2011年5月14日土曜日

日本周遊紀行(127)南小国 「日本で最も美しい村」

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『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/




 日本周遊紀行(127)南小国 「日本で最も美しい村」 





自然資源と地域振興を成し遂げる町・・、


バックミラーに映る阿蘇が次第に遠ざかる。
この街道、国道212号線は別名「日田往還道」と称し、古(いにしえ)の道でもある。
今、南小国町であるが、このまま小国町から杖立(杖立温泉)、大山川の清流を北上すると、その日田に出る。 
大分県日田は「日田市」という呼び名より、「天領日田」といった方が聞こえがいいらしい。

「日田」は周囲を1000m級の山々に囲まれた盆地で、山紫水明・「水郷ひた」として広く親しまれている。
歴史的には、安土桃山時代に豊臣秀吉の直轄地として栄え、その後、江戸期には天領として九州の政治・経済の中心的役割を果たし、それと同時に独自の町人文化も華ひらいた。

日田は全国に知られた木材・日田杉の町でもある。
筑後川上流の自然環境に恵まれた広大な林業地に日田杉が植林され、日田地方の主要産業でもある林業、木材業は日本の伝統的な木造建築を支えてきた。


因みに、「天領」とは江戸幕府直轄の土地のことで、日田は九州管内の6カ国の天領を統括し、幕府・代官所も置かれた所でもある。そのため九州の小京都と言われ政治・経済・文化の中心地として栄華を極め、日田への道路も整備された。

その日田往還は日田を中心に福岡、久留米、中津、別府、阿蘇・熊本方面などへのルートがあり、現在の九州における「国道の原型」にもなっているという。
往還は肥後・熊本藩主が参勤交代に利用した道で、熊本から小国を経由して大分県の鶴崎まで通じ、そこからは船で瀬戸内海を通ったという道でもある。

平成17年3月22日には、日田郡の前津江村、中津江村、上津江村、大山町及び天瀬町と合併し新「日田市」として発足している。

その中津江村は2002年の日韓FIFAワールドカップ開催前、アフリカのカメルーン国の関係者が「カメルーンの景色と似ている・・!」としてキャンプ地に指定、来日が遅れた事で更に注目を浴び、今や日本一有名な村として知られる。

カメルーン国・来村を記念して「思い出のカメルーン・中津江村」とネーミングした麦焼酎なども売られ、人気を博しているという。 現在は、日田市に編入されている。



大観峰を下った最初の街が「南小国町」である・・、 

外輪山系の水系を集めて、やがて九州一の河川となる筑後川の基部に当るのがこの町である。 
町といっても繁華街があるわけでもなく山懐に抱かれた閑静な町であり、一見、何の変哲もない人口5000人足らずでの日本国中、何処にでも在るような普通の街でもある。 

しかし、日本でも有数の自然観光地である雄大な阿蘇、九重の山麓に位置し、山里の静かな温泉等で訪れる人、宿泊客が年間27万5千人、一般観光客が100万人というビックタウンでもあり、今や九州で1、2を争う人気温泉地となっている。 
克っては、日田と竹田を結ぶ参勤交代の道の中継地で、大名や家臣達の疲れを癒す場でもあったという。

この町は、「日本で最も美しい村」連合というのに加盟しているらしい。 
この連合は北海道・美瑛町が主唱・提案し、全国に呼びかけて連合国ならぬ連合村を形成している。 
この連合の主たる目的は、素晴らしい地域資源を持ちながら、過疎にある美しい町や村が「日本で最も美しい村」連合を宣言することで、自らの地域に誇りを持ち、将来にわたって美しい地域づくりを行うこと・・としている。


連合に加盟するための条件は・・、

1 人口が、概ね1万人以下であること
2 人口密度が、1平方Km当たり50人以下であること
3 地域資源が2つ以上あること
4 連合が評価する地域資源を活かす活動があること


地域資源とは、景観-(生活の営みにより作られた景観)、環境-(豊かな自然や自然を活かした町や村の環境)、文化-(昔ながらの祭りや郷土文化、建築物)などをいう。 

活動とは美しい景観に配慮したまちづくりを行っていて、住民による工夫や地域活動を行い、地域特有の工芸品や生活様式を頑なに(かたくなに)守っていることである。

昨今、地方分権、地域振興が声高に叫ばれ、国からの財政負担が減少する中、上記の地域造り、町造りに関する事例として、一つのヒントにもなりそうである。

昨年(2004年)、南小国町と北部の隣町「小国町」との合併の是非を問う住民投票を実施した結果「賛成」・828票、「反対」・2407票、投票率 79.16%で否決されているという。 
小さな地域が国の方針に逆らい、自信を持って地元振興を成し遂げる姿がよい・・?。尤も、この町は好条件が整いすぎてはいるが・・!。 

