鉄輪・明礬と共に国民温泉保養地に指定されている、泉質はナトリウム・硫酸塩・塩化物泉など。



日本1位、そして世界2位の湧出量を誇る別府市の別府八湯の温泉群。 その中心に位置し、最も多くの温泉源が集中するのが「鉄輪温泉」(かんなわおんせん)である。 

先にも記したが、その歴史も古く鎌倉期、一遍上人が念仏行脚の途上鉄輪の地を訪れ、猛り狂う地獄地帯を鎮めて湯治場を開いたのが鉄輪温泉の始まりとされている。
いまだに「湯治」の雰囲気を残す温泉街、処々方々に湯煙が立ちのぼり、まさに別府を象徴する景観である。  

狭い道の両側には多くの共同浴場、旅館(貸間)、土産品店がひしめいていて温泉ブームといわれる今、日本人の温泉文化が集積されている街でもある。
路地裏から地獄地帯(地獄巡り)までの別府八湯の代表といわれる鉄輪温泉は真に「温泉博物館」とも言える。

寅さんシリーズの「男はつらいよ」でも映画になり、シリーズで各地の景勝地を巡っている監督の山田洋次氏は「残したい日本の風景」の中で、町並みとして鉄輪温泉を取りあげている。

別府地獄めぐりの中心に位置する鉄輪温泉は泉質も単純泉、食塩泉、炭酸鉄泉など多彩であり、周辺に多様な地獄である海地獄、山地獄、カマド地獄、鬼山地獄、白池地獄、金竜地獄などがある。

それでは次に「地獄巡り」を致しましょう。




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日本周遊紀行(130)別府 「鉄輪温泉」(2)

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 日本周遊紀行(130)別府 「鉄輪温泉」(2)  ,



写真:宿・双葉荘前の「地獄原温泉」


鉄輪温泉の入浴無料・「渋の湯」




一遍上人の開湯、別府・鉄輪温泉・・、

翌朝、眠気覚ましに当館の温泉に浸かって、朝飯前の散策に出かける、昨日とは違ったコースで温泉街の共同浴場を巡ってみた。 
先ず小生の部屋からも覗ける宿の正面、「いでゆ坂」に面した「地獄原温泉」がある。
入口にあるお地蔵さん(一遍上人・・?)のさい銭箱に100円を入れて男女が左右に入場するようになっている。 

克っての平安後期から鎌倉期、この辺りは一面に噴出する「熱湯地獄」だったという。 
古い記録によると鎌倉期の僧・一遍上人が九州巡歴の際に立ち寄り、地湯の湧くこの地を温泉地として開拓したといわれ、今もこの辺りは「地獄原」と呼ばれている。
共同湯の名称もここからきている、含ホウ酸食塩泉。


ご存知、一遍上人は鎌倉中期の僧(1239~1289)で時宗(念仏宗)の開祖でる。
一遍は日本中を遊行(修行)しながら「南無阿弥陀仏」の念仏を唱え、名号(みょうごう・仏、菩薩の名)の札を出会う人ごとに配ってその世界の楽しさを“踊り念仏”で表現したと言われている。現在の「盆踊り」の発祥とも言われている。 

13歳になると九州・大宰府に移り、10年以上にわたり浄土宗を修行する。 
一旦、還俗するが32歳再出家して、上人が九州の地を踏むのは青年期の修行時代と壮年時代の遊行時代になる。 

古い文献によると建治2年に「一遍上人が九州にくるや、初めてこの地に上陸したとの伝承があり、これ上人ケ浜の名ある所以なり」とあり、今の八湯の一つ亀川温泉の海浜砂湯の上人ケ浜は、その地名の由来とされるという。 

又、当地の共同湯「むし湯」は鎌倉期の建治2年(1276)に一遍上人によって創設されたとあり、受付の前には一遍上人の木像 が安置されている。 
建治2年は上人が38歳の時であり、九州遊行時である。

いで湯坂の中ほどに一遍上人所縁(ゆかり)の「永福寺」がある。
この寺院では、鉄輪の地獄を鎮め、温泉を開拓した一遍上人を「渋の湯、蒸し湯」にお入れする御祭りが行われるという。
永福寺に祀られている上人座像を御室ごと運び出し、「渋の湯」で洗い清め、「むし湯」に入湯させる「湯あみ法要」が行われるという。


次に、宿の裏側から行く、小さな路地だが食料品の小店もあり十字路の先に「熱の湯」がある。
始めは下熱の湯とも言われたらしく、身熱を除去する効果があることから名づけられたという。
入浴無料がいい。 塩化物泉。 

十字路には「すじ湯」が在る。 
木造平屋の普通の住宅の様な共同浴場あり、組合員と宿泊者のみが利用できるらしい、一般客もOk・・?入浴料は寸志とか。


鉄輪温泉特有とでもいえる貸間風の小さな温泉宿が並ぶ路地であり、時間の早い朝方なので未だ人通りは少なく閑散としている。 
ただ共同浴場のオープンは早く、6~7時には開いているようである。
この周りには既に浴衣姿の人々が行き来している。

