2010年2月20日土曜日

世界遺産・知床(5) 「ウトロ温泉」

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ウトロ温泉と背後は知床連山






世界遺産・知床(5) 「ウトロ温泉」


一走りで「ウトロ」へ着いた。

北海道の東海岸巡る国道を「オホーツクライン」又は「流氷ライン」ともいい、国道238号の宗谷岬から国道244号、そして、ここ知床の玄関口であるウトロの国道334号で終わっている。 
総延長は、延々430kmであった。


ウトロの港付近は奇岩怪石が多い、巨大な岩が海から突き出ている。
オホーツクラインとしてははじめて見る光景であり、やはり、知床連山が背後に迫る山地特有の海岸風景である。 



ウトロ温泉にはチョットした温泉街が広がり、港には知床観光船乗り場がある。 

昨年秋、カミさんと訪れた時、この港から半島の西側を船で遊覧した。
この時の印象は海岸線は殆どが断崖絶壁で、未だ人を寄せ付けないところと見聞したが、この荒々しい岸壁は流氷の成せる技で、流氷のもすごい圧力で岩肌を削りとったとされている。



ウトロは、温泉場である。 


近年、ボーリングによって湧出した新しい温泉街であり、知床岬めぐりの遊覧船が着く港付近と、オホーツク海の眺めを望む高台に設備の整った大小さまざまな宿が点在する。 

あの時は、たしか高台でウトロ港が一望できる「知床第一ホテル」に泊まった記憶が甦った。
泉質は塩化物泉で切り傷、やけど、慢性皮膚病、神経痛などに良いとされ、温泉宿は港付近と景色の良い丘の上にある。 
オホーツクに沈む夕日を眺めながら温泉は素晴らしいとか、日帰り入浴できる宿は、知床第一ホテル、知床夕陽のあたる家などが有るようです。



知床が「世界遺産」に登録されたことで更に観光収益が期待されているが、同時に観光客の増加による環境破壊も懸念されているという現状がある。





ウトロ温泉概要

泉 質 ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉
所 見 無色透明・無味・無臭
効 能 リュウマチ、神経痛、関節痛 など
問合せ 斜里町商工観光課 TEL(01522-3-3131)
    知床斜里町観光協会 TEL (01522-2-2125)


ところで今、ウトロの温泉街で厄介な問題が生じているという。

特に近年、エゾシカの集落進出が著しく、シカが温泉街を歩く姿をよく見ることがあり、TVや新聞でもニュースに取り上げられるほどである。 

エゾシカによって農産物や家庭の観葉植物が食い荒らされる被害も出ているらしく、糞や尿の垂れ流しによる害、シカの道路飛び出しによる交通事故も懸念材料であるという。 
銃器による駆除は、集落に接近しすぎている上、知床半島から流れ込む無数のシカには無力として断念、抜本的対策として、集落全てをフェンスで囲むことを2006年に決定したという。 
フェンスは高さ3m、距離は3.6kmもあり、対策費用は3600万円で、2006年9月に建設を開始して12月に完成する見込みだという。



次回は、「知床五胡」 






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2010年2月19日金曜日

世界遺産・知床(4) 知床の玄関・「斜里」

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斜里岳
半島付根付近に聳える斜里岳とジャガイモ畑





世界遺産・知床(4)知床の玄関・「斜里」


知床半島の西の玄関口「斜里町」へ入った。

知床半島が眼前に迫る海岸線より、やや陸地に入ったところに釧網本線の「知床斜里駅」がある。

元々、斜里駅だったのが、1998年4月11日にから知床斜里駅に改称したそうである。 
その名のとおり,知床への玄関口となる駅であるが、斜里町は知床半島の西側半分が行政区としての地域を占めていることはあまり知られていない・・?。 

知床観光のメッカと言われるウトロ温泉、知床五胡、カムイワッカなどは、この斜里町に含まれているのであり、つまり、知床のいいとこ取りをしているのである。 
駅前の斜里バスターミナルからは、知床に向って定期バス(知床線)や,定期観光バス(知床ロマンふれあい号)などが発着している。



先般訪れたが、知床斜里駅の東方海岸よりに「斜里町立知床博物館」がある。

この博物館も北海道、オホーツク海特有の文化や歴史、自然を展示しているが、特に秘境と言われる知床半島の自然情報、動物・植物の様子、流氷や半島の自然を展示、説明しているのが特長であろう。 


