2010年10月2日土曜日

日本周遊紀行(13)沼津 「原と白隠」

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 日本周遊紀行(13)沼津 「原と白隠」 


伊豆長岡から国道414にて沼津へ向かう。
市街地から狩野川の港大橋をわたって、沼津魚市場方面へ。
千本港町、沼津魚市場は早朝から魚介類の取り引きの威勢のよい掛け声が響く。 

周辺には寿司屋や飲食店、土産品店が軒を並べ、沼津港で水揚げされたばかりの新鮮な魚介類を味わうことができる。
先達て上さん(妻)と、この地を訪れて時期物ではあるボリュームたっぷりの「サクラエビ」の唐揚げが絶品だったのを思い出す。 


更に、県道380号線を行く。
松の林が限りなく・・?、続く海道で緑の美しい景観は、日本100選の「千本松原」である。
狩野川の河口から、富士市の田子の浦にかけて続く総延長約10kmに及ぶ海岸線で、千本どころか30数万本の松の木が植えられておるという。
旅の僧・増誉上人が近隣の人々に呼び掛け、5年の歳月をかけて復活させたと伝えられている。

増誉上人は、千本山乗運寺(浄土宗・千本松原の近くに寺院がある)の開祖で、始め長円といった。
増誉上人をめぐる千本松原の物語は、今なお人々に語り伝えられているという。 
一説によると、天正8年(1580年)武田対北条の激しい戦いが行われた時、無惨にも千本松原の松を伐り倒してしまったという。 荒廃したこの地に、一人の旅の僧(長円)がやって来て、土地の人々が塩害に苦しんでいる姿を見るにみかね、一本一本お経を唱えながら松の苗を植えたという。
千本松原の恩人として、千本公園に像が建てられている。


チョッと序ながら、沼津に縁のある歌舞伎の話。

先般、新橋演舞場で中村吉右衛門、中村歌六、歌昇兄弟達による演目で、「伊賀越道中双六:沼津」を拝見した。

日本の三大仇討ちの一つとされている「伊賀越の仇討ち」(他に「曾我兄弟の仇討ち」、「赤穂浪士の討ち入り」)を狂言風の歌舞伎にしたもので、昔から歌舞伎や講談に取り上げられている有名な演目である。
歌舞伎では大長編の通し狂言「伊賀越道中双六」として演じられ、「沼津」はその第六段として登場し、この中で沼津の宿や千本松原が物語の背景として形作られている。

伊賀越道中双六「沼津」の段のあらすじ
《上杉家家老・和田行家の息子志津馬(渡辺数馬)は沢井股五郎(河合又五郎)の奸計で家宝の刀正宗を質にとられた上、役目落度で勘当される。志津馬の姉お谷を妻に望んで断られた股五郎は行家を殺し、出入りの呉服屋十兵衛の案内で九州相良へ逃亡。足を負傷した志津馬は馴染みの遊女瀬川、今は本名お米の故郷・沼津で養われている。
沼津」の段のあらすじ
お米の老父平作は荷持人足。荷持をさせた縁でお米の美しさに魅かれた十兵衛は貧家に泊まるがこの人物が親子兄弟と判り、千本松原の地で平作は命をすてて十兵衛から股五郎の行方を聞きだす。》




「千本松原」中間地にJR東海道の原駅がある。
今は普通の町並みであるが、旧東海道の原宿で東海道五十三次の13番目の宿場であり、昔は相当に賑わったところである。
この一角に「松蔭寺」がある。
 
  『 駿河には 過ぎたるものが 二つあり、
                富士のお山に 原の白隠
 』  白隠


白隠 慧鶴((はくいん えかく・正宗国師)、江戸中期の名僧である。
1686年、駿河国・原宿(現・静岡県沼津市原)長沢家の三男として生まれた白隠は、15歳で出家して諸国を行脚して修行を重ね、のちに病となるも、内観法(身心を安楽にする観法)を授かって回復し、信濃の国・飯山の正受老人の厳しい激励を受けて悟りを完成させたという。以後は地元に帰って布教を続け、衰退していた臨済宗を復興させている。

現在ある臨済宗十四派(京及び鎌倉の大本山寺院)は全て白隠が中興したとされている。 その内の代表である京の妙心寺は広大な境内を持つ臨済宗の大本山で江戸期に中興され、その第一座に白隠禅師が住持(僧衆の長)している。
因みに、小生の田舎(いわき市白鳥町)の菩提寺・龍勝寺は、京都・大本山妙心寺の末寺である。

白隠は江戸中期(1763年)、隣町で三島市の龍澤寺を中興開山し、現在、両寺には彼の描いた禅画、禅筆が多数保存されている。 禅師の墓は原地区の松蔭寺にあって、県指定史跡となっている。
師の著書の一つに「夜船閑話」(やせんかんな・過度の禅修行による病いの治療法として、身心を安楽にする観法を説いたもの)がある、小生、入院療養中の時、その解説書を読んだが、現代にも通ずる古式健康法とでもゆうのだろうか・・?



原から更に松林をゆく、この辺りの松林は手入れがされてなく、雑木下草に覆われて雑然としている。 せっかくの常緑樹林が美観を損ねているのは残念である。

道は東海道線と並行してゆく。
吉原は、今は製紙業が盛んな街だが、昔は東海道・吉原宿で風光明媚なところ、目前に田子の浦をひかえ、万葉集にも詠われた地であった。
  
  『 田子の浦ゆ うちいでてみれば 真白にぞ 
             富士の高嶺に 雪は降りける
 』
(田子の浦をずっと歩いて、やっと見晴しの良い地点に出て見ると、遥かに雪が降り積もっている富士山が望まれた) 

誰でもご存知の名句である。 
時は奈良時代、山部赤人が詠んだ万葉集の一句であり、小倉百人一首にも選ばれている名句である。 

次回は「蒲原、由比


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