路地を真直ぐ行くと、この地の中心とも言えるところ共同湯が三軒並ぶ。手前に一遍上人が開湯したといわれる「蒸し湯」がある。 
約八畳ほどの石室があり、温泉で熱せられた床の上には菖蒲(しょうぶ)によく似た石菖(せきしょう)という。
清流沿いにしか群生しない薬草が敷きつめられていて、その上に人が横たわる。石菖特有の純朴な香りで・・、
 
『 豊後鉄輪 むし湯の帰り 肌に石菖の 香が残る 』 

と詩人の野口雨情が詠っている。 
浴料210円で、Tシャツと短パンを持参せよとある。 

次にモルタル造りの一寸古ぼけた「元湯」がある、組合員と宿泊者のみが利用できる共同浴場らしい湯のようで、無色透明で柔らかく、ぬるりとした感じで美肌の湯ともいう。 

奥にあるのが「渋の湯」で、現在の建物は平成10年に建設され真新しい共同湯で、鉄輪を訪れる人々が行き交う「いでゆ坂通り」にも面していて判りやすい。 しかも無料温泉なので多くの利用者でにぎわうという。 塩化物泉。

鉄輪温泉の「いで湯坂」の上部に位置するのが「上人湯」である。
本来は組合員だけの利用しかできないようだが前にあるお店で入浴料を払い、入浴札を借りることで湯に浸かることができる。
白壁造りの中央入り口に神棚が設えてある。この地に上陸した一遍上人に因んでその名が付いた。

「 いでゆ坂」の南、平田川沿いにあるのが「谷の湯」、小さな宿が建ち並ぶ混み入った鉄輪温泉、そんな中でも一寸分かりにくいところにある共同場である、入浴料80円・・?。

その他にも温泉スパ・「ひょうたん温泉」や双葉荘の反対側にも一軒在り、鉄輪温泉地区でも他を合わせると全体で10数件の共同湯があり、その殆どが無料から100円前後で入れるというから真に温泉天国である。


最後に人気の「渋の湯」へ入ることにした。 

無料なので番人も何もないのが妙な感じであり、既に数人の先客があった。
肝心なお風呂は大人がゆったり5、6人が入れる広さであり、やや白く濁り気味である。 

浴槽には源泉が投入されているが水道水もガンガンに投入している。
熱いから仕方ないが温泉効果が減退されて一寸勿体無い感じもする。 先ほど宿の湯に入ったばかりなので、浴槽に浸かるというより湯船の縁で“湯かぶり”で雰囲気を味わう程度であるが・・!。 
ここ渋の湯はナトリウム-塩化物泉で源泉温度89.5℃、かなりの高温。無色透明、無臭のサッパリしたお湯でph4.6とやや酸性であるが、そんな感じは受けなかった。


今日の予定を考えながら、宿に戻った。 
朝食の後、昨日のまとめをして「地獄めぐり」へ出かけることにした。

鉄輪温泉と地獄MAP  http://www5.ocn.ne.jp/~kannawa/newkmap0311.html


次回は、「別府八湯




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2011年5月18日水曜日

日本周遊紀行(130)別府 「鉄輪温泉」

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  日本周遊紀行(130)別府 「鉄輪温泉」    、



写真:湯けむりの街、別府・「鉄輪温泉」


雰囲気のある「いで湯坂」




鉄輪温泉は貸間方式の湯治場風・温泉旅館が特徴である・・、

別府・鉄輪温泉(かんなわおんせん)の「双葉荘」滞在・・!!、と今日は、休養の一日と決め込む。 愛車も当然休養である。


鉄輪温泉は別府温泉郷の中でも湯治場風情が最も残るエリアで、その最も特徴的なのが「貸間」という名前の湯治宿が数多く存在することである。
貸間は基本的には温泉立寄り客や普通の観光宿泊客は受け付けず、湯治目的の滞在型連泊、逗留するためのもので、その良さが体験出来るのである。 

小生が鉄輪温泉の「双葉荘」を知ったのは、或る若き男性が九日間も逗留し、その良さを切々と記載してあったのをインターネットの配信上で拝見したからである。


別府七湯の一つ鉄輪温泉は、別府市の北側に位置する。
湯布院から鶴見岳の麓を来た県道11号線(やまなみハイウェイ)が国道500と合流して鉄輪の温泉街に入る。その左側が湯治場風情が残るエリアであり、中心を「いで湯坂」が雰囲気宜しく通り抜けている。

投宿する「双葉荘」は、「いで湯坂」の入り口部の角にあり、温泉街でも大きい部類の湯治宿ではなかろうか・・?。
「貸間」と言われる部屋を取り巻く中心、中庭に巨大な地獄のタワー(高温の温泉ガスが噴出する塔で下部に温泉、上部は温泉蒸気を分離する塔)が二塔あり、その周囲に蒸気釜が五個、熱湯釜が二個あり、湯治客が調理等に利用している。

これらに面している各部屋は、タワーの持つ熱気で夏場は大変であろうが、冬場は暖房いらずであろう。
小生の借りた部屋は廊下伝いの入り口角にあたり、廊下の表側にはこじんまりした庭園があり、その外は「いで湯坂」という緩い坂道になっている。 