2005年(平成17年)7月に、知床は「世界遺産」の登録物件として、7月17日正式に承認登録されたが、これによって観光客の賑わいも一段と増加するだろうし、知床斜里駅や知床博物館の価値が一層高まることは確実であろう。



網走から知床方面に伸びる国道は実に雄大で北海道らしい風景を醸し出している。 
又、「豊かな大地」北海道を実感、体感するのに絶好のルートでもある。 

カラマツの保安林で区切られた色とりどりの畑が左右に広がる中を、前方に見え隠れする斜里岳やオホーツク海に向かって一直線に進む。 

時に現れる大きなカーブやアップダウンが、角度を変えて景色を更に新鮮に見せてくれる。

手前に斜里岳(1545m)、遠くに海別岳(1419m)の勇姿が美しい。


阿寒の山々と知床連山の中間に聳える「斜里岳」は独立峰で、山容は知床富士の如く端正にして名峰である。
日本百名山の一つでもあり、登山も盛んな山であろう。


その麓に広がるのは一面ジャガイモ畑であり、畑が所々に小山を造っている。 
よく見ると収穫しばかりのジャガイモの山である。 

時折ダンプカーがすれ違う、積荷を見るとこれまたジャガイモである・・、今収穫の真盛りらしい。 
すれ違うトラックや農耕機械もスケールが大きく、荷台から落ちたジャガイモが道の真ん中に転がっていたりして、気分を盛り上げてくれるのである。




いつの間にか国道は244から334に変わっていた。 

知床国道」と言われる道で、いよいよ「知床半島」へと入り込むことになる。 
海岸の際を走るようになって、斜里町の広大な平野、そしてジャガイモ畑がだんだん狭くなって、ついに山岳地帯に入っていく。 知床の山肌が迫ってきたのである。




しばらくすると知床の名所の一つの「オシンコシンの滝」に来た。

国道からいきなり豪快な滝が流れ落ちている様を見れるのはココぐらいだろう、海岸国道が出来る以前はヒョットすると、この巨大な滝は二段三段構えでいきなり、このオホーツクの海に落ち込んでいたのかも知れない。 こんなことを想像するのも面白い。 





滝の上には旧道が通っており、そこから眺めるとオホーツク海を背景に一段とスケールの大きい姿が見れるらしい。
この滝は高さ50mあまり、二筋に分かれて落ちる様子から「双美の滝」とも呼ばれるそうである。


滝を見物しながら一息入れて、いよいよ「知床」の懐へと出発である。



次回は、ウトロ温泉




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2010年2月18日木曜日

世界遺産・知床(3) 「世界遺産について」

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世界遺産
世界遺産・知床概要図(資料)




世界遺産・知床(3) 「世界遺産について」


「世界遺産」というのは、各々「文化遺産」「自然遺産」「複合遺産」と三種に分類されている。

「文化遺産」は優れた普遍的価値をもつ建造物や遺跡など、 「自然遺産」は優れた価値をもつ地形や生物、景観を有する地域、 「複合遺産」は文化と自然の両方の要素を兼ね備えているもの・・、と国連(ユネスコ)では定義している。


日本では自然遺産として、平成5年(1993年)屋久島と白神山地が共に登録されている。

「知床」の世界自然遺産としの登録申請の概要。

知床を世界自然遺産に・・!」、希少生物の宝庫であり、原生的な植生など太古の姿をいまだ残す「知床」が、2004年1月に「世界自然遺産」として、地元の要望から政府を通じ正式に推薦され、その年、7月21日から7月25日にかけて、世界遺産委員会の諮問機関である国際自然保護連合(IUCN)デビッド・シェパード保護地域事業部長による現地調査が行われた。

そして、平成17年7月17日、南アフリカのダーバンで開催されていた第29回世界遺産委員会において日本政府が推薦した知床の「世界自然遺産」への登録が決定された。

登録に当たっては、流氷が育む豊かな海洋生態系と原始性の高い陸息生態系の相互関係に特徴があること、シマフクロウ、シレトコスミレ等の世界的な希少種やサケ科魚類、海棲哺乳類等の重要な生息地を有すること等が評価されてのことであった。