ところで現在、「日本で最も美しい村」連合に加盟している地域は美瑛町(北海道) 赤井川村(北海道)、大蔵村(山形県)、白川村(岐阜県)、大鹿村(長野県)、上勝町(徳島県)、そして南小国町(熊本県)である。 
また、町内近隣の温泉郷は満願寺、田の原、小田、白川の各温泉と黒川温泉が在る。

今からこの地区に在って、全国区にもなった人気の「黒川温泉」を訪ねる。
北の隣町「小国町」から国道442号線へ回って田の原川沿いを行く。

次回は、人気の「黒川温泉




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日本周遊本紀行(126)阿蘇 「外輪山・大観峰」

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 日本周遊本紀行(126)阿蘇 「外輪山・大観峰」   、



写真:阿蘇外輪山の「大観峰」より阿蘇本峰(五岳)




昭和天皇が阿蘇を訪れた或る時、係りの者が「あちらに見えますのが阿蘇でございます」と説明した。
すると口癖の「あっ、そう」と答えられたという。 それが計らずもギャグになり陛下も気が付いて思わず苦笑されたという。



再び、県道11号を走る。
はじめは市街地の道であるが次第に田園地帯になり、やがて、 森の中をヘアピンカーブで阿蘇外輪山を登り、登り切ったところに城山展望台が在った。 

今来た道筋を目で追ってゆくと、阿蘇山にたどり着く、中岳の白い噴気が緩やかに風に靡いていて実に望洋たる風景である。 
大草原の道・県道11号は、その名も「やまなみハイウェイ」といって大分県の九重・飯田高原から湯布院、別府へ到る。 
強いて言えば熊本から阿蘇を経由する一大観光高原ルートなのである。


小生は此れより外輪山の大観峰から今人気の黒川温泉へ向かうこととする。
この旅の目的は日本海道一周であったはずである・・?、
その通りであるが、何故内陸へ・・?、

実はこれより別府へ向かって、そこで3~4日別府の温泉で旅の疲れを癒し逗留をするつもりなのである。 
又、他の理由もあって、数日後に(6月10日)妻及び娘家族と鹿児島で落ち合い合流するつもりなのである、その為の日数調整でもある。


先へ進もう・・、
草原の中の道が“これでもか”・・、というくらい続く。 
しばらくして「やまなみハイウェイ」の県道11号・ 別府一の宮線とは分かれて左へ進むようになる。 

幾つかの牧場を通り過ぎる、所謂、牧歌的風景とはこんな所を指すのだろう、ドライブ好きにとっては、まさに「生き天国」のような道である。 
爽風を感じながら鼻歌気分で、走っている内に「大観峰」へ着いたようだ。

山頂にはかなり大きな駐車場が在り、阿蘇でも人気、有名スポットであることが判る。 
横には立派な売店も用意されていて、この先にピークの展望地が設えてあった。 

大観峰からの眺めは余りにも有名で、先ず、何と言っても世界一といわれるカルデラの真中に悠然と横たわる阿蘇五岳の姿であろう。 
その雄大さは、お釈迦様の涅槃の時の寝姿を思わせるところから、涅槃像(ねはんぞう)とも呼ばれている。 

確かに、東側を頭に仰向けに寝ているようである。 
顔の部分が東に位置する根子岳で、首の部分が日ノ尾峠と凹み、胸が最高峰の高岳、中岳と並び、膝のところが烏帽子岳あたりに相当するのではないか・・、と勝手に想像しているが。

直下には、田園の中に阿蘇で最大の温泉地・内牧温泉郷が望める。 
夏目漱石や与謝野鉄幹・晶子夫婦もここに投宿したという昔からの温泉地で、設備の整った大型ホテルや旅館など大小の宿が30軒余りある。

泉質は含石膏芒硝泉で、神経痛・リュウマチ・創傷に効能があるそうで公衆浴場も9軒余りあり、入浴料もだいたい100~400円程度で良心的なのが良いと。 

阿蘇周遊の途中に立ち寄るのに良さそうだである、この地から国道212号が曲折を繰り返しながら大観峰まで達している。振り返ると九重の連山も一望できる。 


その雄大な眺めに感動した文豪・徳富蘇峰(熊本を代表する文豪、歴史家、言論人で、太平洋戦争では開戦論者として民衆を鼓舞し開戦へ導いたとも言われる。弟は作家・徳富蘆花)が「大観峰」と名付けたと言われる。 

余分であるが、「大観峰」というのは同意同語で北アルプスの一角、後立山連峰と黒部湖の大パノラマを眺望する、所謂、「黒部立山アルペンルート」のルートの一角にも在ったが。
眺望を意のままにして大観峰から去る。