部屋から中庭を隔てて正面に見えるのが、飾り玄関のある「地獄熱温泉」と命名している共同湯である。 
いで湯坂を往来する湯治客もそうであろうが、時間ともなるとこの共同湯の浴室窓から聞こえてくる浴客の声が、何とも賑やかで華やかで雰囲気が出ているのである。

「いで湯坂」は温泉タウンらしい派手さは無いが、下駄の音が快く響く湯治場らしい雰囲気があり、やや勾配の付いている細い路地を7、8分歩くと、かの有名な「別府地獄めぐり」が点在しているのである 


貸間部屋には湯治自炊のため小さな台所と流し台が付いていて、この勝手口を開けるといきなり地獄のタワーの正面に出る、重宝で極めて便利である。

小生の隣の部屋の老夫婦・・?(小生も老の部類に入るかもしれないが自分では、そう思わないことにしているし・・、しかし、ここでは敢て老夫婦と呼ばして頂く)
たまたま、冷蔵庫が共用になったのを機に話す機会があった。 

奈良の田舎から見えてるらしく、ここ数年間定期的に双葉荘に厄介になり、その時は凡そ1ヶ月位逗留するという。
御両人とも内疾患、外疾患の持病を持ち、来るたびに概ね回復して帰るという。 

鉄輪温泉・「双葉荘」の常連湯治客で、二人にとってなくてはならない存在になっているようである。
鉄輪温泉は別府八湯の中でも最も地熱が強い地帯の一つだそうで、外から見ても湯煙があがっているのが見える程である。
又、外湯がたくさんあって、別に宿に浴槽がなくてもいいような場所であるが、この双葉荘にはそんな鉄輪のお風呂の中でも最上のものがあるようだ。 
内湯は、二つあって一つは男女別の浴室と家族用と思える混浴の内湯がある。 
 


ところで、温泉というと一昔前は社員旅行や各種団体の旅行で、有名温泉地は一種の歓楽街の様相を呈していた。
その後、バブルがはじけて不況感が出始めると歓楽温泉地はひっそりとして、所々に廃墟のホテルも出現するなど鳴りを潜めてしまった。 

昨今は、「日帰り温泉」施設などと称して、地域振興も兼ねて各地に千mも、二千mもの掘削をして温泉を引き出している。
これらはクアハウス、温泉館と称して低料金で一日楽しく遊べて、さらにストレス解消に役立ち、庶民温泉の代表として人気がある。 
また、「癒し」を求めて、鄙びた温泉地や名物の露天風呂を巡る旅行者もいる。


人それぞれに温泉の目的が異なるし、温泉地も社会の変化に応じて変わってきた面もある。
立ち上る白い湯気に包まれて、湯船にどっぷりと身を沈め、思いっきって手足を伸ばす。 

我が家の風呂でもそうだが、まして温泉ともなると、この一瞬に幸せを感じるのである。 
今も、温泉それ自体は何ら変わることなく、人々に愛され好まれている奥の深いものであろう。


一般に温泉に効能、効果があることは誰でも知っているし、その健康的な癒しのイメージが温泉の魅力の一つであることは誰も否定しない思う。 
温泉は昔から存在していて、しかも、どの温泉場も昔は湯治場風であったであろうし昨今の興味、趣味的癒し、娯楽的温泉の楽しみは少なかったのではないかと思う。

医学の発達していない昔は温泉による健康回復、病の克服など、その願いは今よりはるかに深刻であったであろうし、それは湯治場の湯泉や浴槽に祈るような気持ちで入湯したものであろう。 
老いと向かい合い、病と向かい合い、死と向き合う場所、本当の温泉とはそうしたところではなかろうか・・?。



「双葉荘」の三つの浴室の一つに正面に「薬師如来」が安置してあり、その脇には如来仏に捧げる「珍奇品」が供えてあり、出窓には千羽鶴が数対奉納してあった。 
しいて名前を付ければ「薬師の浴槽」とでも申そうか・・!。


各所の温泉場には温泉神社や温泉寺があり、そこには必ずと言っていいほど「薬師如来」を祀ってある。 
薬師如来は医薬を司り、人々の病気を治し、安楽を与える仏でもある。 
そのため仏像は左手に薬壺を持っていることが多いという。 
極楽往生を約束する仏である阿弥陀如来とともに日本においてはもっとも信仰されてきた如来である。 


私は温泉山の薬師如来です。あなたの情け深い心には感心しました、そなたの病を助けましょう、そなたも人々の為になりなさい」、人々は薬師如来に祈り、温泉に浸かって気を癒し、病を治し安楽な体気になって戻っていくのである。 
そして千羽鶴の真摯な祈り、切ない願いが伝わって来るようである。 

双葉荘のこの浴場こそ本来の温泉湯治場の姿であったのかもしれない・・!。 

この浴場は、きっと皆から大切に使われ、その過程で自然にこのような姿に形成されたのだろう、このような浴場を意図的に造ろうと思っても造れるものではないだろう。
昨夕は先ず到着するなり、早速この湯船に浸かったのである。 
薬師仏を祀った浴泉は、一層霊泉あらたかな気分がするのである。