遺産領域としては、知床半島の斜里町及び羅臼町の一部と知床連山の遠音別岳周辺山域から北方「知床岳」までの山岳地帯を核心部として、これらを取り巻く、ほぼ半島全域と周辺海域である陸地から3kmの海域を緩衝地帯として決められた。
面積は概ね71,000haである。(1ha=100㎡)


自然環境の主な特徴として、知床は世界で最も低緯度の季節海氷域であり、海氷に特徴づけられる海洋生態系と陸上生態系が連続することによって複合生態系を形成しており、海洋生態系と陸上生態系の相互関係を示している。

海岸からの標高約1,600m(羅臼岳)の山頂部までの間には、人手の入っていない多様な植生が連続して存在しており、豊富な餌資源と多様な環境を背景として、ヒグマが世界的にも高密度で生息している。


股、知床は北方系と南方系の両系の種が混在するなど、地理的位置と多様な自然環境を背景として特異な種の構成、分布がみられるほか、シマフクロウ、オオワシ、オジロワシなどの国際的希少種の重要な繁殖地や越冬地となっており、これらの種の存続に不可欠な地域ともなっている。

尚、海域が世界遺産に選定されたのは日本では初めてである。



当時の「高橋はるみ」北海道知事の話として・・ 

北海道が誇る知床が人類共有の遺産として評価され、世界自然遺産に登録されたことに言葉に表せない幸福を感じている。 これは、知床の海域から陸域に至る比類なき生態系や各種の希少生物にとっての貴重な生息地が、世界に認められた証しであり、地元の人たちの世界自然遺産への熱い思いや国をはじめとする関係機関や団体等の熱心な努力のたまものだ。今後とも、先人が愛した豊かな自然環境を持つ知床の保全に努め、これからの世代に引き継いでいくとともに、管理に全力を傾けていく」と談話をだしている。



国内の世界遺産と登録年

登録年   世界遺産    所在地

 ≪文化遺産

93年   法隆寺地域の仏教建造物  奈良
93年   姫路城  兵庫
94年   古都京都の文化財  京都、滋賀
95年   白川郷・五箇山の合掌造り集落  岐阜、富山
96年   原爆ドーム  広島
96年   厳島神社  広島
98年   古都奈良の文化財 奈良
99年   日光の社寺  栃木
00年   琉球王国のグスクおよび関連遺産群  沖縄
04年   紀伊山地の霊場と参詣道  和歌山、奈良、三重
07年   石見銀山遺跡  島根


 ≪自然遺産

93年   屋久島  鹿児島
93年   白神山地  青森、秋田
05年   知床  北海道



次回、知床玄関口・斜里



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2010年2月16日火曜日

世界遺産・知床(2) 「流氷について」

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流氷
資料:アムール川より流れ出る流氷群の流れ




世界遺産・知床(2) 「流氷について」


最近は紋別や網走の流氷観光船が有名なため、流氷=紋別、網走と思っておられるが、以前は流氷と言えば「知床」だったらしい。 びっしりと流氷が来ると、船は出られなくなる。


逆に、船が出られるということはそれだけ流氷の密度が少ないということである。 
知床・ウトロでは、流氷のシーズンになると船はすべて陸に揚げられ、出航はおろか、港に留めておくと船が流氷の圧力で潰されてしまうという。
このことからも、流氷が相当の圧力で知床半島の陸地を押し付けているかが察せられる。 
知床半島の海岸の断崖絶壁は、地球的年齢の流氷による侵食作用によって生成されたものといわれる。



その「流氷」について・・、


流氷が見られるのは日本では北海道のオホーツク海岸だけであり、時期ともなると北の方から次第に流氷が押し寄せてくるのである。 
樺太最北部、間宮海峡アムール川(黒竜江)河口付近で流出してきた汽水域が氷結し、寒気とともに海流、風向によってやって来るのである。 


北海道沿岸への流氷が襲来するのは、ほぼ一月の中旬ころであると言われ、そしてオホーツク海海域に現れるのもこの時期である。 
2月の初めには流氷は千島列島の南端(北方四島)に達して、その一部は太平洋に流出を始める。 
3月の初めか中旬には、流氷域が最大となって、オホーツク海の80%を覆ってしまうこともある。
4月中旬には流氷は、オホーツク沿岸から去っていき、5月下旬にはオホーツク海から完全に氷がなくなる。