阿蘇外輪山を下りながら思い出したことがある。 
昭和天皇が阿蘇を訪れたとき、「あれが、阿蘇です」と説明したところ、「あ、そう」と答えた逸話がある。


昭和20年8月、日本が終戦を迎え、国民は失意のどん底に居て、明日への気力を亡くしていながらも米軍はなぜ広島と長崎に原子爆弾を落としたのか、ソ連は何故急に日本に参戦したのか等々冷静に観察しながらも、一方では全国の町村役場では執務が続けられ、交番が普通に機能し、治安は維持され更に、鉄道は時刻表にしたがって運行していたという。 

国土が目茶目茶になって国民、一般人は思考は尋常ではなく、ある種の空白が生じていた。しかし、日本人の生活意識はしっかりしていたらしく、そのことは世界の常識から見れば驚くべきことであったらしい。

こんな混乱の時期、天皇陛下は戦後の復興のために働いている日本国民を励ますため、日本全国の津々浦々を巡幸し遊ばされたのである。


余談だが、岐阜・高山では人口三万の市に、陛下をお迎えする人々が近隣の村々から18万人もの人々が前の晩から押し寄せ、旅館が無いので市長は映画館を終夜開放斡旋したという話もある。 

又、小生幼少の頃(現、福島県いわき市湯本)、お召し列車(天皇の巡幸列車)が常磐線の湯本駅に到着した際、日の丸の小旗でお迎えし、尚且つ、陛下は親父の勤務していた会社「品川白煉瓦」を訪問され、その時の記念写真を見せてもらった記憶もある。 
そんな中、陛下の九州巡幸は昭和24年の5~6月にかけて27日間に及んだという。


一般に天皇は何か説明を受けると「あ、そう」と連発することで有名であったらしい。 
陛下が阿蘇を訪れた或る時、係りの者が「あちらに見えますのが阿蘇でございます」と説明した、すると口癖の「あっ、そう」と答えられたという。 
それが計らずもギャグになり、陛下も気がついて思わず苦笑されたという。 

陛下が阿蘇に来られて、何時、何処で、このギャグをとばしたかは定かでないが、県道11号線のやまなみハイウェイの阿蘇外輪山の「山城展望所」へ御立ちになったことは確かであるという。

又、「あの草は何というのか」と御下問されたときに、「陛下、あれはただの雑草です」と答えたという、そしてその人物に向って「雑草という名の植物はない」と窘(たしな)められたともいう。

因みに昭和天皇は生物学者でもある。 
植物や海洋生物の研究にも力を注ぎ、植物学では那須周辺や皇居、伊豆の植物群の研究、海洋生物では特に相模湾のヒドロ虫類(クラゲやサンゴ、イソギンチャクの仲間)に造詣が深く、皇居内に生物学御研究所が建設されているほどである。 

昭和4年、粘菌研究(枯れ木・枯れ葉などの表面にアメーバ状生物:原生動物)の第一人者である南方熊楠より進講を受けられ、粘菌研究でも一流といわれる。 
これまで単独、或いは共同研究で多数の研究書籍を出版・発行している。

次回は、「南小国町



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2011年5月12日木曜日

日本周遊紀行(126)阿蘇 「阿蘇神社」

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 日本周遊紀行(126)阿蘇 「阿蘇神社」  、





写真:阿蘇神社本殿と楼門




阿蘇山が火の神の象徴で、その祭神が・・、

宮地の駅前を左折して県道11号線に入った先に、一の宮の「阿蘇神社」へ出た。
境内の一角に駐車場があり、ほぼ正面に威風堂々の門が構えていて、まずその大きさに驚く、「楼門」と言うらしい。 

大楼門は全体の造形美に加えて屋根下部の細かい彫刻もすばらしく、日本三大楼門(他に茨城県の鹿島神宮、福岡県の箱崎宮)の一つとされ、屋根は二層式で正式には「二層楼山門式」と云われる。 
くぐり通路の上には巨大な注連縄(しめなわ)が飾られ、上部には金文字の大額が「阿蘇神社」と標している。

この文字は、有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう:明治維新戦争時の官軍総大将・東征軍の軍歌「宮さん、宮さん、お馬の前で・・・」とは親王のことを指す)の御筆によるという。
高さ21mの2階建造り。


楼門をくぐり境内へと入ると格式、風格ある社殿が鎮座する。
先ず、本殿正面の参拝殿に額ずく。左右を見渡すと社殿の数が多い、その数なんと12神の祭神を祀ってあるという。

主神・一宮が健磐龍命(タテイワタツノミコト:阿蘇大神)、二宮が阿蘇都媛命(アソツノヒメノミコト:阿蘇大神の妃)、・・・。

日本の初代天皇である神武天皇(紀元前660年即位)の孫にあたる健磐龍命はこの阿蘇の地に新天地をつくったとされ、創立は孝霊9年(紀元前282年)と言われる。

阿蘇神社は、阿蘇開拓の祖と言われ歴史、格式とも申し分ない神社である。
健磐龍尊は現在の京都府である山城国宇治から阿蘇に来たとも伝えられ、神武天皇の勅命により阿蘇に下って鎮西鎮護の大任を果したとされる。 