湯上りに、この付近をのんびり散策し今夜からの食材を若干調達する。 
スーパー、コンビニはすぐ近くにあるから便利である。 
部屋の前の泉熱で簡単な調理が出来るし、どうしても火が必要な場合はガスコンロが設置して
あるから安心である。 
米を磨いでコッヘルに入れ地獄釜に入れておくと、一風呂浴びている間に出来上がる。 
調理場の看板によると先ず、地獄釜は100度以上あるのでヤケドに注意・・と記されて御飯・赤飯30分~、ゆで卵10分、葉物野菜3分、根菜20分・・・とある。 

勿論、部屋には簡単な台所、調理場がありナベ、カマ、茶碗その他が揃えてあって気軽に利用できる。
初日なので、炊きたて御飯にボンカレーと大缶のビールなどを先ず食す。 

気分が解放され、ホットな湯上りのビールは喉越しにしみとおるが、何より今日一日の達成感と生の喜びまでがしみわってくるのである。 


表通りからはカランカランと下駄の音が聞こえ、向の浴室から掛け湯の音や賑やかな女性のカン高い声が伝わってくる。
実にいい雰囲気で開放された気分であり、遂々、ウイスキーまでアオッテ酔っ払い寸前にまでいってしまった。 

それでも湯場には数回通って、終いには酒に酔ったんだか、温泉に酔ったんだか判らない具合で床に沈んでしまった。 

一般に酔っ払って風呂に入るのは好くないと言われるが、これが実にいい気持ちなのである・・ハイ。
宿の各部屋を取り巻く中庭に温泉の熱源があるので、冬でも蚊がいる・・と、お上さんから電気蚊取りマットを拝借していたので、お陰で昨夜はグッスリ眠れたようである。

引き続き「鉄輪温泉」へ続きます





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2011年5月17日火曜日

日本周遊紀行(129)湯布院 「湯布と由布」

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 日本周遊紀行(129)湯布院 「湯布と由布」   、  、




写真:宝泉寺温泉・「石櫃の湯」


写真:九州の名山:由布岳(標高・1584m)



湯の町・宝泉寺、湯布院、別府へ・・、

国道387に標識があって「ファームロード」と書かれていた、広域農道のことだろう。 
2車線幅のなだらかなカーブの道、車も格段に少なく快走である。
この先から次第に山間部に入り、くねくねした道は一寸した峠越えという感じである、まもなく亀石峠に着いた。 

標高800メートルで四方の視界が良く清々とした結構な場所である。 
ここは既に県境のようで、これより大分県・九重町であった。 
下ったところに宝泉寺温泉があり覗いて見た。

名前の通り以前は「宝泉寺」というお寺があったというが、現在はお寺は残っていないようだ。 

川沿いに数件の鄙びた温泉宿が並んでいて、実に雰囲気が良い。 
心地よい清流の木橋(太鼓橋)を渡った場所に、風情の良い共同露天風呂の「石櫃の湯」というがあった。 

石櫃とは棺桶のことで何かお寺に関係がありそうだが、確かに露天風呂の横にお堂があって、何故かそこに石櫃が鎮座している。
簡単な男女別の脱衣所はあるが、湯船は一つで混浴になっている。


宝泉寺温泉は、作家・檀一雄氏がふらりと立ち寄り、入湯したことでも地元では知られ、「澄み通ったお湯が絶えずあふれ出していた・・」と短編・「女の牧歌」に記している。

檀が投宿した「湯本屋」(現、宝泉寺観光ホテル)には、その名も「檀の湯」というのがあるらしい。


檀一雄は破天荒な人生を送ったことでも知られ、有名な自伝的ベストセラー小説「火宅の人」は映画にもなった。
長女には小生も好む清楚な女優・「檀ふみ」がいる。

宝泉寺温泉は九重九湯の一つで、平安期には開けていたという古湯である。
因みに、九重九湯とは宝泉寺温泉のほか近在の壁湯温泉、川底温泉、龍門温泉、湯坪温泉、筋湯温泉、筌の口温泉(うけのくち)、長者原温泉、寒の地獄温泉を指す。 



山峡の地も九重町あたりからは町並みも表れてきて賑やかになり、伴って国道210号と九州高速・大分道が並行するようになる。 
しかし、すぐまた山中へ分け入るようになり、その峠が湯布院の手前の「水分峠」と言われる所である。 

別府と阿蘇・一の宮、九重連山を跨ぐ県道11号・やまなみハイウェイが交差する峠でもあり、かつ福岡と大分とを結ぶ国道210号線の最高所(標高707m)である。 
並行してきた大分道がいつの間に消えたと思ったら、この下がトンネルになっているらしい。 
ここは三国の分水嶺で九重、玖珠、湯布院の各町の境界でもある。 
普通なら「分水峠」と称するところ、「水分峠」という呼称の訳は定かでない。 

峠にはドライブインの他、スタンド、コンビニまである盛況である。 
下りきった所に今度は「道の駅・ゆふいん」があった、“ゆふいん”と「かな文字」で書かれているのが判る気がする。 