尚、少し大業な数字を並べると・・、

氷の厚さは、計算上、北海道沿岸では40~50cm、オホーツク海では70~80cmという。 
因みに、オホーツク海の面積は153×10の4乗平方キロメートルと計算され、80%が厚さ 70~80cmの海水に覆われるとなると、その量は、9×10の11乗立方メートルもの大量になるという。 
毎冬これだけの氷を融かすのに必要な熱量は、極端な話、日本の原油輸入量の25年分にも相当するといわれる。


ところで、流氷の状況の変化は早い、特に春の解氷期に著しいという。
1日のうちに見渡す限りの流氷原が流れ去ってしまったり、逆に青海原が一日のうちに流氷で覆い隠されてしまうことは珍しくない。 
流氷の動きは速くても一時間に1kmか2kmくらいである。(風速の 2~3%で動くと言われている)。

流氷は近海漁業者にとっては厄介者であるともいわれるが・・?、 


漁業は出来なくなるし、流氷から吹き付ける寒風は身を切り裂く、又、防波堤など護岸設備をも破壊する。 
しかし流氷は漁民にとって貴重な「」をもたらしてくれる大切な存在でもある。 


流氷は植物プランクトンを大量に運んできて、春先、太陽光に当たるとこれが爆発的に増える。
これによって、海底のエビやカニ、ホタテなどを栄養にして育つ。 
又、これを餌に動物性プランクトン(北海で人気のクリオネはこの一種)も増え、この動物プランクトンを餌に北方の魚が集まり、オホーツク海は豊かな漁場となるのである。  

毎年、冬になると北海道の沿岸に押し寄せるオホーツクの流氷は、北の自然の厳しさと、その営みの壮大さを堪能させてくれると同時に、豊富な食を運んできて呉れる。

流氷の去った後は、壮大な漁場を約束してくれるのである。


この流氷も近年、温暖化の影響を受けているといわれる。 

オホーツク海では、年々、流氷の到着が遅くなっていて、しかも、その広がりの範囲は減少しているという。

ある機関の研究によると、50年後には流氷はすべて消えてしまうという予測もあるとか・・?。
影響で魚介類の漁獲高も激減し、漁業は大打撃をこうむるとも推測されているが。 


知床半島の海岸の断崖絶壁は、流氷による侵食作用によって生成されたものといわれる。

因みに、「日本の地質百選」というのがあり、知床半島もその一つに選ばれているらしい。


その要旨として・・、

「知床半島」は千島列島から続く火山列の一つで、ドーム型の羅臼岳や硫黄を流出する硫黄山などは活火山であり、温泉も豊富である。  

もう一つに、流氷による侵食で大崩れの海岸の断崖絶壁が形成され、枕状の溶岩質地盤も観察されている。
この玄武岩質の岩壁は、現在も崩壊を繰り返している、としている。



「日本の地質百選」とは・・、

美しい日本の国土、火山の恵み・温泉、美しい景観の観光地、これらを形作っているのは日本列島の特殊な地質があってこそといわれ、或いは地震や地すべりなどの現象もまた地質の特異性の結果であるという。 

日本の地質現象は多岐に渡っており、世界の地質学者もその素晴らしさに注目しているという。
そこで日本全体から,地質現象のよくわかるところを百箇所選び出し、そのユニークさを顕彰し、広く知ってもらうために選出したものとである。


平成19年3月、「日本の地質百選」選定委員会は、約1年間にわたり検討を進めてきた「日本の地質百選」の第1期選定として全国83箇所を選定した。

其の中に「知床半島」も選ばれている。 

北海道からは他に有珠山・昭和新山や夕張の石炭大露頭など7カ所選ばれている。


次回、知床・「世界遺産」の概要






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世界遺産・知床(1) 「はじめに」

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知床半島

写真(資料):上空からの「知床半島」




世界遺産・知床(1) 「はじめに」


北海道・知床が「世界遺産」に選定される以前に、何度か「知床」へは訪れている。


2003年9月北海道の道東旅行で、ウトロから知床観光船に乗って「知床半島」の東面の一部を観光した。

大勢の観光客を乗せて港を出た観光船「おーろら」は、サケ・マスなどの定置網を避けながら沿岸を行く。 

まもなく、幌別の海岸に断崖を背にへばりつくようにポツンと取り残されたように漁業用の番屋が見えた。


ブユニ岬を過ぎると、いよいよ200メートル近い断崖絶壁、奇妙な形の海食洞などが続くようになる。 
地表に湧き出た地下水があちこちで滝となって流れ落ちている。 
観光遊覧は、西海岸の一部にすぎなかったが、半島の峻険な地形を認識できたように思う。 知床半島の海岸線は、切り立った断崖が続いている。  
そのため、今でも人々を寄せ付けない、大自然や野生生物のみが生息する世界である。