健磐龍は健々しく岩が立つ状態を神格化したもので、“立つ”とは自然現象が急に出現する状態を指し、阿蘇山が噴火して火を噴き、火山弾が降ることで阿蘇山に対する霊異から「火の神」とも言われ、この地方を広く「火の国」とも称したという。
又、水神・治水の神の自然神とも見られ、国造り、農業の神として崇められている。

その昔、阿蘇の大爆発で裾野のを残して大陥没を起こした。やがてそこに水がたまり、外輪山の中は一面湖水で覆われてしまった。
健磐龍命はこの水を流して作物の取れる豊かな国にしようと考え一蹴りされると、山は一気に崩れて大きな穴があき、水は勢いよく外へ流れ出した。
その為か、今は緑豊かな田園が広がる肥沃な地になっているという。



阿蘇神社の参道は拝殿に向かわずに、阿蘇山(高岳・・中岳)に向かって拝殿の横(西方)を真っ直ぐ南方に伸びている(阿蘇神社は全国的にも珍しい横参道という)、つまり、本来の祭神は阿蘇山であるとも言われ、又、阿蘇山-阿蘇神社の北方の延長上に「国造神社」がある。

この阿蘇山-阿蘇神社-国造神社の南北の一直線を“聖なるライン”と言われてる。
国造神社(こくぞうじんじゃ)は別名・北宮ともいい、阿蘇神社の北約4㎞の地点で外輪山の内側麓に鎮座している。
この国造神社と阿蘇神社の直線上に阿蘇五岳の中岳が位置していて、聖なるラインと言われる。 
祭神は健磐龍命の第一子・国造速瓶玉命(クニノミヤツコハヤミカタマノミコト)といわれ、社は延喜式には905年創建と書かれている。


阿蘇神社の末社は全国450社を超え、その殆どが熊本県内に存在しているが、明治に定められたの社格の制度では官幣大社(かんぺいたいしゃあ)という最上位の神社に位置していた。
社殿は総欅の白木造り、「阿蘇式」と呼ばれる他に類のない様式であるという。

楼門を出て横へ行くと、確かに門前横丁と言われる「横参道」(聖なるライン)商店が並び、中には昔の面影を残す粋な建物も並んでいる。

次回は、阿蘇・「大観峰




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2011年5月11日水曜日

日本周遊紀行(126)阿蘇 「阿蘇神社」

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写真:阿蘇神社本殿と楼門




阿蘇山が火の神の象徴で、その祭神が・・、

宮地の駅前を左折して県道11号線に入った先に、一の宮の「阿蘇神社」へ出た。
境内の一角に駐車場があり、ほぼ正面に威風堂々の門が構えていて、まずその大きさに驚く、「楼門」と言うらしい。 

大楼門は全体の造形美に加えて屋根下部の細かい彫刻もすばらしく、日本三大楼門(他に茨城県の鹿島神宮、福岡県の箱崎宮)の一つとされ、屋根は二層式で正式には「二層楼山門式」と云われる。 
くぐり通路の上には巨大な注連縄(しめなわ)が飾られ、上部には金文字の大額が「阿蘇神社」と標している。

この文字は、有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう:明治維新戦争時の官軍総大将・東征軍の軍歌「宮さん、宮さん、お馬の前で・・・」とは親王のことを指す)の御筆によるという。
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楼門をくぐり境内へと入ると格式、風格ある社殿が鎮座する。
先ず、本殿正面の参拝殿に額ずく。左右を見渡すと社殿の数が多い、その数なんと12神の祭神を祀ってあるという。

主神・一宮が健磐龍命(タテイワタツノミコト:阿蘇大神)、二宮が阿蘇都媛命(アソツノヒメノミコト:阿蘇大神の妃)、・・・。

日本の初代天皇である神武天皇(紀元前660年即位)の孫にあたる健磐龍命はこの阿蘇の地に新天地をつくったとされ、創立は孝霊9年(紀元前282年)と言われる。

阿蘇神社は、阿蘇開拓の祖と言われ歴史、格式とも申し分ない神社である。
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又、水神・治水の神の自然神とも見られ、国造り、農業の神として崇められている。

その昔、阿蘇の大爆発で裾野のを残して大陥没を起こした。やがてそこに水がたまり、外輪山の中は一面湖水で覆われてしまった。
健磐龍命はこの水を流して作物の取れる豊かな国にしようと考え一蹴りされると、山は一気に崩れて大きな穴があき、水は勢いよく外へ流れ出した。
その為か、今は緑豊かな田園が広がる肥沃な地になっているという。



