2010年3月19日金曜日

日本周遊紀行(68)白糠 「北海道炭田・発祥地」

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日本周遊紀行(68)白糠 「北海道炭田・発祥地」


釧路は今でも「石炭」を掘っている・・?、

国道38号線、「庶路」の町並みを過ぎると白糠漁港の手前あたりに海岸に迫り出してくる小高い丘がある。 東山公園の一角で「石炭岬」というらしい。 
石炭岬は道内最初の炭鉱があった場所で、開発の歴史は江戸時代にまでさかのぼるという。 現在は東山公園として町内を一望できる町民の憩いの場になっているが、その名の通り石炭に所縁のある名称である。
そしてすぐ先の太平洋に面した白糠の港は、江戸時代から開かれていた古い漁港で、北海道で採掘した石炭を最初に船積みしたところでもあった。


釧路炭田の歴史は幕末の1857年頃、白糠(しらぬか)石炭岬と釧路市岩見ヶ浜のオソツナイで採炭がされ始め、これが釧路地方の炭田開発の第一歩であったといわれる。 
オソツナイは今の釧路市の東海岸付近、釧路市益浦(ますうら)の辺りを指し、益浦から桂恋に到る間の「岩見ヶ浜」では、地層と地層の間に挟まった露頭炭層を観察することができたという。
先ず、オソツナイで手堀の採掘が始まり、併せるように白糠のシリエト(石炭岬)でも石炭を掘り始められた。 
江戸期の頃は、まだ「石炭」という言葉がなく「媒炭(ばいたん)」と呼んでいようである。 


北海道で最初に石炭を掘り始めたのが釧路地方からであった。
幕末、箱館が開港されて港にくる外国船舶の要望に応じるため、外国船へは薪、水、食料、更には石炭を供給することになり、これをうけて釧路地方で石炭を採掘することになった。
箱館奉行は蝦夷地に5、6ヵ所の石炭山を既に見つけていたが、その品位がどの程度のものかは不明であった。 そのため鑑定をイギリスの技術者に頼んだところ、シラヌカの石炭が良質で有望であるとの意見を得た。 

安政4年、栗原善八(蝦夷地、炭鉱開発の創始者)に採取を命じ、栗原は江戸から採炭夫を数名と人夫をつれてシラヌカにやってきた。 これが蝦夷地における石炭採掘のはじまりであった。 その後、大正年間には明治鉱業や安田炭礦を経て三井系財閥の太平洋炭礦が創業を開始している。

当時の日本は第一次世界大戦後の産業基幹の拡大や、家庭用暖房などの燃料需要増大が見込まれる時期でもあった。
財閥系と言われる「日本を代表する大資本が釧路の石炭産業に参加する」その意味合いは大きく、豊富な資金力で電力を活用した機械化が進められ、石炭採掘・輸送をするために鉄道を利用するという。 
石炭を中心とした日本の産業革命ともいえる一面を象徴していたのであった。 


太平洋・白糠炭田は昭和30年前期ころでは石炭は「黒いダイヤ」と呼ばれ最盛期を迎える。 しかし、昭和30年代半ば以降、エネルギー革命や海外炭との価格差とうに抗しきれず、次第に他国、他社の影響を受け、減産の途を辿ることになる。 
遂には、政府政策による各地の炭鉱閉山が相次ぐ中、平成14年、太平洋炭礦(株)はその歴史の幕を閉じた。閉山までの82年間で採炭量は1億t以上にもなり、採炭の多くを海底の炭層から行っていたため「太平洋の海底炭」というネーミングで宣伝し販売をしていたという。  

閉山前年の平成13年、地域経済への影響を懸念する中、地元釧路市財界関係者の出資により(株)釧路コールマインが設立され、釧路市に本社を置く日本の唯一の坑内掘・石炭生産会社となった。
平成16年以降には、中国の石炭需要増大による石炭価格の国際的な上昇に伴い業績は堅調だという。 
更に、平成17年度には石炭の出炭総数が国内需要に満たないため、中国の提携炭坑から石炭を輸入して販売事業を展開するという皮肉な結果も招いているという。 
併せて、アジアからの研修生受入や技術者派遣(国の「炭鉱技術海外移転事業」なども手がけている。

その「釧路コールマイン」の本社・工場は、石炭が最初に発見され採掘された釧路市益浦地区にある。


白糠町のほぼ中心を、美しい「茶路川」が流れている。 
中茶路、上茶路、二股と河岸に沿って当時は石炭輸送のため国鉄「白糠線」が走っていたらしい。 炭鉱の閉山と国鉄の合理化に伴なってここも廃線の憂目を見たが、茶路川は今は良質な自然環境と魚類の宝庫になっているという。 

「白糠」は当時、炭鉱で大いに栄えた街だったのである。 



音別町は白糠郡にある町で、町名の由来はアイヌ語の「オムペツ」(川口がふさがる)からきているという。 
町の地形から、形がミロのビーナスに似ている事から「北のビーナス」としての町おこしが進められているという。 
国道沿いの町並みには116基の街路灯が、町の花・リンドウをモチーフしてデザインされていて夜は「日本一明るい町に」という願いがこめられている。 
薄紫の淡い光が夜の音別町、国道をロマンチックに照らす光景は、ドライバーにはとても好評だとか。

音別町は2005年10月に釧路市、阿寒町の3市町が合併し、新生・釧路市の一部となっている。 しかし、間に「白糠町」が単独で存在するので、釧路市としての「飛地」(同じ行政区画に属するが、他にとび離れて存在する土地)になっている珍しい地域でもある。


次回は音別、尺別、直別・「北海道の地名とアイヌ語



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