google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 各県の主要な温泉地や観光地を、気ままに巡ってます。: 日本周遊紀行(126)阿蘇 「外輪山」

2011年5月7日土曜日

日本周遊紀行(126)阿蘇 「外輪山」

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『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/



 日本周遊紀行(126)阿蘇 「外輪山」   ,



阿蘇外輪山・「二重の峠」付近から「阿蘇山本峰五岳」



火の国の象徴・阿蘇はさすがに雄大であった・・! 、

歴史溢れる大都市・熊本を後にする。
本来ならこのまま南下して八代、水俣から鹿児島方面へ向かうのであるが、3~4日温泉保養のため別府へ向かう。 
その為道中は内陸の阿蘇を目指します。

国道3号線から右方向、緑豊かな熊本大学の敷地内を横断するように通過する。 
阿蘇からやってくると思われる「白川」の流れが清清(すがすが)しい。 

九州自動車道の下を通過する頃には辺りも開けてきて、田畑の風景も見られるようになってきた。 
豊肥本線がすぐ横を並行している。 本線は雄大な阿蘇外輪山を貫き、熊本~大分を結ぶ九州中部横断鉄道でもある。 

原水」を過ぎ比較的大きな十字路を過ぎると大津町であり、間もなく「道の駅・大津」へ来た。 
阿蘇の玄関口である大津町の国道57号線沿いにあり、ここで一息入れる。 
阿蘇外輪の麓に当たり、阿蘇見物往来の車で結構賑わっているよである。 物産館内、蜂蜜の入ったジュースコーナーのジュースがいい味出していた。


さて、今日の宿舎「NTT外輪山荘」へ急ぐ。 
道の駅からすぐ左へ折れるとミルクロードという案内がある。
実は県道339号であり清正公道、豊後街道と色々な呼び方があるようだ。 

ミルクロードとはこの先、阿蘇内輪外輪山周辺は大草原がひろがり大牧場が各所に広がっている。 故に、この道は乳品目を配送する輸送車が多いことから名付けられたという。 
又、この道は肥後・熊本と豊後・大分を結ぶ旧街道(豊後街道)で、戦国末期の頃は加藤清正も大阪詣でで通った道から“清正公道路”とも云い、清正に因んでこの名が付されているようである。 

元々、緑豊かな山懐の道であるり、間もなく良く整備された公園があった。 
阿蘇へと続くミルクロードに平行して整備された細長い公園で清正公道公園ともいい、参勤交代に使われた清正公道(旧街道)の休泊所跡を利用しているらしい。 
時節になると桜並木が良さそうである。 道路の反対側はハイテク・・?と思しき「阿蘇中核工業団地」というモダンな企業群が緑の中に在った。


道はいよいよ外輪山系の上りにかかる、くねくねと阿蘇へと誘うようである。 
山系の上部に達した頃はカヤトの大草原が広がってきて、やがて峠に差し掛かる頃十字路に出た。
目的地へのナビは右方向を指していて、間もなく「二重の峠」という標識が在った。清正公道と県道23号線との交差点付近にはに休憩展望用の駐車場もあり、ここから「歴史の道 豊後街道・二重峠石畳」が始まっている。 

この道は藩政時代、肥後と豊後鶴崎を結ぶ重要な街道として利用されたようで、豊臣秀吉が天下を統一し加藤清正が肥後に入国すると熊本から鶴崎までこの道を使い、鶴崎からは船で大阪を往復したという。 
江戸期になると参勤交代制度が確立するがこの時期、細川藩も江戸往復にこの街道を利用したという。 街道沿いには熊本城の西大門(新町一丁目)を起点として一里ごとの目印となる里数木(里数の目安となる木、主に榎が植えられている)が植えられ、休憩する所には御茶屋が設けられていたらしい。 

石畳には流出を防ぐ水切りなども昔のままに残り、往時をを偲ぶことができる。 周囲は大展望で束の間の休息所でもあり、晴れていれば阿蘇五岳(後ほど・・)を一望することができる。

NTT外輪山荘」は、この二重の峠のほぼ真下にあった。



ところで、NTTの社員保養所であるが・・、
縁あって出来るだけ使用するようにしているが、昨今は官営・公営の宿屋が民化の煽りでドンドン潰されてゆくようである。 
NTTは民営化する依然は関連宿舎含めて全国に150~160箇所程度あったのだが、民営化の煽りで30前後に減ってしまったようである。 

郵政の「かんぽ」、厚生の「国民宿舎」や「休暇村」然りで、官・公営の宿もドンドン減らされていくようである。 
訳わかるけど、どうにかなんないの・・、我々一般大衆の旅人にとってはマッタク、サミシイ限りであるっす・・!。 現在、九州地区のNTT保養所は、この「NTT外輪山荘」一箇所のみと相成ってしまったようだ。 因みに四国も一箇所のみで、過日世話になった道後の「拓泉荘」がそうであった。


ともあれ、此方に草鞋(わらじ)を脱いだ。
NTTの保養所は決して突出した派手さは無いが、中流旅館のサービスにも負けない位の気配りで旅人をもてなしてくれる。
何時もながら有難いことである。 

夕餉の時間まで若干の時間があるので、先ずは一風呂浴びて今日一日の行程記録をまとめる。その後、地元の銘酒を戴きながら料理を味わうのである。
何時もの事ながら今日の無事を感謝し、明日えの旅立ちを祈りながらクッションの効いた布団で夢路を辿る。



目覚めて窓を開く、朝の冷気が部屋に入り込み思わず深呼吸する。 
しかし、昨夕までほんのりと見えていた「阿蘇五岳」はガスモヤの中であった。 
周囲は晴れ渡っているのが先ずは何よりで、本日は主として阿蘇の連山を目指すからである。

さて、朝湯である・・、
こちらは阿蘇温泉の一つである直下の赤水温泉から引湯しているらしい。 
鉄分を多く含んだ泉質が特徴で無色透明単純温泉泉、含石膏苦味硝泉、芒硝泉で神経痛、りウマチ、婦人病、皮膚炎、創傷等に効くと謳い文句にある。 

こざっぱりした浴室で湯船に大窓が設えて有り、湯に浸かりながら外部の展望が存分に出来る。 
湯質はサラサラと肌にやさしい。湯で眠気を洗った後は、冷気を存分に吸いながら宿の回りを少々散策する。 
山荘はその名のとおり阿蘇五岳を望むすばらしいロケーションが自慢らしく、周囲は阿蘇の山々と眼下に長閑な田園風景が広がる。
阿蘇の情報を若干伺って、宿を後にした。

次回は、「阿蘇山




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