2010年7月15日木曜日

日本周遊紀行(118)銚子 「大利根・坂東太郎」

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日本周遊紀行(118)銚子 「大利根・坂東太郎」



間もなく太平洋に注ぐ利根川水域、その河口に架かる銚子大橋。 左は旧橋が老巧化のため2010年度完成の新大橋



大利根と言われる「利根川」は・・、


雨が激しく降る中、朝食を摂るのも忘れて、水郷道路から国道124号へ飛び出した。
朝の町並みは、まだ静まりかえっている。
有難い事に、またまた24時間営業の「吉野家」を見つけ、朝食に有り付いた、定番の納豆定食である。

時折、利根川の大きな河川が眼に入る。 ここは「波崎町」である。 
波崎町は大河・利根川と太平洋に挟まれた細長い街で、砂質土壌に発達した町であるり、延々20kmにも及ぶ波崎砂丘は、太平洋から吹き付ける風によって微妙に姿を変える。
即ち、「風紋」と呼ばれる風の芸術が見れる処でもある。


悠々と太平洋に注ぐ大利根の大河口付近で銚子大橋を渡る。 
延々1450m、川の水面上に架けられた橋としては、日本一の長さだとか。

この「利根川」は全長こそ約322kmで、信濃川に次いで日本第二位であるが、流域面積は日本一である。 



ところで利根川の源流は、日本列島の脊梁山地の一部である三国山系で、上越国境山地の最北部・巻機山(まきはたやま:1967m・)と平ヶ岳(2141m)の両百名山を東西に抱えた最北端にある「大水上山」(おおみなかみやま:1834m)の南面の雪渓であるという。

自称、山屋と称していた小生ではある・・、

因みに、この山に登るには上州側からだと、利根川を数泊かけて源流域を遡登するということだが、このコースは急登につぐ急登で体力がものをいう世界である。 
相当なアルバイトが強いられるのを覚悟して登ることが肝要であろう、

小生は無論この山域には至っていない。 
急な沢歩き、尾根登りを辛抱強く行けば、右側に上越国境の山々が、左側には一際雄大な「越後三山」や尾瀬の山々が美しい姿で眼前に展開し、苦しさを紛らわせてくれるという。 
頂上付近は、緑豊かな笹原の天上の楽園、別天地が展開し、360度の雄大な風景を独り占めでき、満足感は計り知れないものがあるという。

坂東太郎・大利根は、この「大水上山」の三角雪渓から滴り落ちる雪解けの水、最初の一滴から始まるのである。



実は、利根川の水源は長い間、謎で、明治、大正期に2回水源探検を実施し、水源は刀根岳(大水上山)と確認したが、源流部を解明するに到らなかったという。 
昭和29年(1954)、第3回利根川水源調査団がようやく利根川の水源は、標高1,834mの大水上山の三角形の雪渓であることを突き止めたという。
人々が入山して後、水源を見つけるのに実に60年の歳月がかかったわけである。
 
その実情は、カモシカも避けて通るといわれるほど急峻で危険な箇所が多かったという。 
尤も、上越国境の山々は日本一急峻な山岳、岩場として、岳人の間でよく知れる処でもある。 
特に、越後側は比較的のびやかなのに対して、南面にあたる上州側は、谷川連峰の一の倉沢、マチガ沢、幽の沢に見られるように大絶壁が連なり、総じて峻険な地帯となっているのである。

利根川水源が新たに発見された頃、世はある種の登山ブームに差しかかった時期でもあった。そして、この奥利根地方はも登山家のあいだでは、どちらかと言えば沢歩きが主流だという。


奥利根病』というのがあるらしい。
奥深い現流域は夏でも腰まで水に浸かる大変な沢登りだが、又行きたくなるという「再発病」である。 
こんな時期、とある女性の山愛好家が利根川現流域に魅せられ「利根川源流讃歌」を作っている。


利根川源流讃歌

遥か彼方 澄みわたる空のもと
上州最北端 利根川水源地
大水上山の三角雪渓
太古からの 雪解け水が
尽きることなく 湧き出すところ



河口にいるのに、山奥の水源の話になってしまったが・・、

ところで、利根川は「坂東太郎」(ばんどうたろう)の異名を持ち、「筑紫次郎」(九州・筑後川、「筑紫三郎」といわれる場合も)、「四国三郎」(吉野川・「四国次郎」といわれる場合も)とともに日本三大暴れ川の一つに上げられる。  

名称のについては、いくつかの説があるが、アイヌ語の「トンナイ」に由来するなどが有力とされ、「トンナイ」は巨大な谷を意味するという。 なお、利根川の名称が出てくる最初の文献「万葉集」には、「刀禰(トネ)」と記されているという。


鬼怒川や渡良瀬川(わたらせがわ)など名だたる多くの支流をもち、中下流域の千葉県最西北端の関宿町(現野田市)、埼玉県五霞町辺りでは、利根川本流を「江戸川」に分流して、これまた日本一の関東平野の大きな流域を潤し、首都圏の上水道を支えている。

又、水力発電としても利根川は有力な河川であり、上越国境の群馬県も発電事業の促進を図り、五十里(いかり)・川俣(かわまた)・矢木沢(やぎさわ)・藤原・草木(くさき)など多くの多目的ダムが築かれ,県内の多くのダムに発電所を建設して電力需要の確保を図っている。 
これら総合開発によって利根川は、各県と共有しながら首都圏の水需要と電力需要に欠かせない「日本の大動脈」となっている。



ところで、かつては利根川の河口は東京湾に注いでいたらしい。 

それに、今では利根川の支流となっている渡良瀬川や鬼怒川も、かっては独立した河川であったという。
特に、江戸(現在の東京)に政治の中心が移ってからは、利根川の治水は最重要課題の一つであった。


江戸幕府は、食糧を賄うための新田の開墾、舟運の開発と安定化、水害の軽減、飲料水の確保などを目的として、利根川を渡良瀬川筋に、更に常陸利根川筋に・・・と、少しずつ東に付け替える大工事を実施している。 
治水上の関係で最終的には利根川の本流、流路が銚子方向に確定したのは明治時代に入ってからであった。 
この川の流れを強引に変えて、銚子から太平洋に流すようにした大事業は、世に云う「利根川の東遷」と呼ばれている。 
その歴史は、徳川家康が江戸入府してから4年後の1594年に開始されたと記録に残り、最終的な拡幅は明治期になってからとか。 

流域は東京都、群馬県、千葉県、茨城県、栃木県、埼玉県の1都5県にまたがり、流域内には約1,200万人もの人口を擁し、利根川はその基盤となる生命の水を常に与え続けているのである。


引き続き「銚子



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