“ゆふいん”は「湯布院」又は「由布院」と呼ばれる温泉地でもあり、このことは後の項目に譲るとして尚、湯布院には後日訪れる予定である。 



この先は国道から分かれて、県道11号にて別府を目指すことになる。 
湯布院の高目を更に、大曲を繰り返しながら登ると「狭霧台展望地」というところへ来た、大草原の真っ只中にスケールの大きな眺めが得られる。 

眼下に湯布院盆地と温泉の町並みが一望できている、振り返れば眼前に由布岳が迫っている。ここは霧がよく発生するところでもあるらしい、霧に包まれた湯布院盆地は幻想的だが、この付近は山岳路で霧のあるときは危険極まりない道路でもあろう。


さて、「由布岳」である・・、
登山好み、山好きの小生、美しい山が現れると、つい、見惚れてしまうのである。

そして由布岳は際立った山である。 
人気の高い観光地である湯布院の北東部に聳え、古くから神の山と崇められ「豊後風土記」や「万葉集」にも登場する名峰で、豊後富士と呼ばれ親しまれている。 

標高は1584mの独立錐形峰であり、頂上部は双耳の峰になっており通称、東峰、西峰といわれる。 
小生見るところ雄岳、雌岳であり、夫婦融合の山の様に映るが・・・?。 

尤も、地元、別府の人に言わせれば、由布岳は男の山であり、この先に控える鶴見岳が女の山であると言い、この両山が夫婦の山と呼んでいるようである。


ところで、「風のハルカ」というタイトルでNHKの朝の連続テレビ小説が本年(2005年)10月3日から放送されていた。 
舞台はこの湯布院である。 

湯布院の父子家庭の下で貧しい生活を送った主人公“ハルカ”が、大阪の別れた母の元へ行き、やがて幸福の本当の意味を知って湯布院の観光職員になって街のPRに務めるという、家族の再生のサクセスストーリーである。 
タイトルバックにこの由布岳が登場し、中村メイコが由布岳の「精」という設定で主人公を暖かく見守るという、「由布岳の声」を演出している。小生も今、懐かしく拝見していて、今後のストーリーが楽しみである。
 

展望地から道は更に曲折を繰り返し、由布岳の直下まで登る。 
由布岳の山麓の草原地帯には噴火時の火山岩であろう、巨石が点々として一種異様は風景を呈している。 
この辺りが峠になっていて、今度はじわじわと下りながら別府へ近ずく。 
次には「鶴見岳」の堂々たる勇姿が左に望め、間もなくロープウェイの山麓駅が路側にそってあった。 標高1375mの鶴見岳へは、このロープウェイが山頂近くまで運んでくれる。 春はミヤマキリシマ、冬は霧氷が特に美しいという。 山頂には、「火男火売神社」が祀ってある。

鶴見岳は平安期867年に大噴火し、火山泥流が別府湾岸まで流下したという。
この大噴火を鎮め、鶴見山麓一帯に別府温泉を創ったというのが「火男火売の神」であるといわれる。
つまり火を治める神にして、別府温泉創生の神というわけである。 

火男火売神社の御祭神は、火之加具土命(ヒノカグツチ・男神:神話ではイザナギ・イザナミが生んだ神々の一神とされ、火の神のことである)で、鶴見岳の大噴火のさい火気を鎮め、以来火を治める火の神、温泉の神として別府温泉の総鎮守として崇敬されている。 

近年では開運の神様として県内は勿論県外よりも多数の参拝者があるという。 
境内には“天神さん”や“お稲荷さん”、“秋葉さん”などの末社がある。 その「秋葉さん」は別府市秋葉町にある秋葉神社のことで、やはり火を治める神として有名であり、この秋葉神社の総社は静岡にあるのは周知である。

現在も鶴見岳北側からガラン岳にかけては火山性噴気が噴出しているが、火の神を祀る鶴見岳への大自然への感謝なくして、今の別府の温泉及び観光は成り立たないのである。


カーナビに従って別府・鉄輪温泉へ向かう。 
高めより町並みを見渡すと、既に街の彼処(かしこ)に温泉の湯気が立ち上っている。 
鉄輪温泉(かんなわ)の温泉地の入り口に大きな案内板が立ち、従って、逗留地「双葉荘」へ到着した。

次回は、別府・鉄輪温泉




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2011年5月16日月曜日

日本周遊紀行(128)北里 「北里柴三郎」

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 日本周遊紀行(128)北里 「北里柴三郎」  ,





北里は第1回ノーベル賞の最有力候補となるが、「黄色人種」であるという理由から受賞候補から外された・・!!、

サッパリ気分で「黒川温泉」を後にする。
粋な川端通りから橋の袂に来たとき、河原近くに共同浴場の「穴湯」がこじんまりと佇んでいて入浴料100円とあった。 

先ほど来た道を一旦小国町まで戻り、熊本、菊池から延びている国道387を行く。 
途中、北里地区(小国町)に「北里柴三郎記念館」があった。 細菌学者で医学博士の北里柴三郎の生家であり出身地である。 