阿蘇神社の参道は拝殿に向かわずに、阿蘇山(高岳・・中岳)に向かって拝殿の横(西方)を真っ直ぐ南方に伸びている(阿蘇神社は全国的にも珍しい横参道という)、つまり、本来の祭神は阿蘇山であるとも言われ、又、阿蘇山-阿蘇神社の北方の延長上に「国造神社」がある。

この阿蘇山-阿蘇神社-国造神社の南北の一直線を“聖なるライン”と言われてる。
国造神社(こくぞうじんじゃ)は別名・北宮ともいい、阿蘇神社の北約4㎞の地点で外輪山の内側麓に鎮座している。
この国造神社と阿蘇神社の直線上に阿蘇五岳の中岳が位置していて、聖なるラインと言われる。 
祭神は健磐龍命の第一子・国造速瓶玉命(クニノミヤツコハヤミカタマノミコト)といわれ、社は延喜式には905年創建と書かれている。


阿蘇神社の末社は全国450社を超え、その殆どが熊本県内に存在しているが、明治に定められたの社格の制度では官幣大社(かんぺいたいしゃあ)という最上位の神社に位置していた。
社殿は総欅の白木造り、「阿蘇式」と呼ばれる他に類のない様式であるという。

楼門を出て横へ行くと、確かに門前横丁と言われる「横参道」(聖なるライン)商店が並び、中には昔の面影を残す粋な建物も並んでいる。

次回は、阿蘇・「大観峰




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日本周遊紀行(126)阿蘇 「中岳」

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 日本周遊紀行(126)阿蘇 「中岳」   、



写真:阿蘇中岳火口、エマラルドグリーンの火口池が望まれるはずだが・・?。



本日は中岳火口の有毒噴煙が激しく、見物人に突如退去命令が出る。



河口付近は果てしなく続く「砂千里」の砂漠



登山道路付近の牧草地で、放牧牛がのんびり草を食む




阿蘇の噴火は大明神の怒り、神霊の祟りとして畏れられた・・、

中岳の火口へ向かう。 
途中、火山灰の台地の草原にピンクの色彩が鮮やかになってきた、「ミヤマキリシマ」であった。
この花木は5月下旬~6月上旬が開花時期で、この付近から阿蘇山周辺は30万本のミヤマキリシマの大群生があるという。 
特に、ここから反対側斜面の「仙酔峡」のミヤマキリシマが有名らしい。 

ここには多くのトレッキングコースも沢山あり、満開の中を散策できるという。
阿蘇山公園道路(有料)のゲートを抜け火口に向かう。 

公園道路に入ってからはそれまでの景色とは一変して、植物が育たぬ荒涼とした大地に変わる。 
あまりの風景の変わりように驚きながら進むと、もうもうと噴煙を上げる中岳噴火口にほど近い広大な駐車場に着いた。

車を降り噴火口に歩いていくとそこには想像できなかったスケールの景色が広がっていた、 まさに地獄の絶景とでも言おうか・・?。 

活発な噴火活動を続ける中岳、白い煙をあげる火口周辺は、溶岩の露出したダイナミックな山肌を望む荒涼とした風景が広がっている。
火山灰質砂と噴石からなる砂漠を思わせる地帯には、克っての火口であろうか溶岩や火山灰の重なりが、火山噴火のすさまじさを思わせる。 
ここは確かに阿蘇のクレーターであり、月面を歩いている気分になる。この一帯を草千里ヶ浜に対して「砂千里ヶ浜」と称しているのが面白い。


管理棟のスピーカーから、火口見物時の注意項目を大声で流している、有毒の火山性の硫化水素ガスの発生状況のことであろう。

大駐車場から中岳の大火口へ向かう、木の柵からから眺める火口は地獄そのもので、その地獄の各所から濛々と白煙が噴出している。
これが有毒ガスを含む火山噴煙であろう。
風向きによって右へ左えと吹き流されている。この噴煙の流れが手前側に吹き込んでくるようになると見物策からは撤退させられ、駐車場の安全地帯まで下がらなければならないそうだ。 
阿蘇山の火口は新旧、大小取り混ぜてはっきりした数が判らないほど有るらしく、無論阿蘇山系で現在、未だに活動を続けているのはこちらの中岳の火口だけである。
火口の直径は約600m、深さ約130m程あり、吹き上がる溶岩の温度は1000度~1200度に達するという。

火口には池もあって、青緑色とでも云おうか鮮やかな色合いを呈している。
これは強酸性の池に金属(鉄、銅その他)が溶け込んでいるからだろう・・?、それにしても噴煙上げる活性の火口に、これだけ神秘的な火口湖があるのも珍しいのでは・・?。 

中岳火口にはカメラや地震計が設置され,24時間体制で観測が続けられている
次に、火口より左手の高台に展望台があり、そちらへも立寄ってみた。荒涼とした砂千里から遠くは草千里の緑まで、そして正面には烏帽子岳の勇姿が裾野を延ばしていた。
周囲も素晴らしい絶景である。