知床はアイヌ語で「シリ・エトク」(大地の行きづまり、地の涯)を意味し、言葉を和名に当てはめた地名である。 
江戸時代には東と西の蝦夷地の境界とされるなど、名実ともに北海道最果ての地であった。

このオホーツク海に突き出た長さ70km、幅20~40kmの細長い半島は、遠隔地で地形が険しく開発が進まなかったことから、国内で最も原生的な自然が保全された場所である。
この人跡を阻む海岸線は、長い時間をかけて波や「流氷」に削られ誕生したとも云われる。


冬、知床の海を覆いつくす流氷は、一緒に運ばれてくる栄養分であるプランクトンを養い、知床の海を豊かにする。 
その豊かさは、アザラシなどの海獣類、海鳥やオオワシなど鳥類、海に生きる命がつながる糧となる。 
回遊して海の豊かさを体一杯に蓄えたサケの仲間は、ふるさとの川に遡上し、そこで山の生き物の餌となり、死体は土に返り知床の森を豊かにする。 
生きるものと死んで行くもの、海と山の栄養の循環である命の輪が、知床の価値を高めているのである。


それは知床半島の独特の地形にもあった。
知床半島は長さで約70キロ海に突き出し、幅は基部で40キロあり、中央部には1500メートル級の山々が屏風のように連なっていて、豊かな森林を造り出している。
そこの中央帯には硫黄山のような活火山も在り、海岸線には「カムイワッカの川」などの温泉も噴出している。


知床の東海岸にしても西海岸に比べ、まだまだ厳しい自然のままの素朴な知床をかいま見る事が出来る。 
羅臼から道道87号(知床公園羅臼線)が細々と延びているが、そのどんづまりが「昆布沢」辺りで、この先は道も人家もなく、有るのは断崖と漁師の番屋だけである。



タラ、レバで申し訳ないが・・、


「知床半島」が、もし海岸線に砂浜もある平坦な地域が含まれているならば、人々が容易に近づくことができ平凡な半島になっていたのかも知れない。 
海岸を掘れば浅い所で温泉が湧きだし、奥に入れば珍しい自然が広がり、近海は豊かな漁場が広がっている。 

人々はこの地に生活環境を整い、温泉地を造りあげて観光客を招き寄せ、次第に自然を侵食するようになるのは必定であろう。



シリ・エトク」は、現在も大自然が残され、流氷によって生物、動物の自然循環が生かされている。
「知床半島」が「世界自然遺産」に登録されたのは、自然の成行きかもしれない。


次回、「流氷」




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2010年2月15日月曜日

日本周遊紀行(59)斜里 「斜里場所と知床」

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斜里から知床の入口にある「オシンコシンの滝」
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日本周遊紀行(59)斜里 「斜里場所と知床」


知床半島の西の玄関口「斜里町」へ入った。


こちらも先般訪れたが、海岸よりに「斜里町立知床博物館」がある。

この博物館も北海道、オホーツク海特有の文化や歴史、自然を展示しているが、特に秘境と言われる知床半島の自然情報、動物・植物の様子、流氷や半島の自然を展示、説明しているのが特長である。 
中でも、人物や歴史を学ぶコーナー等が有って、目に付いたのが、この地にも幕末北方警備の為「斜里場所」という駐屯地が置かれ、津軽の藩兵が派兵されていた事実であった。そして、この津軽藩・派遣兵は実戦で敗れたのではなく、北海道の自然の過酷さに敗れ去ったのであった。


館内の目立つところに同形の弘前の「ねぷた」が飾ってあった。

この同じ時期、蝦夷北端の地、稚内に「宗谷場所」が置かれ、津軽及び会津藩兵が赴任していた事は稚内の項でも述べたが。 
同様に斜里場所においても寒さと偏食(野菜不足)のため、身体がむくむ浮腫(ふしゅ)病で多くの人が亡くなったといわれる。 
斜里にやって来たのは凡そ100名の藩兵であったが僅か一年余で浮腫病のため、その殆どが死亡し翌年津軽に帰還したのは僅か17名にすぎなかったという。



浮腫(ふしゅ)病は江戸時代には水症、水腫、水気ともいわれた。 
体腔に大量の液がたまり体じゅうがムクみ、指で押すと大きくくぼみ顔は皺がなくなり、蒼白になって血の気がなくなり苦しんで死んでしまう、当時は不治の病といわれた。 
この時期、斜里場所の津軽藩兵に「コーヒー」が与えらていたかどうかは否かは定かでない。


この事が縁で現在、斜里町と青森県弘前市とは姉妹友好都市を結んでいる。 
そして同時期に弘前の名物祭り「ねぷた」が催されているらしい・・!? 