この辺りの地域名は「北里」と称しているが、元々、肥後の国・北里村であったようで柴三郎は江戸末期・嘉永5年に、この村の庄屋の倅として生まれている。当時は「北里村の柴三郎」という呼び名であったろう。


江戸時代には「苗字帯刀」(姓名を唱え、刀を腰につけること)は武士だけの特権であり、身分を示す象徴としての役割を果していた。 
しかし庶民の中でも特に家柄や功績によって、又ある場合には御家人株の売買などによって苗字帯刀が許されることもあった。 
その場合は一代許可、永代許可、名字のみ、帯刀のみの例もあったようである。 


1870年(明治3)に太政官から苗字差許し(さしゆるし)の布告が出されたが、市民は苗字がなくても特に不自由しないので苗字を名乗ろうとはしなかった。 
しかし、明治政府は戸籍整理のため1875年には苗字を持つことを強制、義務づけられた。 

同時に帯刀については、同じく1870年に庶民の帯刀は禁止されている。 
苗字の付け方は各々自由だったらしく、山の方に住んでる人は山に関係した呼び名で山本、山下、山中・・、海辺の人は浜中、浜内、内海・・、村や地域の名を取って付けた人はその土地の功労者や責任ある立場の人であったろう。 

北里家は元々村の庄屋であったので村の名を名乗ったのかもしれない。 
因みに、9月19日は「苗字制度の日・苗字の日」、2月13日は「苗字制定記念日」である。



北里柴三郎は細菌学者として野口英世と並び、世界にその名を知られる。
小生在住(厚木市)のすぐ近く、神奈川県相模原市北里地区に北里大学病院があり何度か世話になったが、近辺の人達にもかなり評判が良い病院のようである。むろん、北里柴三郎が創立した病院である。


明治中期(1901年)、日本最初のノーベル賞の受賞確実とされたが、偏見にて除外された事は「知る人ぞ知る」であろう。 

この時、共同研究者であったベーリング(ドイツの医学者)と共にジフテリアの血清療法を発表し、その功績により1901年の第1回ノーベル賞の有力候補となるが北里は「黄色人種」であるという理由から受賞候補から外され、べーリングのみがノーベル生理学・医学賞を受賞したという。 

この件に付いての資料が近年発見され、初期のノーベル賞受賞選考の際に明らかな人種差別があった事の証明となり、ノーベル賞の「負の歴史」として残されているという。



北里柴三郎は明治4年(1871)熊本医学校に学び、更に東京医学校(現東京大学医学部)に進んでいる。卒業後、内務省衛生局に勤務、国の留学生として結核菌の発見者であるドイツのローベルト・コッホ(ドイツの細菌学者、炭疽菌、結核菌、コレラ菌の発見者)に師事する。 

ここで貴重な研究業績を次々に発表、とりわけ破傷風菌の純粋培養法の確立(1889)と血清療法の発見(1890)は前人未踏のもので世界の医学界にその名を留めた。 

帰国後、福沢諭吉などの援助により伝染病研究所を設立、わが国の近代医学に大きな足跡を残す。
この研究所では野口英世(福島県猪苗代の貧農家の出身・日本の世界的細菌学者で黄熱病や梅毒等の研究で知られる、研究中に自身も感染して51歳で死去)なども学んでいる。 

福沢諭吉の没後の1917年(大正6年)、彼による長年の多大なる恩義に報いるために遺志を継ぎ、福沢の創立した慶應義塾大学に医学部を創設し初代医学部長・付属病院長となる。

新設の医学部の教授陣にはハブの血清療法で有名な北島多一(第2代慶應医学部長、第2代日本医師会会長)や赤痢菌を発見した志賀潔など北里研究所の名だたる教授陣を惜しげもなく送り込み、柴三郎は終生無給で慶應義塾医学部の発展に尽力したという


又、明治以降多くの医師会が設立されたが、一部は権威争いで反目しあうなど、ばらばらであったが1917年(大正6年)、柴三郎は全国規模の医師会を統合し初代会長となって大日本医師会が誕生する。
その後、医師法に基づく日本医師会となり、柴三郎は初代会長としてその運営にあたっている。
昭和6年(1931)死去するまで終生わが国の公衆衛生、医学教育、医療行政の発展に多大な貢献をしたのである。

次回は、「湯布院




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2011年5月15日日曜日

日本周遊紀行(127)南小国 「黒川温泉」

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日本周遊紀行(127)南小国 「黒川温泉」  、




黒川温泉入口の案内板



黒川温泉・日本の秘湯「神明館」(橋向うの玄関)




神明館の名物の手彫り浴槽「洞窟風呂」




今や、全国人気No1と言われる黒川温泉も、克ってはそれなりの苦労が・・、

筑後川源流の一つ、田の原川に沿って進むと洒落た田舎つくりの茶屋があった。
そこに「夫婦滝」とカンバンがあり駐車場もあったので覗いてみた。
茶屋の裏側を辿ると薄暗い樹林に囲まれた田の原川に、二筋の渓流から左右に分かれた大小の滝が落ちていた。 