周囲の展望を楽しんでいる時、突如として警報が鳴り出した。
係員が河口付近にいる観光客、見物人を慌てて非難させているのである。

気が付くと確かに噴煙の風向きが見物エリア、駐車場の方向へ向かってきているのである。
小生達も取り敢えず駐車場の所まで避難させられた・・。


阿蘇山中岳火口からは主に二酸化硫黄が発生している。
あの咽る(むせる)ような強烈な悪臭を放つガスである。

二酸化硫黄は亜硫酸ガスとも呼ばれ、不快で強い刺激臭を与え、呼吸困難を引き起こし、長引けば呼吸停止による死に至ることもあるとも言われる。

阿蘇火口の防災では、ガスの濃度と風向きによって五つのゾーン区分による立入規制を行なっているようで、規制が行なわれた際は監視員の指示に従わねばならない。 
特に喘息、気管支系疾患、心臓疾患の方は、低濃度でもこの症状が起るので、このような人達は火口見物は遠慮したほうがよい。
観光をしている最中にもガスの発生などにより、退避命令が出ることもある。 

丁度、今がその時であった・・!!



阿蘇山は複式活火山と呼ばれ高岳、中岳、根子岳、烏帽子岳、杵島岳のいわゆる「阿蘇五岳」の総称で中岳に山系に唯一つの大噴火口があり、現在も活発な活動を続けている。 

昔はこの中岳を霊山としても仰ぎ、火口を神霊池又は御池とよんでいた。
そして、激しい噴火や爆発があると神の怒り、大明神の怒り、神霊のたたりとして畏れおののいたという。 

ごく近年では1958年6月(昭和33年年)、第一火口が突然爆発、噴石は火口西12kmに達し、山腹一帯に多量の降灰砂、死者12名、負傷者28名、建物にも被害が出たようである。

五岳はそれぞれの個性も豊かで季節、場所によって同じ山でも表情が異なる。 最高峰の高岳は標高1592mである。 地球の胎動、世界のカルデラを満喫して、山を下りることにしよう。



一路、北へ向かって防中へ下りる、阿蘇登山道路の防中線である。 
途中、杵島岳、往生岳の豪快な姿を右に見ながら相変わらずの大草原を行く。 

放牧中の牛、馬がのんびり草を食む。 
近年、肥後の赤牛が放牧されるようになったという、阿蘇の象徴である原野に放牧された赤牛の数が、最近でやや少なくなってきているといわれる。 
因みに、お隣の大分県では「肥後の赤牛・豊後の黒牛」といって、阿蘇の外輪山を超えるととたんに何故か毛色が黒くなるという・・?。 
何れも、スキヤキ、ステーキには最高だとか・・?チョット現実的になったかな。


やがて、防中へ下りた。 
真正面がJR豊肥本線の阿蘇駅であった。 

昭和中期までは「坊中駅」と名乗っていたそうだが、いわゆる「昭和の大合併」でできた「阿蘇町」が誕生したことからこの名が付いたという。 

昔は、この地が坊:お寺の領地だったこともあり、坊中は古くから山岳信仰の阿蘇山への登山口として栄えた。 尤も、今も昔も阿蘇山への玄関口である所に変わりないが。
阿蘇町」は、本年(2005年)2月の「平成の大合併」により、一の宮町、波野村が合併し「阿蘇市」が発足したばかりである。

次回は、阿蘇一宮・「阿蘇神社






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2011年5月10日火曜日

日本周遊紀行(126)阿蘇 「草千里」

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 日本周遊紀行(126)阿蘇 「草千里」 



写真:阿蘇・草千里草原帯と烏帽子岳




「草千里」は、阿蘇・烏帽子岳の中腹に広がる湿原地帯・
・、

さて、先ずは外輪山の内側へ向かって車は下りてゆく。 
この道は県道23号線で、逆方向は阿蘇の内輪から外輪山系の峠、ミルクロードを横断して外輪の外側の菊池市へ到っている。 
菊池市は上流部の菊池水源とも呼ばれ阿蘇外輪山系の北西にあり、その伏流水が流れる渓谷は鬱蒼として天然性広葉樹で覆われ、すばらしい自然の景観を呈している。
夏の水温は13度と避暑地としても親しまれているようで、全国名水百選「菊池渓谷」として有名である。

大きく曲がりくねった急勾配のロードを下りきったところが阿蘇赤水温泉である。 
阿蘇温泉郷の一つで古くから開けた温泉地であるが、一見普通の小さな町と特に変わらないようである。 
昨夜泊まった宿の温泉は、ここから引き湯しているという。


