2011年12月9日金曜日

日本周遊紀行(188) 米子 「皆生温泉と米子城」

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 日本周遊紀行(188) 米子 「皆生温泉と米子城」   




全国的にも珍しい海から湧く皆生温泉(塩の湯;米子観光協会)




米子城址(国史跡)




境港を出て、白砂と松の緑の秀麗な弓ヶ浜を左に見ながら、先へ急ぐ。 
国道431を米子市内に入って、「皆生」という信号があった。 
左は美保湾に面したか皆生(かいけ)温泉、右は米子市街である。

左折して皆生温泉に向かってみた。
海岸出ると、特徴ある砂浜の海岸線に沿って、チョッと豪奢な旅館群が並んでいた。

海に湯が湧く」という皆生温泉は、弓ヶ浜に面した温泉街で山陰最大といわれ、山陰の“熱海”の異名を持つ。 
温泉の歴史はさほど古くはないようで、明治中期に地元の一漁師が海中に温泉が湧いているのを発見し、それを泡の湯と名付けたのが始まりであるという。 

泉質は、70度から85度と海岸に湧く温泉としては高温泉であり、開湯当初から「塩の温泉」として温泉療法として活用し、ヨーロッパで行われている「タラソテラピー」を応用しているという。 


ややこしい名称のタラソテラピーとは・・

海の資源がもたらす快適性を利用して心身を癒す療法」という意味らしい・・?。
ギリシャ語でthalasa=「海」とフランス語でtherapeia=「療法」とを併せた造語で、日本語で「海洋療法」と訳され、簡単に言えば「海辺に滞在して、その景観を楽しみながら、海洋気候のもとで海水、海藻、海泥を用いたさまざまな療法を行う」という自然療法である。 
19世紀、フランスの医師によって確立された療法で、フランスでは「予防は治療に勝る」という考え方により、早くから予防医学の研究が行われてきたという。 
もっとも、人と海との関わりは、況(いわん)や「全ての生命は、海から誕生した」し、地球の 70%は海水に囲まれ、人間の体も 70%が水分で血液、羊水中のミネラル成分は現在の海水とほぼ同じ割合なのである。 
人間の白血球は他の人工的環境では死滅してしまうが、海水中では生きることができるという。 
タラソテラピーとは、そんな予防医学の一環である。 


皆生温泉の泉質は、泉質はナトリウム、カルシウム塩化物泉(含塩化土類)の食塩泉で、ほぼ海水成分と同じであり、「海に湯が湧く」というより「海の湯が湧く」かもしれない・・?。 

浜に沿って一直線に旅館街が延び、裏側には、飲み屋・飲食店・風俗営業の所謂、温泉盛り場が集まり夜にはネオン街となる。 しかし、現在では、歓楽温泉から健康的な温泉へイメージ変化を図っているという。



海の歓楽地と言われる皆生温泉は日本海に面しているのに対し、内海である「中海」に面して商港を形成し、発展してきたのが山陰の商都・米子である。

鳥取県は昔は、西側半分を伯耆の(ほうき)国と呼ばれていて、現在の米子市域と周辺域である。 
因みに、 東半分を因幡の(いなば)国と呼ばれていて、現在の鳥取地域である。 
中海を前面に広げる米子(中海東端)は、山陰の交通の要衝であり、遠く弥生時代から大陸との交流もあったとされ、紀元前からの深い歴史を持つという。

江戸時代には城下町として繁栄し、その城下町に住む商人によって「商都・米子」の礎が築かれている。 
これには、米子は出雲参詣道の拠点になる地域で、何とか参詣客を引きとめようとする商魂が、商都としての米子の繁栄を支えたともいわれる。 
現在では「山陰の大阪」とも呼ばれているとか。


江戸期、この商都・米子を支えてきたのが山陰の名城と言われたのが「米子城」であった。
現存していれば「山陰一の美城」とまで言われており、この米子市を一望できる湊山に現在は「米子城跡」として、平成18年、国史跡に指定され市民に親しまれている。

この米子城は、悲劇の城とも言われている・・?、  
戦国後期、山陰地方は毛利家の所領であり、一族である吉川広家(毛利元就の孫)が米子平野を一望できる標高90メートルの湊山山頂に天守を築き、現在の米子市の原形、良港・米子港を拓いたとされている。 

その時に、全国や近隣から優れた商人や職人を呼び寄せ「城下十八町」といわれる町並みや寺院を築いて城下町を形造った。 
ところが、関ヶ原の合戦に敗れた毛利家・吉川広家は、1601(慶長6)年に駿河国から徳川方の中村一忠に城を譲ることになる。 

一忠は、更に米子城の築城を続け、四重五層の大天守を新たに築きあげ、吉川広家の天守とともに二つの天守を持つ美しい城となったという。 その後、領主(城主)が代々変わり、池田氏(鳥取⇒岡山城主)が領主になるに及んで、米子城は藩主のいない池田氏・城代家老の城となった。
このため「藩主不在の城下町」となった米子は、関所もなく比較的自由に出入りができ、これにより、より盛んな商都・米子が出来上がったという。 

自由闊達で開放的」という米子地域の市民性は、このような歴史から育まれたといわれる。
このような山陰の名城・米子城は、江戸期の間、殆ど姿を変えることなく、明治にいたるまでその偉容を誇ったとされる。 
ところが明治初期の廃藩置県で民間(旧士族)に払い下げら、その後解体されて木材などは風呂屋の焚き木にされたと伝えられる。 
さしもの名城も「悲劇の城」として終末を迎えていたのである。
  


現在、米子にはおもしろい挿話がある・・、 
東京の金持ちが山陰旅行をしたそうで、その人が米子に来たら、水は美味いし、温泉は有るし、別嬪さんは多いし、気に入ってしまい予定以上に泊まってしまった。 次に松江に行ったが、ここもまた気に入ってしまった。 そこで東京の奥さんに手紙を出した「拝啓…米子も松江も気に入ったので帰りは一週間ぐらい遅れる・・、かしこ 」すると、すぐさま返事が来て、「そんなに米子さんや松江さんが気に入ったのなら、そちらで何日(いつ)までもどうぞ、 私は実家に帰ります。 あなかしこ 」 ・・と、

気がつけば米子、松江共々女性の名前ですね・・!。 


次回は、「大山と孝霊山



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