山歩き」を趣味の一つとしている小生にとっては珍しくも何とも無い滝であるが、縁結びの滝として知られ、若い男女が訪れるスポットにもなっているとか、国道のすぐ横にある好条件で、普通の観光客には喜ばれるのかもしれない。


この国道442は別名、日田往還・九州歴史街道と言われる。 
日田と竹田を結ぶ参勤交代の道で田の原や黒川はその中継地にあたり大名や旅人たちが温泉に浸かり、旅の疲れを癒し、一時の休息をとった地である。 
今は車がガンガン通る舗装された道であるが、所々に昔の面影が残っている。 

黒川から先の瀬の本高原までの道筋には、今も美しい松並木が所々に続く。 
松にきく虹の道」と、チョット意味不明だが地元の人は愛称で呼んでいるらしい。


鄙びた「田の原温泉」を過ぎると間もなく黒川温泉の入り口にきたようだ。その名の通り黒い看板に達筆な文字で「黒川温泉」と記してある。 
上流に到ってかなり小幅になっている田の原川の洒落た木橋を渡る頃には、温泉地らしい佇まいが感じられる。 

渓流の傾斜地、雑木林に隠れるように湯宿が点々と並ぶ山あいの温泉地である。 
風情を眺め楽しみながらゆっくり車を進めると左に温泉街の中心地であろうか旅館組合、休憩舎、駐車場があった。 
粋な造りの組合事務所に大きな色鮮やかに黒川温泉の絵地図が掲げてある。



今、この温泉地は女性(若い女性・・?)にとっては、全国でもナンバー・ワンの人気があると言われる。
ここには温泉街の歓楽的な煌びやかさは無い、緑や花に囲まれた趣向を凝らした特徴ある宿屋が離ればなれに点在しているのである。 
且つ、高温で良質な温泉がフンダンに湧き、この温泉を利用した独特な風情ある風呂、特に露天風呂には定評があると言う。 この各旅館の露天風呂巡りはテレビの旅番組や旅行雑誌には時折取り上げられ、話題になるの

である。そのきっかけとなったのが昭和後期に考案されたという“入湯手形”での湯巡りと言われる。
浴衣でのそぞろ歩きが似合う情緒ある街並みが、女性客に特に支持されている所以であろう。


因みに、九州では話題沸騰中で人気度トップはここ黒川温泉であり近年、一躍脚光を浴びマスメディアなどでも温泉ランキングで日本一に選ばれたりするようになった。 

JTB(旧日本交通公社)では全国でベスト3、人気温泉ランキング全国の3100余の温泉地から大手旅行会社をはじめとする“旅のプロ”が選んだ温泉ランキングベスト100では黒川が第6位にランクされている。 

又、黒川温泉観光旅館協同組合は「第13回優秀観光地つくり賞 日本観光協会会長賞」を授与している。黒川温泉の「景観性」、「地域密着性」、「独創性」などが高く評価されたという。

一昔前までは只の田舎の温泉地で寂れに寂れ、温泉街の存続さえ危ぶまれ、閑古鳥の啼く温泉地であったという。
一時、「やまなみハイウェイ」の開通で盛り上がりを見せたが、再び客足が遠のいてしまったとも。

その後、単独の旅館が栄えても温泉街の発展にはつながらないと考え一意専心、一躍奮起し温泉街の旅館、住民一体となった再興策も練られ、様々な案が浮かび上がり、試行錯誤と創意工夫によって創り出されたのが現在の“露天風呂と田舎情緒”を主題とした町造りであったと言う。


話は反れるが、町興しに関連して、北の果て北海道・旭川市、町の人の要望で「旭山動物園」が開園した。 始めは順調だったが次第にジリ貧になり、動物の流行病などでダメージを受け、終いには「市のお荷物」といった“不要論”が起き、市が民間委託をも検討していた。 こんな時期、所員たちは「動物の素晴らしさ、動物とふれあう楽しさを感じてもらい、人と自然とのかかわりに目を向けてもらうのが動物園の役割」という園長の思いを形にしたく、その後職員一同が奮起し、お客さんに動物を見てもらう為のアイディアを次々発案し実行してゆく。 
一般に動物の姿、形を見せることの「形態展示」から、旭山動物園では動物の行動や生活を見せる「行動展示」に力点をおいたそうで、実際に置かれている動物の園舎はどれもこれも、その動物に即した創作造作で一杯なった。 この取り組みが評判をよび、入園者数が次第に増加しはじめ、新しい飼育施設が完成するに及んで、更に人気を呼んで遂に、不動と言われた東京・「上野動物園」を抜いて日本一の月間入園者数を記録するまでになった。
実は、小生もこの旅に出る直前の5月の連休に拝見したばかりであったが・・、“人事を尽くして天命を待ち、後に光明を得る”を地でいくような「黒川温泉」と「旭山動物園」の共通項であった。



案内所で品のいい女性に多々話を伺いながら案内書を頂いて、立寄り湯を戴くため「新明館」を紹介してもらい訪ねることにした。 
温泉地の風情を楽しみながら、ゆったり散策気分で歩くうち、向こうからカラフルな浴衣姿の芳紀な美女・・?三人がこちらに向かってキャアキャア笑いながらやって来る。