JRの豊肥本線を跨いで国道57へ、更に、阿蘇登山道路の赤水線から阿蘇内輪の主峰へとむかう。 
熊本から阿蘇山へは国道57から、この阿蘇登山道路赤水線を通るのが最短で普通であるが、シーズン週末などは混雑渋滞するらしい。 
沿道にはゴルフ場、牧場など観光客向けの建物がぱらぱらとあり、阿蘇でも最も人気のある観光道路らしい。

ふもとから順々に阿蘇ファームランド、米塚、草千里、火山博物館などなど名所が存在する。「阿蘇ファームランド」とは農場らしくきこえるが、メインの売りは火山温泉といって広い草原状の庭園に露天風呂をはじめ、各種の浴槽が点在するという。



次に大草原の中、内輪主峰へ向ってグングン高度を上げる。 
正面に平原にお椀を伏せたような端正で特徴的な小山が近ずく「米塚」という。 
阿蘇登山道路(赤水線)の脇にある山頂が窪んだ小山で、小さな火口の跡がポッコリへ込んで可愛いらしい。 
標高は954mながら山の麓からは80m程しかなく、思わずチョット登ってみたくなるような、西阿蘇の象徴的な山でもある。

小さいけど阿蘇山の中で最も印象に残る山であろうか。
米塚の名前の由来は阿蘇の神が恵まれない人のために、米の塚から一掴み分施したことから来ているという、なんとも微笑ましい名称である。

正面の主阿蘇山系が迫力をもって迫ってくる。 
振り返ると外輪山の山並みと鍋底と云われる通りのカルデラがパノラマの様に広がっている。 

この阿蘇登山道路全域は元々有料道路であったが、2000年4月から通行料が無料になったというのも嬉しい。 
正面には火山流の跡が幾筋も残る杵島岳(きしまだけ・1326m)が迫る。向うように登っていくと、T字路で阿蘇登山道路の坊中線に接続する。 
阿蘇山から北へ降りて「坊中」へ行く道で、県道111号・ 阿蘇吉田線の一部である。

右折してしばらく行くと阿蘇の人気スポットである、草原と池が大きく広がる「草千里ヶ浜」へ到った。
道路脇に駐車スペースが在り、草千里ヶ原が一望に見渡せる。
カーブの先には草千里展望駐車場がある。草千里からは反対方面は、小生が今朝出立した西方向の外輪の眺めが圧巻である。



草千里ヶ浜は阿蘇五岳の一つ、烏帽子の中腹に広がる直径1キロの火口跡で、新緑の草原に大きな池が横たわり、その周りには放牧された牛や馬が草を食べたり水を飲んだりしている。
その奥に烏帽子岳本峰がドッシリと据わって、なかなか素晴らしい景色である。



写真;小生の阿蘇登山記念(草千里にて・・、後方は白煙あげる阿蘇・中岳)


この見晴らし道路の一角に小さな出店があって、この地区の手工芸、特産品を販売していた。店番の人はお人好しのようで、商売ソッチノケで観光客に周辺の説明や写真の撮影などを引き受けていた。 

然も、観光客の為用意宜しく看板も準備されていて、「草千里・世界一の阿蘇・大阿蘇登山記念・平成17年6月3日」と大業な文字で記されている。
小生も写真撮影を頼んだが喜々として撮ってくれた。 

天気もよし、景色も良し、人も良しで気分満開である。




日本一と日本二の長い駅名・・?、

途中、阿蘇登山道路の吉田線が南へ向かって下りている。
この吉田線の下りきったところがその名の吉田地区で豊肥本線の立野駅から南阿蘇鉄道が連絡され、阿蘇山の南麓を走り、吉田地区から高森まで延びている。 

吉田、高森地区は熊本市街を悠然と流れる「白川」の水源地帯(白川水源)で、阿蘇の冷水(夏季)が大量に湧出している地域である。
付近には温泉も有り、湧水、高原と合わせて「南郷谷」と呼ばれている阿蘇の観光名所の一つである。 

尚、立野駅は豊肥本線と南阿蘇鉄道がスイッチバックでつながる珍しい終始駅であり、列車は上りでも下りでも同じ方向から駅へと入ってくという。 


序ながら、南阿蘇鉄道は高森町など沿線自治体が出資する第三セクター方式の鉄道会社であるが、この鉄道には日本一なるものがある。 
鉄道の駅名で日本一短い駅名は、ご存知三重県は「津」であろうが、日本一長い駅名がここ南阿蘇鉄道にある。 
この鉄道のほぼ中間に位置する「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」(みなみあそみずのうまれるさとしらみずこうげんえき)がそれである。

おまけに、隣駅は「阿蘇下田城ふれあい温泉駅」(あそしもだじょうふれあいおんせんえき)で、こちらは駅名としては2番目に長いという。

故意に命名したか否かは定かでなが、南阿蘇鉄道は僅か18kmにも満たない極めて短距離鉄道ながら、日本で1位、2位の長い駅名を持つ鉄道だったのである。






写真(上下):日本一長い駅名の駅舎とホームの駅札・「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」



次回は、「阿蘇・中岳」.