知床博物館のすぐ西方に釧網本線の「知床斜里駅」がある。

元々、斜里駅だったのが、1998年4月11日にから知床斜里駅に改称したそうである。 
その名のとおり,知床への玄関口となる駅であるが、斜里町は知床半島の西側半分が行政区としての地域を占めていることはあまり知られていない・・?。 

知床観光のメッカと言われるウトロ温泉、知床五胡、カムイワッカなどは、この斜里町に含まれているのであり、つまり、知床のいいとこ取りをしているのである。 
駅前の斜里バスターミナルからは、知床に向って定期バス(知床線)や,定期観光バス(知床ロマンふれあい号)などが発着している。

尚、本文執筆中の2005年(平成17年)7月に、知床は「世界遺産」の登録物件として、7月17日正式に承認登録された。
これによって観光客の賑わいも一段と増加するだろうし、知床斜里駅の価値が一層高まることは確実である。



かって、斜里(現在の知床斜里)駅からは「根北線」(こんぽくせん)といって釧網本線より先の「越川」までの13km区間を結んでいた。 
道東の盲腸線とも言われたこともあったが、廃止されてから30数年になるという。 
根北線は今の国道244号線に沿った知床半島の付け根を横断して、斜里と標津線の「根室標津」をむすぶ路線になるはずであり、第二次世界大戦による工事の中断はあったが、斜里-越川間が1957年に開業していた。 
しかし、根北線は当時営業収益係数が最悪であり、国鉄一の赤字線との烙印が押され、1970年に開通後わずか13年で未完成のまま早々に廃止されてしまったのである。(標津線については後述する)



網走から知床方面に伸びる国道は実に雄大で北海道らしい風景を醸し出している。 
又、「豊かな大地」北海道を体感する絶好のルートでもある。 
カラマツの保安林で区切られた色とりどりの畑が左右に広がる中を、前方に見え隠れする斜里岳やオホーツク海に向かって一直線に進む。
時に現れる大きなカーブやアップダウンが、角度を変えて景色を更に新鮮に見せてくれる。


手前に斜里岳(1545m)、遠くに海別岳(1419m)の勇姿が美しい、その麓に広がるのは一面ジャガイモ畑であり、畑が所々に小山を造っている。 
よく見ると収穫しばかりのジャガイモの山である。 
折ダンプカーがすれ違う、積荷を見るとこれまたジャガイモである、今収穫の真盛りらしい。 
すれ違うトラックや農耕機械もスケールが大きく、荷台から落ちたジャガイモが道の真ん中に転がっていたりして、気分を盛り上げてくれるのである。



いつの間にか国道は244から334号線に変わっていた。 
知床国道」と言われる道で、いよいよ「知床半島」へと走ることになる。 
海岸の際を走るようになって、斜里町の広大な平野、そしてジャガイモ畑がだんだん狭くなって、ついに山岳地帯に入っていく、 知床の山が迫ってきた感じである。


しばらくすると知床の名所の一つの「オシンコシンの滝」に来た。

国道からいきなり豪快な滝が流れ落ちている様を見れるのはココぐらいだろう。
海岸国道が出来る以前はヒョットすると、この巨大な滝は二段三段構えでいきなり、このオホーツクの海に落ち込んでいたのかも知れない、 こんなことを想像するのも面白い。 
滝の上には旧道が通っており、そこから眺めるとオホーツク海を背景に一段とスケールの大きい姿が見れるらしい。この滝は高さ50mあまり、二筋に分かれて落ちる様子から「双美の滝」とも呼ばれるそうである。

滝を見物しながら一息入れて、いよいよ「知床」の懐へと出発である。



次回からは、世界遺産・「知床」としてチョッと詳細に記載します。



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