「おー、賑やかですね、・・ところで新明館ていう旅館は“こちら”でいいのかな・・?」
「ああ、はい、あたしたち、今、そこのお風呂に行ってきたところなの・・」
「へえ、あんた達、湯巡りですか?」
「はーい・・」
「ところで、新明館はどうでしたか?」
「最高・・!、洞窟風呂が良かったわ」
「おおっ、こりゃいい、あんた達東京からかい・?」
「んーん、近いわね、横浜なの」
「おや、おいら厚木だよ・・一人旅サ」


遠い旅先での気さくな会話が、路上で暫く続いて、・・・

「じゃあ、この先も楽しんでね・・バイバイ・・!」
「おじちゃんもね・・!!、バイバイ・・、」


おじちゃん・・ときた。 

湯上り美人というか何れも、そこそこの顔立ち、体つきで、胸の膨らみが妙に眩しく感じた。 

心の隙間に温かい風が吹き込んできて、チョット上機嫌になって温泉場へ向かった。 
いご坂」という妙な名前の細い路地の石段を下る、気の効いた造りの御茶屋が数件並ぶ。

下りきった所が「地蔵湯」という共同浴場で、瓦屋根が三段に施してある重厚な造りである。
この通りは下川端通りといって、黒川温泉街の中心的位置にあり、その名の通り、すぐ横を清流が水音も軽やかに流れている。


新明館は、この川を渡ったところに在った。 
こちらも黒ずくめの専用橋で、橋の中ほどに小休用の長腰掛が設けてあり心憎い演出である。 
正面が玄関になり、玄関枠をはじめ両脇の格子造りの窓枠も全て黒に統一してある。 
提灯がぶる下がっていて「日本秘湯を守る会」とあった。

この会は、全国の秘湯の連合会という組織を作っていて、全国に160箇所ほど加盟しているらしい。 
秘湯歩きの楽しみにスタンプ帳を発行し、加盟する宿に10軒宿泊すると加盟宿へ一泊無料招待するという仕組みである。
そして、全ての宿には例の提灯が、ぶる下がっているらしい。


早速、湯場を巡る、いずれも川端にある。 
先ず露天風呂へ・・、

広く湯ったりした風呂は自然の岩を刳り貫いたような作りで、その迫力には圧倒される。 
ほの暗く神秘的なムードが漂っていて、お湯は成分のせいか赤茶けているようだ、湯浴場の中ほどに東屋が設えてあり一層情緒を出している。 

余り、長湯はしてられない、次に洞窟風呂である。一旦、川端へ出た10数m先に在り、川向こうの道筋からは一時丸見え状態になるが、熟年の図々しさで委細かまわず腰に手拭い一つで向かう。

これがまた凄い・・!、
ちょっとやそっとの洞窟ではなく正真正銘の洞窟風呂である・・!、

中には連絡用の通路もあって、色々な場所で入浴することができる。
何といってもこの洞窟は、ここの宿の主人が永い歳月をかけコツコツと掘ったものであるらしい、いやはや恐れ入りました。 

湯は無色透明だが岩が茶色く変色するほど成分の濃い温泉で、源泉は100度近いとのこと。微かに硫化水素臭も感じられ、泉質的にも最高の湯である。
帰り際、受付のネエチャンが「女の方はいませんでしたか・・?」という、どうやらどちらも混浴だったらしい。 

先ほどの、芳紀三人女性と、この洞窟風呂で一緒に浸かりながら話ができたらナア・・、などと空想に耽る。
こちらの湯場は「日本の秘湯100選・全国の6位にも選ばれている」という・・、納得である。



さて、当館当主・「露天風呂の神様」と言われる「後藤哲也」氏である。
若い頃は時間があれば人気の温泉地や京都、軽井沢といった観光地を訪ね歩き、何故ここには人が集まるのか、自分の目、耳でじっくり確かめて回ったという。

そこで気づいたのは客がお金を払って泊まりにくるのは“癒しと寛ぎ”を求めるからと気がついたという。 
旅館の使命はストレスを解消し、自然という空間に身を置き、非日常的な時間の流れを思う存分開放されたいという気持ちではないかと。
そして“温泉風呂”は時空を超えて、心も体も最も癒される空間であるべきであると。

そこで後藤氏は日本一の露天風呂造りを決意する。 
23歳の若さで、敷地内の岩山を掘りぬいて客が感動するような幻想的な露天風呂を作ることに取り組む。以後、凡そ10年をかけて岩山を削り、現在の洞窟風呂を完成させたという。

更に京都の庭から独学で学んだ樹木の配置等にも気を配り、よりリラックスできる空間を演出した。 評判は口コミで広がり、後藤氏の勤める「新明館」はたちまちお客で溢れかえったという。


黒川温泉は後藤氏の取り組みをきっかけに、地域興しとしての温泉街全体が同様の取り組みを行い成功した顕著な例であろう。 
それは、周辺の豊かな自然環境、豊富な高温源泉を上手に利用し、情緒ある露天風呂に取り組むとともに、「入湯手形」という形を生み出し、温泉街全体が共生したことによるものであった。

次回は、「北里村




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01. 15.

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