2011年8月20日土曜日

日本周遊紀行(160) 知覧 「麓と“ぼっけもん”」

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 日本周遊紀行(160) 知覧 「麓と“ぼっけもん”」   ,



知覧武家屋敷の石塀; :頑強堅牢な石造りの門は、戦さの時のみならず南国に多い台風に対しても有効であった



「城をもって守りとせず、人をもって守りとなす」 薩摩藩内規・・、

再び、「知覧武家屋敷群」を訪れた。 それは、薩摩・鹿児島特有の出城でもあった。
1602年、江戸開幕(幕府を開く)の頃、島津家久は「城をもって守りとせず、人をもって守りとなす」という兵学精神に基づいて鶴丸城(鹿児島城)が城山の南麓に築城された。
同時に、薩摩藩は領地を外城と呼ばれる113の地区に分け、地頭や領主の屋敷である御仮屋(麓の政庁、支庁舎)を中心に「」と呼ばれる武家集落を作り、鹿児島に武士団を集結させることなく分散して統治にあたらせた。


江戸期に至っては幕府の政策の一つである「一国一城令」により、全国に散らばっている殆どの城が廃城となった。
しかし、薩摩国は幕府の権力が、遠方且つ、力のある島津には及ばなかったので、外城はそのまま残存したという。

江戸中期、薩摩藩は地方行政区分(現在の支庁)の外城を「」に改めている。 
藩内を113に区画し、「百二の外城」といわれる地頭仮屋を設けその周囲に「麓」、「郷」といわれる武士集落を構成し、地域の行政を執り行う外城(とじょう)制度を設けた。 

更に、薩摩には(特に幕末から)厳しい階層があり、薩摩の藩士達は鹿児島城下に住む「城下士」と、地方に住む「郷士」に大きく分類した。

薩摩藩は77万石といわれ、100万石の加賀藩に次ぐ雄藩といわれるが、しかし米高に直すと37万石程度であり、又、総人口の4分の1が士族で、この比率は全国平均の6倍もあり、財政的には非常に苦しかったようである。 

しかるに外城に勤める藩士の多くは、普段の生活では農耕に携わり、定期的に軍事訓練を受けて、イザ・・!事が起きれば武士集落がそのまま軍となってなって戦う制度になっていた。 
それに、財政的に逼迫していたため、、藩士(郷士)は自給自足を原則とし、そこに藩の精神とが重なって、謂わば、屯田兵制度(北海道の警備と開拓のために設けられた兵制)のようなものでもあった。


このような生活習慣があって、薩摩では「郷士」と「城下士」の対立は非常に激しく、郷士は専業武士である城下士に絶対服従というきびしい身分差があった。
因みに西郷吉之助(隆盛)、大久保一蔵(利通)は城下士であり、一方、郷士出身者には有馬新七、田中新兵衛、中村半次郎(桐野利秋)ら多数が輩出している。

この敵対意識が明治維新後の西南戦争の引き金となったとも言われている。 
従って、「郷士」と言われる武士達は、城下の武士達以上に武士らしい気概、気構えで暮らし、農耕における体力増進をも兼ねていた。 

男とは、こういうものだ”、という薩摩武士の見本が薩摩の「ぼっけもん」と言われるようで、薩摩隼人が怒ったり気合を入れる時に「ちぇすとー! 」と掛け声を上げる。 
これらが、薩摩国内各地の「麓」におけるに「郷士」達のおおよその姿であった。 

しかし、本来の「武士道」には優しき味があり、薩摩での武士精神には利口者を卑しみ、朴訥(ぼくとつ)を是としたといわれる。 
その朴訥はユーモアに通じ、優しさの裏付けともいわれ、純真な心持を尊重するものでもあった。


明治維新後は、俸禄を失い没落した城下士に対し、郷士は農地を買い集め、地主として成功した者も多いといい、それに、西南戦争に対しても冷ややかな態度をとる郷士も多かったとも言われる。 
西南戦争とは、「明治」という近代日本がもう始まっているというのに、未だに武士でいた者たちの自滅の戦いでもあるとも言われ、この戦いを最後に薩摩武士がこの世から消えたのである。

特攻記念館を見て、特攻隊の大和魂と薩摩武士の“ぼっけもん”が重なって見えなくもない・・!? 。


次回、「鹿児島の芋焼酎





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