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日本周遊紀行(126)阿蘇 「阿蘇のカルデラ」



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 日本周遊紀行(126)阿蘇 「阿蘇のカルデラ」   、



阿蘇カルデラ内集落と阿蘇山




阿蘇のカルデラには、12町村・約七万人の人々が生活しているという・・、

振り返ると後背部より北方に向かっては、朝日に輝いて濃い緑の山並みが畝(うね)っている、阿蘇の外輪山系である。 

昨夜世話になった「NTT外輪山荘」も阿蘇外輪の西部地域に位置し、外輪内側の中腹に位置しているのが判る。 
通ってきた「ミルクロード」と言われる道を更に直進するコースが大草原のコースといわれる道で、今、眺めている山系である。 

ミルクロードと呼ばれる先は、的場原野や かぶと岩展望所、そして大観峰に到る阿蘇外輪山系の山稜コースで、遮るものの無い大展望が味わえる、昔の豊後街道である。
そして、道路に沿って所々、大牧場が点在している所謂、ミルクロードと言われる所以である。


この阿蘇の外輪山系を「カルデラ」と称している。(日本では火口に伴う凹地形のうち、直径が2km以上のものをカルデラと定義しているようである)

カルデラとは、火山活動で陥没し大きなくぼみのある地形で、語源はポルトガル語の「大鍋」に由来するという。
その成因は一度に大量のマグマ(溶けた岩の事)が出たときに、マグマのあった部分が空洞となり地盤沈下して出来たもので、阿蘇の外輪山・内部がこれにあたるという。
カルデラを取り囲む外輪山も阿蘇火山群に含まれ、東西約18km・南北約25kmに及ぶ世界最大級の大カルデラと言われる。

外輪山麓を含めると阿蘇郡・12町村の内、陥没で出来たカルデラの内側だけで七町村が存在している。(平成大合併の以前) 
その内側には鉄道、道路、田園も在り、約七万人の人々の生活が普通に営まれている。 
カルデラの中に住んでいる」というのは阿蘇山を知らない人達にとっては驚きかもしれない。 



阿蘇山の位置は九州のほぼ真ん中に位置し、人で言えば「」に当る。
では、この臍の爆発は何時頃、どの位の規模だったのであろうか・・?

阿蘇火山と言われるのが30万年以上前に噴火活動が開始されたとされ、9万年前くらいに大規模な噴火が4回程度あり、この時、地下から大量の火砕流や火山灰を放出したため、現在の巨大な窪地(カルデラ)が形成されたといわれる。 

その中でも4回目の噴火が最も大きく、火砕流は九州中央部を覆い一部は海を越え山口県にまで達し、有明海を越えて島原半島に渡ったともいわれる。
火山灰の噴煙は30km上空まで吹き上がり、さらに西風にのって飛び、日本列島の殆どを覆ってしまい、他に朝鮮半島でも確認されているという。 
また火山灰は何と北海道まで運ばれているという、北海道東部には厚さ10cm程の阿蘇カルデラから飛んで来た火山灰が今でも残っているという。

巨大カルデラ噴火による噴出物は、ほぼ富士山の山体全部の大きさか、それ以上に達したとも云われる。 
阿蘇のカルデラが出来た直後の九州全土は荒涼とした荒地が広がり、特に厚く堆積した地域では火砕流台地となって残っている。 
この台地は九州中央部に広く分布し、緩やかに波打つ平原を形作っている。
宮崎県の高千穂や大分県の竹田市などもその中に入るという。 


夏目漱石の著作に『二百十日』という題名の短編作品がある。
あまり知られていないし、本人は失敗作と自笑しているようだが、漱石が、二百十日の日に阿蘇に山登りをしての感想であるが、こんなくだりがある・・、
「・・それより早く阿蘇へ登って、噴火口から赤い岩が飛び出す所でも、見るさ。―しかし。飛び込んじゃ困るぜ。何だか少し心配だな・・ 」
「・・噴火口は実際、猛烈なものだろうな。何でも、沢庵(たくあん)石のようなものが、真赤になって、空の中へ吹き出すそうだぜ。それが三四町四方一面に吹き出すのだから、さかんに違いない・・」、


漱石は若い頃、旧制の第五高等学校(現在の熊本大学)の教授をしていたことがあり、明治32年9月初め、友人の山川伸次郎と阿蘇山に登った経験をもとに、この短編は書かれたらしい。

阿蘇山の巨大な爆発時は、九州一帯を焼きつくした火山として、今では九州一の観光名所でもあるが、阿蘇山は漱石の時代も現在も時々爆発をおこす活火山であり、昔も今も盛んに蒸気を上げているのである。 

その阿蘇山へ向かう。

次回は、「阿蘇・草千里




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01. 15.

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